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黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

「南・五料の謎」解決編(例幣使街道・五料の関所)

2020-12-17 20:04:42 | 日光裏街道

寒すぎる朝でした

ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場の方に行きました。

自分で行こうと行ったのに、何故かちょっと不機嫌そう

ヤギ家族はみんな元気そうです。

ヤギパパさん、にっこり

バイバイ、またね

 

鏑木川の支流、沢田川を渡って、坂の上の沼に行きます。

 

おや、大きな鳥がいます

アオサギです

 

カモもたくさんいます

少し前まで、ここは鯉の養殖をしていました。

枯れかかった大木の下に、管理小屋がありました。

 

北側の沼にも、カモの姿があります

この2つの沼は、周囲の田んぼや川より、ずっと高い位置にあります。

どこから水がやってくるのだろう?

 

ひめちゃん、ちょっと心配顔です。

大丈夫だよ、もう通学時間は過ぎてるから

 

やっと、落ち着きました

早く帰って、ご飯にしましょう

 

旧長安寺跡を通って帰りました。

立ち上がるのが得意な獅子くんです

輝く瞳のひめちゃんです

 

堀之内に戻ると、赤城山が姿を現していました。

うっすらと雪化粧した赤城山です

 

 

 

柴宿本陣跡を西に行き、柴町の信号を過ぎると、まもなく長い橋です。

五料橋です。

信号を右折して北上すると、県道104号線、駒形柴町線です。

駒形を北上すると、大胡です。

あの「南・五料」と道しるべにあった交差点に到達するのです

 

橋を渡ると、五料です

史跡・五料関所跡を確認です。

橋を渡ってすぐの常楽寺前に、ちょっと駐車です。

「五料関所跡→」に従って、路地を入ります。

郵便局を過ぎると、また「五料関所跡→」の表示です。

 

矢印の方向に曲がってまもなく、ありました

やっと残っているという感じです

「街道を行く12 日光例幣使街道」によれば、

「入鉄砲に出女」の監視を厳重に行うとともに、利根川の舟の監視の役目も担っていた。五料河岸は利根川最上流の公認河岸で、五料と柴宿の渡し場でもあった。

 

説明板には、門の沓石と井戸が残るとあります。

でも、門柱の礎石だけかろうじて残っているようです。

奥の門から入り、左下の門柱を出て、渡し場に行くようになっていたのですね。

柴宿から来たら逆ですよね。

 

利根川の方に行ってみましょう

あの橋・五料橋を渡ってきました。

赤城山が見えます

日光裏街道は、あの山の麓を目指して行くのです

 

橋のたもとに、この橋の説明板がありました。

その一部です。

この場所は朝廷から日光に参賀する「例幣使」が利根川を渡舟した(五料の渡し)ところでもある。

明治に入ってから、五料の渡しには、木橋やつり橋が架けられるようにが、大水の度に必ずといっていいほど流されたため、渡し船は依然として両岸を結ぶ主力交通手段であった。現在の橋は、昭和46年に県内初のデビダークエ法によって架設されたコンクリート橋である。

 

日光裏街道は、この橋を渡って柴宿から始まっていたのです

「南・五料の謎」、大胡宿の道しるべに導かれてここまで来ました

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七海ママのふるさと3・柴宿本陣跡

2020-12-16 21:22:54 | 日光裏街道

ひめちゃんたちには、昨夜から湯たんぽが入りました

レンジでチンの湯たんぽです。

何年か使えますけど、毎年1つくらい壊れて、買い足しています。

昨日思いついて、ジョイフル本田に行ってきました。

最後の2個のうちの1つを買ってきました。

これから春まで、毎晩お世話になります

 

今朝、ひめちゃんは小次郎パパと堀之内を北に出ました。

赤城山は吹雪いています。

獅子丸とタバサねーちゃんが追い越して行きます。

お散歩の終盤には、大分日射しが出てきましたけど、まだ赤城山は吹雪いていました。

本格的に冬到来です。

 

七海ママは、おうちでしっかり食べてしっかり寝ています

 

 

 

七海ママのふるさと・柴町の柴宿本陣跡を目指します。

県道142号線を少しゆっくり慎重に走ります。

何回か通っているはずですけど、全く記憶になく目に付いてもいないのです

 

ありました

沿道に目立つ松があります。

松を過ぎると、柴町住民センターです。

ちょっと駐車させてもらいます。

 

おや、例幣使街道の案内板もあります

雷電神社は、行ってきました。

那波城趾碑は、那波城趾本丸址とは違う場所です。

那波城趾本丸址は、第二中学校の付近です。

おや、下の天明地蔵は行った事あるぞ

五料の渡しも、すぐです

 

住民センターの前には、柴宿本陣跡のバス停です。

みごとな松です

よく倒れずに踏ん張ってます。

 

門の脇に説明板です。

 

ちょうど植木屋さんが作業中です。

「こんにちは。」

「こんにちは。どこから来たんだい。」

「桐生です。まあ、桐生と言っても西の桐生市・新里です。」

「新里の植木屋さんは、○○園さんだよね。県内の植木屋仲間はみんな知り合いだよ。」

「そうなんですか

「みごとな松ですね

「群馬県内他にはないよ。本陣にこういう風に松が残っているところなんて。」

「お手入れしているから、松は生きているんですね 前が県道で、排気ガスを浴びているんですね

「前よりは、良くなったよ。前の道が国道じゃなくなって、交通量がズーと減ったよ

 

