黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

諏訪の森に集まり、夫より馬煙を立てて乗り出す(膳の桐生取り合いの事、付けたり、両家縁談の事・その 1)

2024-10-07 21:41:07 | 桐生老談記の世界

膳城付近の諏訪の森の諏訪神社は、上野国山上(こうずけのくにやまがみ)つまりひめちゃんちの近くの諏訪神社だと思われます

ひめちゃんたちは、よく通りましたけど、実は境内にあまり入っていません

お正月なら寄ってるかな?

諏訪神社の写真を、2021年の1月の画像の中に、やっと見つけました

その中で見つけた、2021年の1月の黒柴家族です

 

 

東の牧場に、ヤギさん家族もいました

 

 


膳の桐生取り合いの事、付けたり、両家縁談の事・その 1(諏訪の森に集まり、夫より馬煙を立てて乗り出す)

さる程に、上州膳の城主因幡守は細川内膳の室の見えなければ、「まさ敷く兄弟の家をゆうゆうと亡ぼされる事、縁者の恥辱なり。妹の敵なれば其の遺恨浅からざる。折を以て、桐生を一矢うらみん。」と、おいおい余韻を催し候。

既に出馬と聞こえけり。

先手の大将には斉藤右近、鶴谷玄蕃、野村弾正、関口友之助、此の者は若年なれども四人の家老なり。

赤石右京、子息喜太郎、青木平蔵、舎弟源太夫、小畑市之介、和田九郎左衛門、五貫主水、熊谷四郎左衛門、長根主殿、村上清輔、樋口治郎右衛門、荒井陣内、工藤内記、金子縫殿、上泉一学、大塚源内、此の二十一騎にて五百騎を添えて、天文十三年七月十三日朝、勢を揃え、諏訪の森に集まり、夫より馬煙を立てて乗り出す。



あらすじです。

上州膳の城主因幡守は、細川内膳の奥方の姿がないので、「兄弟の家をたやすく滅ぼされたことは、縁者の恥辱である。妹の仇であるので、深く恨むものだ。折を見て桐生に一矢報いよう。」と、恨み続けた。
そうこうするうちに、もう出馬ということだ。
先手の大将には、斉藤右近、鶴谷玄蕃、野村弾正、関口友之助で、みんな若いけれども、4人の家老である。
赤石右京、子息喜太郎、青木平蔵、舎弟源太夫、小畑市之介、和田九郎左衛門、五貫主水、熊谷四郎左衛門、長根主殿、村上清輔、樋口治郎右衛門、荒井陣内、工藤内記、金子縫殿、上泉一学、大塚源内、この21騎に500騎を添えて、天文13年(1544)7月13日朝、軍勢を揃え、諏訪の森に集って、馬煙を立てて乗り出した。



細川内膳の奥方の実家は、上州膳の城主だったのです。
細川家は下野菱の領主でした。
細川家の領地は、古河公方に泣きついてもらったものでした
膳氏は、基本的に関東管領方でした
縁組として、不自然な感じもします
「妹の敵なれば」とは、領主として視野が狭いと思います
「桐生に一矢報い」るだけでは、ちょっと心配。

521騎で、諏訪の森に集まって出陣したのですか
諏訪の森は、膳氏の居城・膳城の北にある諏訪神社付近だと思われます




2021年1月の諏訪神社です。

 

この日、ひめちゃんと獅子丸は、神社の裏手から境内に入り、拝殿で参拝して階段を前向きに下りて鳥居を出ました。



うーん、521騎集まれるかな?
ちょっと無理のようです

膳城のすぐ東に八幡神社があります。
膳氏の勧請ということで、こちらに戦勝祈願して、出陣するほうが自然です

江戸時代の桐生の人には、諏訪神社の方が馴染みがあったのでしょうか

 

 

初稿  2019.09.28  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2024.10.07

 

 

(つづく)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誠は家老右京盗み取りて、売... | トップ |  間の原にて両勢互いに入り乱... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

桐生老談記の世界」カテゴリの最新記事