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桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

リハビリを始める

2016年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム
8月30日(火)

実は29日にもブログを書いたのだが、せっかく出来上がったものを消してしまった。
なんてバカなんだろう!ワ・タ・シ!


<29日>
今までは必ず原稿を書いていたが、いきなりそのままにしようとしたのが失敗の元だった。
また、原稿から始めるとしよう。

29日には、自分で出来るリハビリを始める事にした。
先ず、シャワーにかかり、洗濯をする。姉が二階まで運んでくれた洗濯物を干す。
その後、食器を洗ったり、炒め物をしたりもやってみた。今までも30分も炊事をするときつかったが、もっと、大変だと分かる。

庭へ出て車を置いていた場所で歩く練習をする。道路へ出て郵便物を見に行く。結局、杖二本では手紙類を持てないので、弟に届けてもらった。どこかへ移動する時には背中に背負うか袋を腕にぶら下げるしか出来ない。まったく不便になったものだ。

一番困るのは、自分の部屋が畳なので立ち上がる事が難しい。今まで使っていたステッキを部屋用にした。何とか、うまく出来そうだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<30日>

寝る時刻を気にしなくても良いのが効いたのか、夜中に起き出す回数が減ってきた。病院は9時半就寝で、夜更かしの私にとっては厳しいものだった。
真っ暗では困るので、テレビはすぐ観れるようにセットし、携帯電話やランプも手近に置いた。
ここのところ、気温が低いので、よく眠れる。

病院では6時起床になっているが、夜中にたびたび目が醒めるので、明け方になると、眠くてたまらない。
結局、就寝時間が日中の過ごし方にも影響してくる。
そうした厳しさから解放されたような暮らしに戻ったが、出来るだけ決まりのある生活をしなければいけない。


今日は関東地方から東北にかけて台風10号に掻き回されたみたいな状況になった。
東京も午後から雨が強く降ると聞いた。
3時過ぎて、雨も降っていないので、近所のスーパーへ行ってみる事にした、家を出るとき、霧のような雨が当たっていたが、帰りにはすっかり止んでいた。
近所の郵便局は9月5日に開局すると出ていた。
さすがに、店を一階二階と回ったので疲れた。

昼過ぎ、病院で同室だったカメダさんから電話をいただいた。先日、先に退院した彼女から家に電話があったのでハガキを出しておいたお礼だとの事。
今朝は彼女の住んでいる町に避難勧告があったと聞いていたので、電話をしようと思っていた矢先だった。
もう、千葉の方は大丈夫だと聞いて安心する。

病院にいても、友達ってできるのだなとつくづく思う。やはり、似たような悩みがあるからだろうか?


八幡浜のキミ子さんからの手紙によれば、私の退院祝いに愛媛のみかんと伊予柑のジュースを贈って下さったということだった。
退院した日に宅急便が届いた。
何時もながらの彼女の優しさに感謝する。




桜子ブログ復活させます

2016年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム
8月27日(土) 28日(日)

今日は記念すべき日です。と、言っても、私一人で喜んでいる、いや、姉も喜んでくれた日になりました。
やっと、S先生のお許しが出て、退院しました。約2ヶ月半の入院生活です。
朝早くからせっせと家へ、帰る支度をしました。少しはマシな服に着替えて、出来るだけ荷物を少なくする事をあれこれ考えました。

この荷物整理は、今週中毎日の様に、ああでもない、こうでもないと工夫しましたが、日頃から身の周りの物の整理が下手な私はなかなか仕事がはかどれません。
更に、情けない事にカラダがうまく動いてくれません。こんな事では退院した後が大変です。

リュックサック二つと布袋一つ、なんとか片付きました。
後は、姉が来るのを待つだけです。

9時半を過ぎて会計で入院費の支払いを済ませました。月末の所為か、昨日、今日と…退院をする人が多い様です。
最後のベッドをあける確認を済ませて、カートに荷物を載せて玄関へ…姉が逸早く見つけたタクシーが病院前の道にとまっていました。

