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黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

境城趾の弁天様とトウカエデ

2020-11-03 15:26:25 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て蕨沢川を渡ります。

橋には、やっぱり名前がありません

 

諏訪神社の向こうの高台を目指します。

ひめちゃん、ちょっと心配顔です。

大丈夫だよ、今日は学校お休みだから

ひめちゃんは、黄色い帽子の小学生の集団登校を警戒しているのです。

 

神社前を下ると、ため池があります。

獅子くん、立ち上がってます

何かいるのかな?

おかあさんには、わかりません。

高台からの赤城山です

高台からの赤城山と榛名山です

山水画のようにとまでは言えませんけど、いい雰囲気です

 

 

10月27日、境宿の織間本陣を確認した後、長光寺に向かいます。

長光寺・その南の弁天池・西の旧境高校あたりが、境城趾だという事です。

長光寺は、観音霊場になっていて、御朱印が出るようです。

細い路地を入って、長光寺です。

 

あれえ、駐車場が分からない

山門から境内に入るのは無理だし、後ろから車は来るし

捲土重来をきして、そのまま進んで右折し、弁天様のある境公園に駐車です。

向こうに学校が見えます。

旧境高校です。

今は、境特別支援学校だそうです。

 

南側から攻めます。

浮島に、彩色が残ってる弁財堂です

鳥居まである

背面は中国の物語かな?

側面はシッポと足の感じで、キツネかな?

 

蓮の季節は、花が咲くのかな?

 

真っ赤な鮮やかな橋が架かります。

むむ、通れない

危険ということで、通行禁止です。

かなり老朽化が進んでいるけど、他に参拝ルートはありません。

弁天島にある弁天様への弁天橋は、かたく閉ざされています

かつてはこの太鼓橋を渡って、多くの人が訪れたのでしょう。

 

蓮の葉っぱが残ってます

来年も花が咲くかな?

 

浮島も補強してある感じです

 

では、北側に廻って見ましょう。

こちらもキツネかな?

左右の側面にキツネということは、現世利益・商売繁盛の宿場の弁天様だったのかな?

劣化はしているけど、まだまだ見応え有りです

 

柳と弁天様、いいコンビなんですけど

案内板というか説明板というか、落ちかかってます。

 

なるべく正面で、参拝です

位置関係からすると、かつては真光寺の管轄だったのでしょう。

明治の神仏分離によって、お寺の手を離れて、こんなに寂しい弁天様になってしまったのかな?

 

後ろでは元気なお年寄りがゲートボールをしています

 

ひめちゃん達がよく通る諏訪神社でも、一時はお年寄りがゲートボールでにぎわってました。

いまは全くその姿を見ません。

 

公園なので、子供用の遊具もあります

子供の姿は全くありません

 

駐車場の向こうを、ちょっと覗きます。

あれが、有名な境高校のトウカエデですね

学校の校庭では、ここから眺めるほかありません。

 

ところで、トウカエデってどんな木なのでしょう?

検索すると、「トイカエデ」は、唐の楓の意味で、揚子江沿岸一帯を原産とする楓の仲間とあります。

紅葉や新緑が美しく、さらに丈夫なので街路樹としても多く植えられているということです。

さらに、享保9年(1724)に、中国から幕府に寄贈されたのが始まりともあります。

 

群馬県・林業試験場のHPに、このトウカエデの記事があります。

林業試験場で増殖した県指定天然記念物「境高校のトウカエデ」の後継樹が伊勢崎高校敷地内に植樹されました。「境高校のトウカエデ」は境高校の敷地内にあり、推定樹齢180年、樹高23m、幹周3.2mの大きさで、みごとな樹形を示し、平成4年に県指定天然記念物に指定されています。

 

200年前に伝わって、樹齢180年ですか

かなり早い時期の植樹です。

やはり例幣使街道境宿の繁栄の記憶でしょう

 

さて、次は近くにある飯福神社を目指します

 

 

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一茶も立ち寄った本陣跡(境宿・織間本陣跡)

2020-10-31 19:36:34 | 群馬県・中毛

寒い寒い夜が明けました。

ひめちゃんたちには、昨夜から床暖マットが入りました。

ジャストタイミングでした

今朝は組み合わせを間違えたおとうさんに連れられて、先に獅子丸とタバサねーちゃんが出かけてしまいました。

ひめちゃんは、小次郎パパともお散歩です。

 

