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黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの石山観音参拝記

2021-02-25 17:22:04 | 群馬県・中毛

小次郎パパは、ひめちゃんにラブコールを送ってます

昨日の夕方の父娘です。

もう少ししたら一緒のお散歩は、できなくなるでしょう

獅子丸は、今のところ特に意識していないようです

経験者と未経験者の違いかな?

 

 

 

牛石と同じように赤城山の山体崩壊による流山だという石山観音(伊勢崎市下触町)、帰り道の途中にあります。

寄って行きましょう

 

お寺のはずですけど、鳥居があります

鳥居をくぐって、前方の坂を上ります。

 

右手に山門(仁王門)が見えてますけど、横目に見て、坂の上の石山を目指します。

 

赤城山の山体崩壊、ということはこの石は赤城山の一部ということですよね

頂上に祀られているのは、八海山大神です

岩の間には、冨士浅間大神もあります

赤城大明神はおいでにならないようです

 

さあさ、お参りしてから、裏の石山に行きましょう。

相変わらずに、元気な仁王様です

こんにちは、お久しぶりです

 

タバサねーちゃん、大鰐口(おおわにぐち)をくぐります。

かつては、馬の無病息災を祈って、近郷近在から、たくさんの人が馬と共に参詣したんですね

タバちゃんにも無病息災をお願いします

 

隣はりっぱな鐘楼堂ですけど、鐘がありません。

戦争で供出したままかな?

 

本堂に参拝です

土足可ですって。

失礼します

真っ赤な龍と真っ赤な獅子です

賽銭を投入して合掌です。

以前お正月に来た時は、ご本尊様もご開帳になっていたと思います。

 

本堂の裏の石山を探検です。

まず東から攻めます。

これ以上裏には行けないみたいです

以前はには、裏山を回ったように思いますけど

 

本堂の西に廻ります。

華やかな時代があったんですね

 

左奥は、巨石と石造物のコラボです。

多くの人々が、祈ったのですね。

合掌

巨石の石山は、まさにパワースポットだったんですね

 

さて、帰りましょう。

タバサねーちゃんは、帰りも大鰐口をくぐります。

きっと御利益あるよね

足取りも軽く闊歩します

階段もなんのその

前向きに降りられます

おうちに帰って、冷凍焼き芋をチンしてお昼にしましょう

 

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白柴タバサちゃんの牛石訪問記

2021-02-23 14:56:29 | 群馬県・中毛

風の強い朝でした

でも、ひめちゃんと獅子丸はいつものように、堀之内を北に出てお散歩です。

赤城山は吹雪いています

堀之内の北を歩いてきました。

この道の東が堀之内です。

赤城山はまだ吹雪いています。

今夜は、湯たんぽ復活だね

 

 

先週の土曜日、暖かく静かな日でした。

お出掛け大好きなタバサねーちゃんは、「どこかにいこうよ。」

そうだね、お出掛けしよう。

 

最近、七ツ石神社や産泰神社の磐座(いわくら)を訪問しました

これらは、赤城山が山体崩壊をして崩れ落ちた流れ山だということです。

そして、(伊勢崎市)五目牛の牛石や石山の石山観音も、同じく赤城山の流れ山だそうです。

 

じゃあ、牛石に行ってみようか

何年か前に訪問しました。

記憶を辿って到着です。

あれ、説明板が新しくなってる

昔、源義経は京を逃れて奥州に墜ちて行く時、東道(あずまみち)を通ったと云われます。義経は少数の従者と黒い大きな牛一頭を連れていた。粕川の岸に着いた時、川は大洪水だった。川を無事に渡ることを不安に思い、試しに牛を川に入れてみた。牛は激流の中に姿を消した。その日は川をわたるのを止め近く民家に一泊した。翌朝水が少なくなった川辺に、水死した牛が伏せるように巨岩となり「にぐら」「つづら」「びょうぶ」も皆巨石と化した。

 

タバちゃん、さっそく情報収集です

 

牛石を上の方から眺めます

やっぱりなんとなく牛に見える

 

タバちゃんとおじさんは、奥の方に探検に行きました。

 

おかあさんは、すぐそばのもう一つの巨石が気になります

あれ、以前は前の方から上がれたと思うんですけど

仕方なく後ろに回ります。

石宮さん、何様か確認できません。

こちらも、流れ山なのでしょうね。

 

タバちゃんがおじさんを連れて帰ってきました。

何もなかったよ。

 

お天気がいいから、川沿いを歩こうよ

 

急遽、粕川沿いを歩きます

粕川って、こんなに水量豊かだったんだ

 

足取りも軽く、粕川沿いを闊歩です

 

あれ、カモさんとシラサギさんだ

近づくと、カモさんは飛び立ち、シラサギさんは姿を隠してしまいました。

粕川は、あの赤城の一番東にある小沼からはるばると旅をしてくるのです。

 

あたち、満足ですわ

そろそろ戻りましょう

ちょっと待って。

気になります。

大丈夫、さあ戻りましょう

お出掛け、楽しいね

 

 

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旧雷電神社だった上植木・上樹神社

2021-02-19 20:08:45 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、久しぶりに東の牧場のヤギさんに会いに行きました。

ヤギさんいるかな?