皇居前から日比谷公園、御成門を過ぎて札の辻へ、国道15号線で品川駅へと出る道は、かつて、クルマで走り回っていた私にとっては懐かしい道です。
結構楽しくおしゃべりをしている間に家へ着きました。
懐かしい我が家が別の家の様にも感じます。
二階の自分の部屋を覗きに行かなくてはと思いながら、とうとう寝るまでの時間を階下で過ごしました。
自分の大切な時間を無為に過ごした事を改めて感じました。


さあ!今日やるべき事があります。
それはiPhonの充電をなんとかする事。
突然、電話機が真っ暗になって、何の情報も得られなくなってしまいました。
入院の際、時計さえ持参しなかった私は、看護室の時計を頼りにするしかなくなりました。
これは情報好きの私にとっては静かであっても、物足りない日々でした。
それほど、今回の入院は差し迫った出来事でした。

やっと、今日の退院で人間らしく?なったわけです。
早速、マックに電源を入れて、2ヶ月半休んでいたブログに取り掛かりました。
成功しました!バンザイ!

更に、使い物にならなくなったコードの代わりにiPadのコードを見つけて、電話機へ差し込んだところうまく復活してくれました。
今まで、いい加減な知識でしか対応していなかった自分のうかつさや不遜な態度を思い知りました。


今回の入院で勉強になったとは言え、もう、自分も高齢なんだと言う事を自覚して、少しでも大切な『時』を無駄にしてはいけないと,しみじみ思ったものです。

                                

帰ってきました

2016年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム
8月27日(土)

2ヶ月半のご無沙汰です。
やっと、御茶ノ水の病院から退院して来ました。
2ヶ月半とは大変長い日数です。この日が来るのをずっと、待ちかねていました。

入院の原因は股関節の骨折です。
散らかった自分の部屋での生活は本当にだらしがなかったと、今更のように反省しています。
何時も支えにしていたものと一緒に転んでしまったのです。
ただの打ち身だと軽く考えていました。いや、そう思い込みたかったのです。

夜、9時ごろになると痛みがひどくなってきました。
姉が救急車を依頼して運ばれたのは、大森駅近くの救急病院です。
レントゲン検査の結果『股関節の骨折』と診断されたのです。明日早い内に手術をするという事になりました。

朝になって、今までのかかりつけの病院へ行くように勧められて、御茶ノ水へ寝台車で行く事になりました。
御茶ノ水の病院では整形外科で頚椎の手術を一年半前に受けています。
整形外科のS先生が手術を担当する事になり、手術は16日に決まりました。


手術の結果は時間も手間を取らずに、28分の内に済まされて、軽い方だと説明を受け、ホッとしたのです。
しかし、傷の跡が痛み始めました。話によると、腿の部分から入れて、股関節の骨の部分につなげるのだそうです。
病院の中では、結構、股関節の骨折が多く、コルセットを装着している人を見かけました。
まだ、それほど、ひどくなかった事を知って、多少慢心したのですが、痛い事は痛い、その後がどうなるか安心は出来ません。

何より、また、姉に面倒をかける事が申し訳ないと思いました。
出来るだけ、いろいろと必要品を運んでもらわないように気を配ろうと思い、寝巻きは貸し出しを選びました。
一番暑い季節に、大森から御茶ノ水の往復は本当に大変です。
ごめんなさい。お姉さん。迷惑をかけて…

やっちゃった!

2016年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム
ああ、やっちゃった!

私って駄目ね。
あれ程、気をつけ ていたのに、また.,やっちゃったよ。

あなたって、いったい、何歳なの?
うーん、情け無い!

立つ時は、ストーブを支えにしていたのに、あっという間に倒れてしまった。

ああ!これでいっかんの終わり!

どうしたらいいか?
右腿をさする。
日頃、片付けなかった諸々の上に倒れこんでしまったのだ。

大丈夫!と、安易に考えてみた。

いや、大変だ!病院へ行った方が良いわ。




紫陽花

2016年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム
6月12日(日)

ブログの原稿は必ず残していたのに、ここ二日分は消えている。
まあ、ブログには載せているので気にすることはないが、やはり気分としては良くない。
何とか復活させよう!(さっき、やっとみつけた!)
昨日から今日にかけて、まさに夏の陽気。
暑いだけでなく、足の動きもあやふやになっているから、身動きが鈍くなる。困ったものだ。