おや、ひめちゃんたちの足下に、霜が残ってます。

大分溶けているけど、残ってます。

夕べが寒かったわけです。

初霜です

もう、明日から11月ですものね。

昨日は冷たい風も吹きました。

干し柿ができる季節になりました。

残念ながら、ひめちゃんちの市田柿はほとんど実を付けませんでした

こんなことは初めてです。

甘柿の方は、いつものようにたわわに実をつけてくれました

 

獅子丸とタバサねーちゃんには、共通の性格があります。

まず、基本的にとてもフレンドリーです。

次に、ぬいぐるみを大事にします。

 

獅子丸は、今朝もぬいぐるみを持ってお散歩に行こうとしました

彼のお部屋(サークル)には、五体満足なぬいぐるみが健在です。

ハウス(小屋)は、かじっても、ぬいぐるみは傷つけていません

 

タバサねーちゃんは、このクマさんと何年暮らしているのかな?

くわえてウエルカムダンスをしますけど、振り回したりしません

 

これと同じクマさんは、ひめちゃんにもあげたはずです。

でも、ひめちゃんにとっては、獲物なのでしょう。

ひめちゃんのクマさんは、何度もくわえて振り回されて解体新書されて、まもなく昇天してしまいました

 

タバサねーちゃんも10歳過ぎましたけど、やんちゃな弟と元気にお散歩しています

 

 

 

旧佐波郡境町は、実家の隣町です。

昔、実家の親たちはよく境町まで買い物に出かけていました。

実家に行ったり深谷に行ったり、国道17号線の上り下りに、通過しても、立ち寄ることは有りませんでした。

地図を眺めていて、史跡や神社仏閣がいっぱいあることに気づきました。

ちょっと、境町の史跡を探訪してみましょう

 

国道17号線を、「島村渡船入り口」の表示のある、境交番前で降ります。

境交番、ちょっと抵抗があります。

合併前は、堺警察署だったのです

 

まず、旧例幣使街道・織間本陣跡を確認です。

大きなスーパーマーケット駐車場の一角にあります。

何もないということですけど、まあ何もありません

時鳥我身ばかりに降雨か 一茶  一七九一年三月 織間本陣にて

ですって

一茶って、あの小林一茶ですか

ここに来たのですか

 

説明板があります。

本陣は例幣使街道を上下する諸大名をはじめ、特に毎年四月京都より下向する例幣使や公卿問跡衆の休憩を主とした。

寛政三年(1791)四月十二日、小林一茶は江戸から信州に行く途中、織間本陣の家主である俳人専車を訪ねたが不在で会うことができなかったので ー時鳥 我身ばかりに 降る雨かー の句を残して立ち去ったことが残して立ち去った事が一茶の帰郷日記に書きとめられている。

 

一茶が立ち寄ったのは、碑の方は3月ですけど、説明板の方は4月12日です

時鳥(ほととぎす)は、夏を告げる鳥といわれていますね

もし織間本陣家主の俳人専車がいたら、俳人小林一茶のその後の人生が違ったかも知れませんね

 

ウィキペディアによると、

「この旅は、一茶にとって14年ぶりの帰郷であったと考えられる」とあります。

一茶の14年ぶりの帰郷は寛政3年3月26日(1791年4月28日)に、江戸を出発した。下総で一茶は同門の葛飾派の知己を廻り、餞別を集めて旅費の工面を図った。~(中略)~4月8日江戸に戻り、2日後、故郷へ向けて改めて江戸を出立した。一茶は基本的に中仙道を進み、碓氷峠を越え、軽井沢付近では前述のようにかつて見た光景と一変した浅間山周辺の荒涼とした光景を描写している。

 

基本的に中仙道でも、境宿に立ち寄っています。

ということは、深谷か本庄で北に向かい、利根川を渡ったことになります

もしかしたら、「島村の渡し」を渡ったかな?

 

 

 

 

 

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伊勢崎は広かった・その 4(島村渡船と金井烏洲の記憶)

2020-10-05 20:13:45 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、お散歩です。

ムラサキシキブの実が色づいています。

才媛に見えますか?

堀之内の西側を通って帰ります。

ススキの似合う風景になってきました。

小次郎パパとタバサねーちゃんが、神社の方から帰ってきます。

このガードレールのむこうは、何度かアオサギが飛び立ちました。

 

 

島村渡船→の表示がありました。

ちょっと細い道ですけど、行ってみます。

「島村蚕のふるさと公園」です。

駐車場にもなってます。

案内図です。

少し歩くようです。

あれ、国道17号線も、さほど遠くはりません。

五十子の陣跡(国道17号線・日の出4の信号と四捨坂下の中間あたり)からも、4~5㎞くらいでしょうか?