やっぱりヤギパパと1名のボクだけです

ほかのみんなはどうしたのでしょう?

まさか

ちょっと見えにくいですけど、「エサ×」の貼り紙です。

かなり深刻みたいです

 

バイバイ、又来るよ。

変なもの食べないでね。

拾い食いが得意な獅子くん、聞いてる

 

ふたりは、鏑木川の支流・沢田川を渡って、上の沼を目指します。

橋のたもとで、仲良く情報収集です。

獅子くんのひめちゃんに対する態度は、いつも通りです。

ひめちゃんと小次郎パパが歩く所に、だれか発情中の子がいるのかな?

 

坂を上って、タケイ沼です。

赤城山は、かなりの雪化粧です。

たくさんのカモさんがいます

いろいろな種類のカモさんが集まっているようです

 

サマンサ坂を通って、長安寺跡を通って帰ります。

見慣れた光景ですけど、今朝初めて、後ろの馬頭観音の台石に文字を発見しました

南勢多郡の廃寺・長安寺、もう一度探索の必要ありのようです

 

 

 

上植木の建長石仏の近くに、上樹神社(うえきじんじゃ)があります。

突然ですけど、寄って行きましょう

ほどなく、到着です。

上樹神社って、ナウい命名のように感じます

鳥居がたくさんあります

 

いきなり、「上樹神社玉垣奉納の由来」の大きな碑があります。

上樹神社は昔から懐かしい産土神(うぶすながみ)と慕われ上植木の土地の神様として親しまれ団結と融和を果たして参りました。

そうだったんですね

赤城国体が開かれた記念に、上樹神社も玉串を初めとして、社殿の修理その他がなされたのですね

 

 

村社上樹神社です。

ナウい命名のようですけど、けっこう古い社名なのですね

 

最初の額は「村神大明神」

 

次は、「鹿嶋大神宮」

3

番目が、「上樹神社」です

 

次は、諏訪大明神

 

次が八幡宮です

 

次は、富杏嶽神社?

 

最後七つ目の鳥居は、額がありません。

鳥居だけです。

そばに、「上蓮太々講大正十五年三月九日伊勢両宮参拝太々神楽奉奏記念トシテ上樹神社ヘ大鳥居ヲ奉納ス」

講を作ってみんなで伊勢神宮に行って、伊勢神宮で太々神楽を奉納したんですね

 

 

上樹神社の由緒があります。

旧雷電神社とあります

主祭神は大雷神ですね

正親町天皇の永禄十一年萩田備中守赤石城主となり此の地を領するに及び社殿を修築し旱魃に際して雨を請い土民の安穏を祈願した。~(中略)~社殿は現在の地より当方四十間の所にあったのを寛永年間に移した。厳社殿は慶応三年に封建されたものである。

 

大雷神の活躍する雷電神社だったんですね。

 

 

拝殿で参拝です。

鳳凰と龍がいます

木から掘り出されたものなのに、生き生きしています

 

木鼻の獅子は、なんとなく気難しいバージョンの獅子くんみたい

 

本殿もきっとすばらしいと思いますけど、ちょっと近づきがたい

無理をせず退却です。

 

あれ、大きな山神様です

雷神様も、山神様も、農業には欠かせない神様ですね

 

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『念仏往生伝』の記憶を訪ねて(上植木の建長石仏)

2021-02-17 20:46:52 | 群馬県・中毛

今朝、ひめちゃんは小次郎パパとお散歩に出ました。

道沿いの竹藪に、ヤブツバキがきれいに咲いています

ひめちゃんとコラボで「椿ひめ」を撮りたいけど、ひめちゃんは興味なしです。

仕方なく、パパと椿のコラボです。

ボクもあんまし興味ないよ

パパはどうも、ひめちゃんに興味があるようです

ひめちゃん、もしかしたら恋の季節が来ているかな?

パパに気を付けながら、堀之内を北にでて、歩いてきました。

サクラソウのマンホールの蓋も踏みしめながら

サクラソウは、旧新里村の村の花でしたね

 

 

 

(伊勢崎市)下植木赤城神社からの帰り、上植木の建長石仏(けんちょうせきぶつ)に寄ります。

建長とは、鎌倉時代の年号で1249年~1256年です。

改元が激しい時代に、ちょっとだけ長い年号です。

そして、上野国山上で記された『念仏往生伝』に、何人かの人が念仏往生している年号です。

これは、絶対に寄らなければなりません

 

住所・上植木本町996-5をナビに入れて出発です。

個人のお宅のような門柱に、「上植木建長石仏」の文字があります。

入っていいのかな?