さて、先日買っておいた電話機を遅まきながら据えつけようと思った。
最近の電気器具の説明書っていう物はなんと事細やかに描いているのだろう。
兎に角、電気器具類だけでなくガス器具についても言える事で、全く、嫌になる。

そういうわけで、毎晩、枕元に置くが、一行も読まないうちに眠りにつく。まさに睡眠薬!
と、ぶつぶつ、自分に言いながら(誰も聞いてくれないから)日が経ってしまった。

今日は諦めて設定に取り組む。
好奇心一杯の私だが、もう、目が霞んで、紙面一杯に書かれたパンフレットには、すっかり疲れてしまった。

だからと言って、新しい器具の購入を言い出した責任があるから『我が家の相棒』に弱音は言えない。
まず、子機三つの設定に右往左往(本当は簡単なんです)
番号入力になると、いろいろなボタンを押したりして、一向に進めない。
疲れたよ!まさに、作業が停滞気味。

いやあ!昔の器具は簡単で優しかった!
どの器具もね!

そろそろ、昔へリターンしたらどうお!(As you do)?

今、名入れに苦心している。
商売や事務所ではないのだから、番号を無理に入れる必要もなしか?


最近、紫陽花の花のニュースが盛んに紹介されている。
鎌倉の明月院? ああ、行った事あるわ。
箱根の紫陽花も綺麗ですね~
でも、我が家の紫陽花はこんもりとして、面積は狭いが、とても綺麗ですよ。

毎日、気にしながら、やっと一昨日、花を切り取って、父母の写真の前に飾った。
活け花の技術があるわけではないけれど、たった、三輪でも一杯に広がって存在感は十分にある。

紫陽花の花は美しいが、夕方、誰もいない場所にこんもりと咲く花はいかにも寂しげだ。
特に、日没前の伊豆スカイラインなどでは、行き交う車も殆どなくて、紫陽花の花がひっそりと咲いていると何となく怖さをを感じたのは私ひとりだけか?

10月初め、かつてサンフランシスコの公園の紫陽花も印象的だった。
寂しげだったが、沢山咲いていた。さすが『霧の町サンフランシスコ』っていう感じかな?
でも、秋とは珍しい。

我が家の紫陽花は南向きの玄関脇では青い色が……北側の郵便受けではピンク色の花が美しい。
美しい花々を、今年は、写真も撮らなくなったが、鑑賞するだけで十分だ。



梅干作りをもう一度

2016年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム
6月10日(金)

間も無く12時になろうとしているのに…
また、パソコンを開いた。
私の夜更かしが始まる。

でも、今日は記念すべき事(これは私の個人的な事)だけど、今朝、マイ梅干のご披露に及んだ。
昨年漬けた梅干を初めて食べたのだ。
塩辛いが、市販に比べても良い味で大いに満足した。


昨年は良い梅の実を探して、やっと見つけたのはカドヤという店だった。
ここは以前からよく買い物に行ったが、ここ数年は出かけていない。
思いたって、久しぶりに店を覗いてみた。

他所では見かけない大きい梅の実を見つける。
値段は他所より高かったが、確かに南高梅である。
買い集めた(他の店の物もある)梅の実を『梅干用』と『梅酒用』に分けた。

梅干し作りは以前にも経験している。母が作る梅干や梅酒を見よう見真似で覚えていたし、料理本から作り方を覚えていた。

今回は、ネットで調べたが、結構、参考になった。
梅酒の方は、試してみたくて、早々と栓を開けている。
1本目の梅酒は、大分、減ってしまった。
姉に試してもらったが「酔いそう!」と一回で終わり。
お陰で、私の愛用飲料になって、毎日のように、チビリチビリと味わっている。
この調子では、私は元の『飲助』になってしまいそうだ。
しかし、甘くて強い酒の味を楽しめるのが嬉しい。
後、5本あるので、まだまだ楽しみが続きそうだ。

今朝、宝物のように二粒だけ取り出した大きな梅干を、姉と二人で試してみた。
これは大成功だった。
少しばかり塩辛いけれど、それは、十分承知の上だ。
最近の梅干は、塩分控え目ばかりで気に入らなかった私には。これこそ、昔の梅干しと同じ味だと、嬉しくなる。