川の流れは度々変わったということですけど、その昔、左上の粕川と広瀬川が合流したあたり(伊勢崎市の勢の字の下あたり)に、長尾景春の乱を避けて、関東管領上杉顕定が岩松氏・横瀬氏を随えて上陸、上野に退却したといいます。

地図をみると、「さもありなん」という感じです。

そういえば、上野国山上の膳氏・山上氏も五十子に参陣していたといいます。

ここらへんを渡っていたのかな?

 

渡船場へは、ちょっと上り坂です。

やっと、利根川が見えてきました。

ボートが見えます。

やってるかな?

車が2台見えます。

 

「こんにちは

「舟に乗りに来たんかい? 船着き場が、台風で壊れてしまってやってないよ。何度修理しても、台風でやられちまうんだ

「それは残念でした。船着き場の写真だけでも、撮って帰ります。ありがとうございました

ボートは個人の運行のようです。

 

ここが船着き場だそうです。

残念

何度も乗ったという人がいて、勧められていたんですけど。

 

利根の流れを見つめて、さようならです

 

車を止めた案内所に戻ります。

校舎の裏に出入り口があります。

よかった。

近道で、戻れました

 

 

さて、史跡金井烏洲一族の墓も確認していきましょう。

県道258号線に出て帰りながら、ストリートビューで確認した路地を曲がります。

大きな墓地がありました。

何の表示もありません。

「見学用の駐車お断り」の看板があります。

何のことだろう?

ダメかな

道なりに右カーブをのろのろ運転です。

 

あれ、ありました

左側に「史跡・金井烏洲と一族の墓」の説明板があります

烏洲は、天保三年(1832)関西に行って、頼山陽とも交流があったのですね

このころから、画家として高く評価されるようになったのですね。

尾島の前小屋天神で、渡辺崋山と交流したのは、天保二年(1831)10月29日です

翌30日、烏洲は華山を二ツ小屋の渡しまで送りました

 

やっと見付けた金井烏洲の記憶です。

でも、駐車スペースなし

やむを得ず、ウインカーをだして、路上駐車です

大急ぎで、金井烏洲の墓石を探します。

 

む、何だろう?

大正7年に、金井烏洲が勤王の功績によって従五位にですって

 

あそこかな?

後ろにありました

合掌

 

 

自宅をナビに入れて、上武大橋を渡り、国道17号線(上武道路)に乗って帰ります。

三和で降りて、県道293号線で帰りました。

 

境島村への293号線付け根にあるコンビニで、撮影です。

ここの少し先まで伊勢崎市です。

あの道から17号線に乗り、伊勢崎をひたすら南に、最南端の伊勢崎に行ってきたのです

ああ、伊勢崎は広かった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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伊勢崎は広かった・その 3(養蚕農家群と菅原神社)

2020-10-04 19:56:04 | 群馬県・中毛

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと、南の方にお散歩に出ます。

タバサねーちゃんと獅子丸が、後ろからやって来ます。

おや、獅子くんがおねだりを始めました。

ちょうだい、ちょうだい

だめ、タバちゃんが先だよ

こんどは、僕だよ

獅子くんも、カリカリのつぶつぶドッグフードを数粒もらって、ご機嫌です

ひめちゃんと小次郎パパを無視して、追い越して行きます

 

 

田島弥平旧宅の門から、同じような造りの家が見えます。

こちらも、150年前の養蚕農家です。

しっかりした造りです。

実家の曾祖父は、確か文久2年か3年の生まれでした。

彼と同じ時代に生まれ、今日迄生き残ってきたんですね

 

弥平さんちの隣、本家の武平さんちです。

立派な屋敷神とあります。

本当にりっぱな屋敷神です。

武平さんは、弥平さんと共に、島村養蚕業の指導者として活躍しました。

あれ、母屋の写真を撮り忘れました

 

こちらも、どっしりとしたりっぱな養蚕農家です。

 

どっしりとした養蚕農家です。

カーテンが開いています。

訪れる人がウチバなのかな?

 

 

こちらも150年を感じさせない、しっかりした造りです。

 

花の下の案内板いいですね。

 

こちらは、ちょっと奥まってますけど、雰囲気は十分伝わります。

 

更に行くと、あれ埼玉県ですって

もちろん、群馬県に戻ります。

 

田島医院、ここかな?

歴史を刻んだどっしりした造りのおうちです。

田島一族なのでしょう。

 

神社があります。

菅原神社です。

天神様の梅の紋です

向拝には、猫かな?