ためらいながら車を乗り入れて、到着です。

振り返って門柱です。

 

駐車スペースもしっかりあります

こんにちは

 

説明板も、ちゃんとあります。

右側の背面に建長三年(1251)の銘があるのですね

700年以上の歳月、人々を見守ってきたのですね

合掌です

 

隣に馬頭観音とお馬の親子です。

この親子に起こった出来事の碑があります。

かなりの要約です。

けがをした子馬を置いて、ママさん馬はご主人とお仕事に行きました。

子馬にお乳をあげたいママが綱をかみ切っておうちに戻ろうとしました。

その時、運悪く電車がやって来て、ママは電車にひかれてしまいました。

 

同行のおじさん、ウルウルです

 

歌があるのですね。

おじさん、さらにウルウルです

 

佐韋の花園(佐位郡の語源)です。

百合は古くは早由里ともいわれ、もっと昔はただ「佐韋」とも呼ばれた。粕川はかつて佐位川とも呼んで白百合が多く乱れ咲いていた。明治29年迄は、広瀬川より東は佐位郡と呼ばれその語源は佐位からとったもので、百合の郷であった。

そうだったんですか

 

上植木廃寺跡の礎石もあります。

そういえば、上植木廃寺跡も近くです。

上植木廃寺には、新里の雷電山付近にあった瓦工房の瓦が、使われたといいます。

雷電山には、『念仏往生伝』の編者・行仙上人が居たかも知れないのです

 

 

 

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赤城塔を訪ねて(下植木赤城神社)

2021-02-16 19:33:51 | 群馬県・中毛

晴れました

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

日の光を浴びて、影のあるお散歩は気持ちがいいね

ボクは道草たべたい

獅子くん、いつもの道草スポットを素通りが気に入らん

 

岩神沼に到着です。

 

赤城山の東の峯には、雪があります。

あの向こうの小沼から、粕川が流れ出しているのです。

少しさざ波の立つ岩神沼でした。

さて、アマビエさんの前を通って帰りましょう

 

あれ、獅子丸がどうしても上の沼まで行くと引っ張ります。

じゃあ、廻りましょう

 

上の新沼(しんぬま)に到着です。

粕川が流れ出している小沼の辺りは、やっぱい白い。

粕川は、新里のお隣・旧勢多郡粕川村を流れ、伊勢崎市を流れ、やがて旧佐波郡境町の武士城跡付近で広瀬川に合流します。

今朝はシラサギさんだけです。

アオサギさんの姿はありません。

アオサギさんは、さっき岩神沼の辺りをパトロールしていました。

 

さて、赤目のロウバイをみて帰りましょう

おや、姿がありません。

あれえ、切り倒されています

道ばたで、特に邪魔にもならないと思いますけど

実はこの前通った時、この木の種を拾って帰りました。

芽が出るといいなあ

 

 

 

先日、伊勢崎市下植木(しもうえき)にある赤城神社の赤城塔(宝塔)を訪ねました。

駐車場はなく、路上駐車で、駆け足で参拝です。

村社郡玉明神とあります。

郡玉明神の時代があったのですね。

よくわかりませんけど、かなり古い由緒の神社のようです。

 

社務所前にも、由緒があります。

巨大すぎて、文字が多すぎて、よくわかりません

でも、古代には、桧隈君(ひのくまのきみ)が活躍していたのですね。

桐生とは異なる、織物の起源です

 

社務所の後ろの、あの建物の中に、赤城塔(宝塔)みえます

手前のビニールシートの下は、何か発掘したのかな?

 

ウワー、大きい

 

説明板を確認です。

造立形態はさまざまですが、基礎部の刻銘などにより、法華信仰がうかがえ、北の天増寺にある「天増寺宝塔」(県指定重要文化財)とともに、当時、この地方に法華経にともなう信仰が広がっていたことがわかります。特に、貞治の宝塔の基礎部には、「奉造立植木宮石塔事」として願文とともに、織物と関係の深い秦姓(はたせい)の四名の名を刻んでいること等が特徴です。

 

桐生とは全く異なる「伊勢崎の織物」の起源を、再び確認です

 

赤城塔は、法華信仰との係わりがあるのですね

 

さて、拝殿で参拝です

鮮やかな拝殿です。

鈴を鳴らせないように、工夫してます。

 

生き生きした木鼻の獅子です。

まるまる赤ちゃんの獅子くんみたいだよ

 

 

本殿も鮮やかです。

 

神話の物語かな?

もしかして須佐之男命?

反対側の神様?

ちょっとボケボケになってしまいました。

 

赤城塔といわれる宝塔は、赤城山中の小沼から流れ出す粕川沿岸に分布しているのですね

そして、それは、法華信仰による造立だったのですね

 

赤城塔を訪ねて、あちこち歩いてみましょう

 

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