ところで、なぜ、今日になって『マイ梅干』のご披露に及んだかと言うと、姉に味わってもらって、今回も作ろうかと言う目論見があったからだ。

さあ!今年も美味しい梅干を作ろうっと!
これも、今の私にとっては大切な大きな作業である。

管理職の立場ですと……

2016年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム
6月8日(水)

毎日、ブログ(つまり私の日記の事)を書こうと思いながら、眠氣の方が優先してしまう。
書かなければ、書かなければと…気持ちは動いても、眠い気持ちに負けてしまう。
と、言っても、すぐ、寝るわけでは無い。
つい、ゴロリの悪習が身についてしまっているのだ。

そうだ!明日は書こう!と、考える。
そのような日が続いて、とうとう八日になってしまった。
思えば、その間にテレビに張り付くような事件が次から次へとあった。
一つは『小学二年生の男の子行方不明六日目に見つかる』
そして『舛添都知事の件』
明るいと言ったら、子供の問題だが、こんなに小さな子供が、よく、食べる物もないのに六日間を生き延びたものだと感心する。
しかし、子供への親のしつけのあり方が、大きな問題となっている。
事件後に変化した父親の態度や考え方が、あの男の子にどう影響するか予想がつかない。
また、子供がどのように成長していくのかも想像出来ない。
兎に角、今後の変化が難しいと、私は感じる。

都知事の問題については、一体、あの選挙の時には、私は誰に票を入れたのだろうと考えたが、どうも思い出せない。当時から余り好感を持っていなかったからだ。
兎に角、知事の地位を手放したくない彼の言動は、都民の殆どの反感をよんだ。
公務員は一旦緩急ある時には、居所を明らかにしておいて、勤務先に駆けつけ全てに対応する義務がある。
だから、
彼が遠く東京を離れて、過度に亘って行動をした事が信じ難かった。
一体この人は自分の立場を把握しているのだろうか?と、不思議に思った。

管理職は、日曜日や祭日であれ、身勝手な行動は許されない。常に、職場の管理や運営、そして近隣に対する配慮と協力に素早く対応出来る姿勢が大切である。
実際にそのような事件が夜中に起こり、警察からの呼び出された経験が私にはある。
夜中の車の運転は僅かな時間で現場へ急行出来た。
たまたま、あと、何時間かすれば、東北へ旅行をする予定の日だった。
結局、問題もなく落着したが、管理職の自分の立場の厳しさを、しみじみ感じた事であった。
日頃の真面目な勤務ぶりを知っている私は、別のグループで私と同じ列車に乗る楽しそうな姿を見て、彼女の滅多にない失策を責めようとは思わなかったので、今回は何事もないように扱った。

管理職はどんな小さな部署にあっても管理職。
身勝手なことは出来ないのである。
だから、今回の舛添氏の行動を実に不思議に思う。

こんな事件の報道が、長い時間を費やして続く事自体が腹立たしい。
彼は自分の立場を、オリンピックにこだわっているのか?と情けない思いである。

結局なおらない

2016年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム
6月2日(木)

遂に、パソコンを部屋に持ち込んだ。
寝床の上でブログを書くつもりである。
しかし、どうやっても、姿勢が無理になる。
寝ましょう。今夜ぐらい。いいじゃないの?
お肌の荒れどころか、死んじゃうぞ!

矢張り、今晩も、早寝の実行は出来なかった。
結局、12時半ぐらいに部屋へ入る。
そのあとが悪い。無駄な時間をダラダラと過ごすのだ。
ハッと気がついたときには、すでに1時、2時になって、いつも通りのだらしのない有様だ。
こんなに夜更かしを(いや、ごろ寝をしてしまって、大切な『命の時間』を浪費)しているのだと、常々、思う。

しかし、よく思い直せば、フリーの時間であろうと、夜中であろうと、一日24時間には関係無いのだもの心配する事は無いか。
兎に角、私は、まったく、手の付けられないだらしの無い人間である。
今晩の反省はこれで終わり。


体に鞭打つ?

2016年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム


6月1日(水)

とうとう、6月に入った。
これで、もう一年間の半分近くが経ってしまった。
一体、私は毎日何をしているのだろう?

