黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

内膳の時、都八条殿より小雀という名馬を拝領す(桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事・その 4)

2024-10-03 20:20:29 | 桐生老談記の世界

タバサねーちゃんは、16歳と3ヶ月になります。

酷暑の夏を、なんとか乗り切りました。

密生する毛質で、暑さとかゆさで、自分で引っ掻いてしまって、あちこちハゲを作ってしまいました

でも秋風が吹いたら、白い毛が生えてきています

まだまだ短いですけど、自己回復能力があったのです。

毛深いタバちゃんが復活するといいね

 

2020年の10月、ひめちゃんとタバサねーちゃんが一緒の写真を探しますけど、アップされてません。

一緒にお散歩することはあんまりなかったようです。

タバサねーちゃんは、小次郎パパや獅子丸とお散歩していたようです。

タバサねーちゃんが、リーダーシップとってる感じです

 

 

 

桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事・その 4(内膳の時、都八条殿より小雀という名馬を拝領す)

 

天文十一年(壬寅1542)頃という、爰にまた野州足利郡下菱の領主細川内膳と申すは、元来摂津の細川分流として、京都に籠もり居る細川丹後という者なり。

其の頃野州小俣の郷主渋川の名跡に丹後をけい約して、応永十一年に野州小俣下り、時に家中外腹の隠し子を取り立て、名跡丹後をそしり、違変して知行に入らず。

細川力及ばず、関東公方足利持氏公へ訴え、彼の少地を拝領して、其の秋より下菱に住居す。

其の子修理裕、其の子丹後、其の子主膳、其の子内膳、五代繁栄と云えども、内膳の時、都八条殿より小雀という名馬を拝領す。

 

あらすじです。

天文十三年(1542)頃のことだといいます。
下野の国足利郷下菱の領主細川内膳の初代は、摂津の細川氏の分流で、京都にいた細川丹後という者です。
小俣領主渋川氏の名跡を継ぐ約束で、応永11年(1404)に下向しました。
ところが、家中は外腹の隠し子を領主に取り立て、約束を破り、彼に名跡を継がせませんでした
細川丹後は力及ばず、関東公方足利持氏に訴え、少しばかりの領地をもらって、その秋から下菱に住んだのです
その子修理裕、その子丹後、その子主膳、その子内膳、五代繁栄しました。
そして5代目内膳の時、都の八条殿より小雀という名馬を拝領したのです。

 

菱はかつては下野国、今ではなぜか桐生市菱町です
菱(桐生市菱町)の細川氏についての史料は、ほとんどないようです

けれども、細川丹後が登場する菱カルタが2枚あります

 

菱には、細川内膳の屋敷門があり、小雀観音もあります。

5代目内膳の時に、運命の名馬小雀を拝領したのです。

細川内膳の物語・総集編(『桐生老談記』にみる細川内膳)


小雀については、後ほど詳しく

 

 

初稿  2019.09.16  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2024.10.03

 

 

(つづく)


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