つい近年まで、前の道は国道354号線でした。

北に新しい国道354号線ができて、県道142号線に格下げになったのでした。

 

側溝があります。

「街道を歩く・日光例幣使街道」の地図の説明では、

柴宿は寛永19年(1642)に宿駅として整備された。宿内の道路中央に流れていた堀は、蓋をしてあるが現在側溝として残っている。堀の南が旧道の一部で、宿の中央に本陣の関根家があり、棟門と老松にその面影を残している。

そうすると、この側溝が日光例幣使街道の道の真ん中で、道の真ん中に堀が流れていたんですね。

北側は、県道142号線の一部になり、南側が日光例幣使街道の名残ということですね。

 

本陣跡の邸内にきれいな山茶花が咲いています

植木屋さんによると、古い品種だということです。

山茶花も、いろいろな品種があるのですね

 

五料の渡しも、すぐそこです

 

 

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南・五料の謎

2020-11-26 15:41:57 | 日光裏街道

ひめちゃんと獅子丸の両親は、七海ママと小次郎パパです。

まだ二人が若かりし頃、2007年の夏の、懐かしい写真が出てきました。

 

蓮の季節に、赤堀蓮園(天幕城跡)に出かけました。

あれ、パパのシッポが巻いています。

このころ、赤城南面に「ドイツ村」があって、園内にドッグランがありました。

比較的すいていたので、よくでかけました。

思いっきり走って、水遊びもしました。

どうみてもパパは巻尾です。

今では、その面影もなく、しっかり指尾です。

どうしちゃったのでしょう?

別に不自由はないようですけど。

 

 

大胡町の町中に、目立つ道しるべがあります。

先日、ちょっと駐車して確認しました。

「南 五料 伊勢崎」

「東 文化六己巳年六月 世話人 奥泉文平 江原忠兵衛」

え、五料って、あの日光例幣使街道の五料宿ですか

確かに距離はあるけど、南にありそうです。

「西 前橋 米野」

ちょっと見にくいですけど、「北 日光 大間々」です

どうして日光の表示があるのだろう

 

大胡町の文化財を検索すると、この道しるべがあります。

日光例幣使街道の脇道は、日光裏街道あるいは日光脇往還と呼ばれていました。その1つ、五料(現玉村町)から駒形、茂木を経て、大胡宿に入り、大前田、馬場、室沢、板橋(現桐生市新里町)を過ぎて神梅(みどり市)で足尾銅山街道に合流する街道は、平坦な本街道に比べて、道幅も狭く険しいながら、近道として利用されました。この道造に道しるべがあり、当寺の往来をうかがわせます。

日光裏街道の道しるべですか

新里の板橋も、日光裏街道が通っていたんですね

 

 

もう一箇所、「河原浜の道しるべ」があがってます。

「右桐生・大間々、左日光」と堂々たる文字が刻まれた幅34cm、奥行き18cm、高さ64cmの方柱の道しるべです。造立年月日、造立人などは記されていません。元は河原浜(旧向町)丁字路にありましたが、現在は向町会館に移設されています。

 

これは確認しなければなりません

昨日、用足しがてら、道しるべの確認と日光裏街道を辿って帰宅しました。

 

信号待ちの車の中からの撮影です。

ちょっとぼけていますけど、ご容赦

向町の信号です。

最近はめったに通りませんけれど、昔はよく通りました。

右折します。

 

まもなく、右手に向町会館があります。

バス停は、向町公民館です。

狭いけれど、ちょっと駐車です。

ありました

確かに堂々たる文字で「左日光 右桐生大間々」と刻まれています。

あの信号の角にあったのですね。

左日光は、だいたい県道333のようです。

こちらから帰ってみましょう

 

途中、ちょっと双体道祖神があるという応昌寺に寄ります。

詳細は後日

 

応昌寺から県道333号線に戻ります。

左折です。

 

左折すると、赤城山が見えます。

昨日ははっきりしないお天気でした。

 

前橋市指定史跡五輪塔を右折します。

駐車スペースが見つからないので、探索は後日に持ち越しです。

ちょっと丸みを帯びたやさしい五輪塔にみえました

道なりに東に進みます。

 

赤信号で、車の中から1枚

馬場町です。

日光裏街道の宿場として、馬場がありました。

 

ひたすら東に走ると、突き当たりです。

県道333号線は、左折します。

 

左折すると、室沢(むろさわ)の全徳寺です。

室沢も、日光裏街道の宿でした

ここにも双体道祖神が有ります

現在は、堂宇の中に祀られています。

そして、ここは山上の常広寺の末寺で、現在は常広寺が兼務しています。

たくさんの人々の往来があった室沢宿の全徳寺は、もしかしたら常広寺の繁栄に大きな役割をしたかも知れません

 

右折し旧新里村に向かいます。

赤城神社があります。

先月の18日、通りかかったときには、祭礼のようで幟があがっていました

やはり元気に見えます。

昨日はいつものように静かでした。

 

さて、県道333号線は、足尾銅山街道と合流はまだ先です。

続きはまた後日ということで。

ひめちゃんたちの待つおうちに帰ります

でも、新里の北部の板橋が日光裏街道の宿だったなんて

宿場として、誇る文化があったはずですね

 

 

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