今朝は早く起きて、キッチンの敷物を処分した。
その後の掃除が大変だったが、腰が痛くなるのを恐れていては何も出来ないとばかりに拭き掃除をした。

床はピカピカ。体はクタクタ!
しかし、やり遂げた事に満足する。

大分、重労働(私の体ではそういう事になる)だったから、高齢者のやる事では無いと思う。
しかし、私がやらなければ姉がやるしか無い。
姉に面倒をかけずに済ませたので、ほっとする。

作業の疲れ方がひどいので、つい、眠たくなる。
その結果、眼が覚めると、もう、一日か二日が経ったような気がする。
あれ?今日は何時の日?な~んて。
相当に寝ぼけていたんだ。まだ、今日なのにね!

このような後が大変。
と、言うのは、私は物凄い夜更かしである。

夕食を食べ終わると、テレビドラマを見ることにする。
大体、途中でつまらなくなって、チャンネルを切り替える。
どうして、最近のテレビ番組は、こんなにいい加減なものばっかりなんだろう。
それより、『小学二年生の男の子』の行方不明事件が気にかかる。

今晩も午前様だ!それも年季の入った午前様(自慢にはならない)の私。

お世話になりましたリハビリステーション

2016年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム
5月31日(火)

今日でリハビリは終わりになる。
院長先生との楽しい?会話も最後である。
先回、先生に言い残しをして別れを告げた思い出があった。
「先生、絶対に来週の火曜日には休まないで下さいね」
「大丈夫ですよ!」
と、冗談のように言いながら二人は別れた。

今朝は、早めに家を出た。
幸いとタクシーを停める事が出来たので、リハビリステーションへ着いた時には、余裕があった。
看護師さんから「今日はゆっくり話したいでしょうから、一番後へ回しましたよ」と伝えられる。
「有難うございます」と、心配りに感謝する。
彼女は、いつも、私達二人の会話が面白いらしく、そばにいてにこにこ笑っていた。

今日で、最後の問診が始まる。
体調についての応答を済ませて、いよいよ、二人の会話が始まる。
体の事ばかりでなく、絵の話や旅行の感想や、かつての仕事の話題など、いろいろと、よく話したものだ。
先生も、絵が好きで、二人の話題は尽きなかった。
「ところで、先生のご専門は何ですか?」と、初めて伺った。(ちょっと、遅かったかな?)
脳専門との事で、もっと早くに詳しいお話を伺えば良かったのに……(相変わらずの迂闊さ)
そういう事はあまり話題にしないらしく、いろいろと、説明をして下さった。
「結局、私の頭はまだ大丈夫ですね」
「そうですよ」
二人の笑いのうちに最後の話し合いは終わった。

最後のリハビリ治療が始まった。
2年半ぐらい、欠かさず通ったが、これで終わりとなる。
私は、一番、長く通った患者と言われた。
『運動』『マッサージ』『水分を確りとる』ように細谷さんに言われる。

入院中、特に世話をして下さった、二人の療法士さんとも最後におあいして、お礼の言葉を述べる事が出来て運がよかった。
思えば、この病院では気持ちよく、治療が受けられて本当に良かった。
このリハビリステーションで働く人々、施設、雰囲気……どれを挙げても良い印象が残っている。
私の体の方は『歳をとる』厳しさから来る苦痛を嫌が上にも感じる事が多いが、週に一,二回、リハビリを受けた事がどれほど励みになった事か。

受付の皆さんにも挨拶を済ませて病院を出た。
何時も、途中で止まる事もなしに一気に歩く長い道も、今日で終わりとなる。
暑くなりそうな日差しをもろに受けて、バス停近くまで来ると、バスがやって来た。
兎に角、間に合って良かった。

その後は、気がゆるんだ所為か、急に睡魔に襲われる。


二日続きのお茶の水

2016年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム
5月25日(水)

姉についてお茶の水へ行く。
ついでだから私もみてもらう事にした。

最近は、二人共、足が不安なので、タクシーにした。
すっかり行き慣れた感じの二人。
皇居前広場では相変わらず団体の観光客や修学旅行の制服姿が見られる。
皇居前の松は緑が美しく、まるで盆栽のような風情。
手入れが大変だが、さすがと何時も思う。

