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黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桐生川紀行総集編・御朱印がほしい池月の寺(高園寺)

2019-09-08 20:30:22 | 桐生川紀行
朝、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、高縄の集会所を過ぎ、牛舎のある所に出ました。
このあたりには、石造物がありますけど、草に埋もれています。
子牛の牛舎がありました。



道を通る人や犬を見て、子牛は何を想うのでしょう?
すぐそばの石造物は、草から顔を出しています。



石造物がいくつもあるということは、人々の往来があったということになりそうです。
どこへ行く道だろう?
もう少し頑張っていくと、関の摩崖仏に出ます。

石造物の所を右折して、細道に入り、田んぼ道を帰ります。



振り返れば、裾野は長し赤城山です
左手の青い屋根が牛舎です。
子牛たちの牛舎は、その裏手です。
田んぼには、雀よけの黒いビニールのカラスが飛んでます。





皆沢八幡宮からの帰り、初めて梅田湖に寄りました。
橋を渡ってさーて駐車場は?
大きな駐車場がありそうでしたけど、公共の駐車場は片隅に少しだけでした



梅田湖は、桐生川をせき止めたのですね。
ということは、湖底に沈んだ村もあるのでしょうか?
橋の南の風景です。



北側の風景です。



橋のそばから琴の音のBGMがながれていました。
和風レストランがあるのです。
それなりのレジャースポットのようです。



県道66号線をくだります。
石造物とか、お寺の表示とかがいくつも現れます。
寄りたいけど、予備知識がない


そのうちに、とても目につく看板がありました。
「名馬池月の寺高園寺」
え、あの宇治川の先陣で活躍したあの池月
ちょっと、寄ってこうか



駐車場にいきなり名馬池月の説明板です。



名馬池月は高園寺の本堂脇にある池で育てられたとあります



山門前に、古い石造物がいくつもあります



庚申塔が多いですが、青面金剛もあります。

山門脇にも青面金剛です。



ちょっと女性的な感じです。

山門の仁王像は新しそうです。
山門をくぐると、また青面金剛があります。




力強く活躍中のイメージです。


クラシックテイストの本堂です。






いよいよ本堂脇の池月の池です。



大切に保護された池です



それでは御朱印をいただいて帰りましょう
庫裏を訪ねると、「うちは御朱印はやってません。」

県道にあんなに目立つ看板を立て、表示もしっかりして、訪問者は散策だけでいいのかな?
ぜひとも御朱印がほしところです



(訪問は2018年10月23日です)
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桐生川紀行総集編・六三大士の寺(長泉寺)

2019-09-07 14:37:38 | 桐生川紀行
ちょうど12年前の今日、若かりしころの小次郎パパの姿が残ってます。



おや、シッポがしっかり巻いています
今は巻があまくなって、指尾(さしお)のようです。
念のため、この頃の写真を確かめます。





しっかり巻いています
小次くん、巻尾(まきお)だったんだ






碧雲寺の後、県道66号線を北上して長泉寺(ちょうせんじ)を目指します。
長泉寺入り口には、目印の釣り鐘があります。




路地を上り駐車場につくと、いきなり「六三大士(ろくさんだいし)」の梅田の民話です。



六三大士とは、何でしょう?

六三大士を検索してもありません。
六三は六三除け、大士はりっぱなお坊さんくらいの意味でしょうか?
六三除けとは、年齢による身体の部分的な厄除けだそうです。
今年どこが六三に当たるかは、数え年を9で割り、余った数字で判断するそうです。
そして、六三に当たる場所と、具合の悪い場所とが一致する場合は六三除けの祈祷をするのだそうです。

ちょっと自分自身を計算してみました。
今年は六三に当たらないようです、よかった


医学の発達してなかった時代には、六三大士さまはありがたい存在だったのでしょう。
お礼のお酒がいっぱい届いたことでしょう
お酒の飲み過ぎで体を壊したりなんて、六三大士さまにはありませんよね。
どんなおいしいお酒が届いたのでしょう?
あれ、桐生に酒造メーカーはありましたっけ?
隣の大間々にはありますよね