ネズミを退治する猫が大事だったのでしょう。

柱の獅子は、子供が一緒です。

本殿は中にありました。

 

石造物も少しあります。

鶏と猿がはっきりわかります

庚申塔ですね。

 

道なりにいくと、島村渡船ですって

行ってみましょう

以前、利根川の北側で渡船場を探して、見つかりませんでした。

再チャレンジです

 

 

(つづく)

 

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伊勢崎は広かった・その 2(田島弥平旧宅)

2020-10-03 20:35:35 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を出て、天神田(字天神の田んぼ)の東を歩きます。

小次郎パパとタバサねーちゃんも、やって来ます。

獅子くんのお食事がおなかなか終わらないので、先に行ってもらいます。

おや、おねだりしています。

みんなおやつのドッグフードが、お気に入りです。

以前は、カットしたビーフジャーキーを持って行ったりもしました。

最近は、シニア用のドッグフードでカリカリのを少し持って行きます。

何かの時に、ご褒美だったり、呼び戻し用に、持って行く習慣になってます。

 

振り返って赤城山です。

 

 

 

田島弥平旧宅案内所で、付近の案内図をもらいました。

案内所を出て、8⃣の角を曲がります。

 

角には、桑の陰に碑があります。

「島村蚕種業績之地」の碑です。

桑って、こんな形になるんですか

桑の間から失礼します。

明治の初め、島村は蚕種を直輸出していたのでしたね。

「利根の清流に培われ三百年の伝統を誇りし島村蚕種の灯ここに消ゆ」、寂しい表現です

「願わくは郷土の若人よ一致協力産業信仰に努め再び島村の名を天下に轟かされん事を」、すごいメッセージです

若人の皆さんは、頑張ってください

あれ、でももしかしたら学校がなくなっちゃったんですね

でも、郷土の若人の皆さんは、頑張ってください

 

角を曲がって突き当たが田島弥平旧宅です。

手前に顕彰碑があります。

 

弥平の著作「養蚕新論」版木が市の重要文化財とあります。

案内所で、文字の分からない人にもわかるように、絵で詳しく解説されていると説明されました。

その絵を描いたのは、金井烏洲(かないうじゅう)の弟さんだということです。

天保2年(1831)10月、金井烏洲は、渡辺崋山が利根川を渡って前小屋天神の書画会に来た時に、同席しました

華山は書画会の後、烏洲の案内で、高島の伊丹新左衛門宅に泊まりました。

翌朝、烏洲は二ツ小屋の渡しまで華山を見送りました。

散策案内図11、金井烏洲と一族の墓も寄れたらいいな

 

史跡・田島弥平旧宅の案内図があります。

田島弥平旧宅は、幕末から明治にかけて、優良な蚕種(蚕の卵)を生産する養蚕技法「清涼育」を体系的に完成させ、規範となる養蚕に適した蚕室を発案し、近代養蚕飼育の確立を図った田島弥平(文政5年1822~明治31年1898)の旧宅である。

 

門の前におじさんがいます。

こんにちは

ここのボランティア・ガイドさんのようです。

 

井戸ですね。

家紋は、桐の花が7つの五七の桐かな?

 

大きな母屋です。

おや、「猛犬注意」の貼り紙です

ガイドさんによると、以前はここに犬がいてよく吠えていたそうです。

今は年を取って、家の中にしまわれたそうです。

「え、住んでるんですか

「住んでるよ。」

「わあ、住みながら見学者を受け入れてるんですか

「そうだです。だからカーテンは引きっぱなしです。」

住みながら、一部とは言え、自分の内を公開するって、大変なことです。

猛犬も、まさかこんな運命だとは知らなかったでしょう。

 

大きな大きな母屋です

ありました

「遠山近水村舎」の額です。

京都に行って頼山陽に名付けてもらったと、案内所で聞きました。

遠山は赤城山、近水は利根川です。

 

おや、鳥居があります。

りっぱな氏神様です

 

あれ、カエルだ

しっかりカエルにみえる不思議な石です

 

貞明皇后行啓祈念碑です

大正天皇の皇后、貞明皇后が昭和23年(1948)に田島家を訪問したのです

ガイドさんによれば、さっき入ったあの門から皇后は歩いてこられたそうです。

当時子供で歓迎に出ていて、皇后に頭をなでてもらった80のおじいちゃんもいるそうです。

皇居で、皇后が養蚕をする宮中養蚕の復活にも田島家は関わっていたのです

 

本来はこちらが正門だそうです。

ガイドさん、いろいろありがとうございました

近くを散策しながら、戻ります

 

(つづく)

 

 

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