山門を入ったら、さらに石段が続きます。



石段の脇に、お地蔵さんがたくさんいます。
お地蔵様の赤いおがけと、南天の実の赤が目立ちます。






かなりの数の石段を登ります




本堂にやっと到着です



本堂が桐生市の指定重要文化財なので、説明板があります。



戦国時代に桐生佐野氏関連で開創され、その後江戸時代の初め頃再興された可能性があるということのようです。



本堂の西南に六三大士堂はありました。







御真言があるようですが、わかりません



鐘楼堂も本堂と同じ雰囲気を漂わせています。



こういう鐘楼堂は初めてです



本堂の北東は沢になってます。



長泉寺は桐生川の支流の沢沿いにあるのですね。
お寺の立地条件の一つとして、当たり前かもしれませんが、川のあるところがあげられそうです。



静かで誰もいないようでした。
静かに退却です



山門下から、参道を望みます。




車がやっと通れるくらいの、細い上り坂です。
訪れた梅田のお寺の参道は、みんなこんな感じでした。
梅田は思いのほかお寺が多かったです



昔、忍山(おしやま)に藍染め工房があって、夏にはよく通ってました。
でも、途中の梅田の風景は何も見えていませんでした
今少し見えるようになりました



(訪問は2018年10月29日です)
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桐生川紀行総集編・出没しているのは何?(猿澤山鷹林寺)

2019-09-04 21:25:32 | 桐生川紀行
朝一番でお散歩に出た七海ママは、デナちゃんに逢いました。
ちょっと荒っぽいご挨拶です。







ナちゃんもママです。
母は強しです





県道66号線梅田界隈のお寺巡りを続けます。
梅田中学校を過ごし、忍山(おしやま)川を渡り、かなり上ります。
たしか北向き観音の大きな看板があったはずなんだけど

ありました
右折して細い路地を上ります。

山門前に石造物がたくさんあります。
このお地蔵様はお首が無事だったようです。



「この付近に  が出没しておりますので     してください。」
何が出るのでしょう?
イノシシか、熊か、鹿か、はたまた猿か、鷹(たか)か、鷲(わし)か?
一番大切な文字が消えています



猿澤山鷹林寺(えんたくざんようりんじ)、山門が市指定の文化財なのですね




山門下の石造物にも庚申の文字があります。
庚申塔がたくさんあります


山門を裏から眺めます。



素朴だけど、質実剛健な鎌倉時代という感じです。
だれもいなかったけど、何か工事中らしいです。



さらに上がって本堂です。







こちらにも石造物がいっぱいです

さわやか青年のような青麺金剛がありました



見ざる聞かざるの2猿がはっきりわかります

桐生市仏教会のHPによると、「堂宇は火災のため焼失、山門と客殿のみ残ったため、客殿を本堂として使用している。」とあります。
「寺の歴史については建物の焼失によってわからない。」としています。
そういいながら、一方で、「牛久の金龍寺の徒弟宝山宗珍和尚の山居の道場として開かれた。」ともいってます。
古くからあった可能性もあるし、由良氏がらみで何かあるのかもしれません



本堂の左手に、北向観音(きたむきかんのん)です。





はたして北を向いているかどうかは、わかりません。
でも、額に確かに北向観音とありました。

縁結び安産子育ての御利益があるということです。

御利益にふさわしく、お産婆さんの像があり、狛犬ではなく招き猫がいました



裏山には墓地が広がり、本堂の右手には「砂防指定地鷲沢」の表示がありました。



桐生川の支流になるのでしょうか?



南を望めば、柄杓山かな?





ここは現在無住で、菱の泉龍院が兼務しているそうです。
泉龍院は、厄除け・厄落としの寺として有名だそうです
そして、あの細川内膳の屋敷門が移築されているのだそうです



(訪問は2018年10月27日です)


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桐生川紀行総集編・彦九郎も訪れた二渡神社

2019-09-03 14:59:29 | 桐生川紀行
暑さも一段落して、七海ママはちい散歩に出掛けられるようになりました。
お供は、ひめちゃんです
上機嫌で帰ってきました。



案山子に護られた稲穂も、実って頭(こうべ)を垂れ始めました。






桐生川右岸の記事がいくつかあります。
根本山神社の関連で、根本山神社・栖松寺跡・碧雲寺の記事は先にアップしてしまいました。
残りの記事は、訪問日ではなく、桐生川上流(北)から再編集してみます。
桐生川右岸を下りながら、史跡巡りです





塩之宮神社からしばらく行くと突き当たりになりました。
左に行くしかなさそう、桐生川を渡りました。
県道66号線に出ました。
少し北上し、旧道の方にハンドルを切ります。
旧道の方から桐生川ダムに出て帰ろう

確かに旧道という感じで、静かな通りです。


あ、神社がある

道の左側に古い神社があります。



鳥居の上部がちょっと心配です
二渡神社(ふたわたりじんじゃ)とあります。


道の反対側には、鬱蒼(うっそう)たる木立の中に埋もれて、桐生川が静かに流れます。



静かすぎる境内です



狛犬も苔むしています。






拝殿の奥に本殿もあるようです。




後ろに弁財天宮があります。



かなりこだわりの弁財天宮です。
お堂の右の石には水神とあります
水を引けるのでしょうか?





弁財天はお寺に祀られていることも多いですが、しっかり弁財天宮、神社の末社です。
でも、水を忘れていないところは普通の弁財天と共通です


本殿(拝殿)を一周すると、やはりしだれ桜が目立ちます



春にはきっとすばらし景色になるのでしょう。
ぜひそのころに訪れたいものです。

さて境内を一周しましたが、由緒等はありません。
二渡は地名だろうということは見当がつきましたけど。



帰宅後、いろいろ検索しました。
このあたりは桐生市梅田町4丁目であるけれど、かつては二渡村(ふたわたりむら)であったことがわかりました。
そして、忍山(おしやま)温泉のあった忍山も二渡村でした。
あの高山彦九郎は、『忍山湯旅の記』を残していました。
忍山の旅は、彦九郎29歳、安永4年7月29日から8月14日まです。
「8月1日に、猿田彦大明神(いまの二渡神社)へ行く」と日記にあるそうです。

二渡神社は猿田彦大明神だったのです。
明治になって、いろいろ合祀して二渡神社になったようです。
猿田彦(さるたひこ)は天孫降臨の時に道案内をした神様だそうです。
彦九郎としては、訪れておきたい所でしょう。

太田市の高山彦九郎記念館には行ったことがあります。
ここは新田郡細谷村(ほそやむら)でした。


彦九郎は実にまめに旅の記録を残しています。
記録を残すことは大切です
まったく関係ないと思った二渡神社が、かつて新田郡細谷村の高山彦九郎が訪れていたなんて

(訪問は2018年11月5日です。)




彦九郎が訪れた8月1日は旧暦ですから、ちょうど今頃になります
今年は桜の季節に行けませんでした
いつかしだれ桜の二渡神社を訪れたいです

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桐生川紀行総集編(水没した飛駒今倉から移転・大慈山碧雲寺)

2019-08-29 13:52:16 | 桐生川紀行
タバサねーちゃんが動きません。
小次郎パパも付き合います。



しばらくすると、ひめちゃんと獅子丸がやって来ました。



パパ&タバサねーちゃん、ひめちゃん&獅子丸の4名の大軍団(?)で堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台をお散歩します



西の方に、かすかに榛名山が見えます
榛名山の姿が見えるのは、本当に久しぶりです

赤城山は青く見えています



もうキャベツの苗が植えてありました



秋の足音が聞こえます






栖松寺の墓地に地続きという感じで、大慈山碧雲寺(だいじさんへきうんじ)があります。

桐生市仏教会のHPによると、
もともとは上野国山田郡梅田村字二渡の戦場(いくさば)にあった。後に栃木県安蘇郡田沼町大字飛駒字今倉に移った。県境変更により、群馬県桐生市になり、ダム建設により昭和55年現住所に移転した。(非常にわかりにくい記述なので概略です。)


桐生川のこちら(右岸、西側)にあったのが、あちらに移り、またこちらに移転したのですね。
戦場(いくさば)は、桐生川ダム(梅田湖)のほとりにあります。



ここを左に上り県道66号線に出ると、戦場(いくさば)というバス停がありました。
バス停があることは、とてもすばらしことです
新里は桐生市に合併してから、バス路線が廃止になり、それに伴ってバス停も消滅しました



碧雲寺は山の側面をうまく利用して建てられています。






石造物も、持ってきたのでしょうね。




六地蔵は新しそうでした。
不動堂(?)に新旧の不動像がありました。
中央の新しい不動像です。



「桐生川ダム建設移転記念」とあります。
ねずみ取り用の毒団子がおいてあります
まさかお不動様はお菓子でできてるわけではないですよね


本堂には、大わらじが奉納されていました。



桐生市仏教会のHPによると、これは平成6年3月に奉納された、2mのわらじということです。
わらじを奉納することは、足腰の健康、ひいては体全体の健康を願うことのようですね


ご本尊は釈迦牟尼仏ということです。





本堂脇には、白山さまがありました。



それなりの歴史がありそうな白山さまです。

すぐ近くに根本山神宮も引っ越してきてるのですけど、まあ今の時代心配いらないのでしょう。
根本山信仰、白山信仰、ともに修験道だったと思いますけど。
御朱印をいただこうと声をかけましたが、誰もいないようでした



近くを少し散策してみました。



何年か前に柄杓山の本丸跡に登りました。
もしかしたらここを上ったのかな?
城山入り口はここですものね。
でも、根本山神宮も栖松寺跡石仏群も碧雲寺も、まったく記憶にないのです
何年か前でも、やっと通れる感じでした。
車を止めて、あるかなきかの山道を登りました。
何が出てもおかしくないです

桐生市にとって、柄杓山は大切な史跡だと思いますが、ちょっと忘れられている感があります。

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