私は、まだ、こうした場所へ行った事がない。
『行った』と言えば、雅楽を演奏する舞台を観に出掛けた事があるが、それがどう言うきっかけだったか忘れてしまった。
あの頃は若かったので、身が軽く興味や関心が強かったから、積極的に参加しようとしたのだろう。
懐かしい思い出だが、もう、今はどんなに気持ちが動いたとしても、まともに歩けない足では実現は出来ない。

今日は、主に姉のために来たので、待ち時間が長かった。
やっと終わった時には、もう、何時も行くレストランへは行く気さえ起こらなかった。それに、明日も来るので後回しとする。
久しぶりにスターバックへ入ると、親切な従業員に姉は喜んでいた。

帰りに、JR有楽町そばの『ビックカメラ』へ寄って電話機を買う。
今までの機器は、既に15年ぐらいたっていると言われた。
据え付けは明日にでもしよう。

帰宅した二人は、もう、すっかり疲れ切って、昼寝?をしてしまう。
兎に角、二人共、歳をとったものだ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~


5月26日(木)

毎月、予約をしている『お茶の水』の日である。
今朝もタクシーに乗った。
京浜東北線は全面的な運休になっている。朝早くからテレビで何回も放送されていた。
この分では、タクシーもなかなか止められないだろうと思ったが、やはり、予想した通りに空車は来な
5~6台やり過ごして、やっと乗る事が出来た。
既に、蒲田駅前で満員になっているとタクシーの運転手さんの話だった。

何時も「お茶の水まで」と言うと、驚いたような感じが返ってくる。
成る程、お茶の水は可なり遠いから、東京のような交通の発達した街では電車やバスを使う方が便利で経済的だ。
しかし、電車に乗る時間帯が通勤通学にかかってしまうと、悪いような気がするし、また、混み合った乗り物に乗る事自体が自分自身に危ないような気がする。

そういうわけで、タクシーを使用するようになった。
せいぜい、この位が我々の味わう贅沢って言うものか?


今日は、あまり時間がかからなかった。
食事はMATSUYAに行ってする事にした。
皇居前から丸の内にかけて、新しい巨大なビルが建ちつつある。
耐震構造が着々とすすんでいる。
何れにしても大地震が来たら、このビルの集団はどうなるのだろうと、不安になる。
運転手さんは「大丈夫ですよ」と言うが……

その中で日本銀行のどっしりとした低い建物が目につく。重要文化遺産の一つ。
学生の頃、教育実習で『日銀』の近くの小学校へ行った事を懐かしく思い出す。あの学校はまだ健在か?

時々、運転手さんに抜け道を教えてあげる。これも、今までに私が得た運転の成果からくるものか?
MATSUYAでは昆布の佃煮、団子などを購入。
8階で、食事をする。
『精養軒』は女性の客が圧倒的に多い。
ビーフシチューを頼んだ。美味しかったが、肉の量が多く私には無理という感じ。

二日続きの『お茶の水通い』は、相当に疲れた。


祝日ではなかった

2016年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム
5月23日(月)

気温30℃という。
背中が燃える様な暑さだった。
午後、歯の治療へ行く。
今日は丁寧に歯の掃除をしてもらった。 
出かける前に4回も歯を磨いた。それでも、やっぱり気になる汚れがある様で、何回も繰り返してうがいをするほど、丁寧に掃除をしてもらった。

ところで、今日は23日、私の携帯電話でカレンダーを開くと、23日(月)は赤い文字で記されている。
「アレッ?なんの日?」
「歯医者さんは祭日も仕事をするの?偉いなあ!よ-し、電話をかけてみよう」

でも、気になるので、カレンダーを調べた。赤い文字はない。
ついでに、パソコンで日付を調べる。私のMacは祝日の場合には、確り『◯◯の日』と出てくる。
「どう言う事でしょう?御宅へ電話をするところだったわ」
「これでも、私の携帯電話はiPhone5なんですぞ」と、受付の人と笑う。

歯医者さんがわざわざ、手をとって、椅子から降りるのを手伝って下さった。
これから3ヶ月程、間を持たせる事になる。忘れない様に8月1日と指定した。
「弾性靴下は?」「いや、今日は履いていません」(実は急いでいたから裸足で来たのだ)」
「よくなりましたか?」
「いえいえ、死ぬまでこの痺れでしょう」といささかヤケ気味になる私に、先生は笑った。

ムッとする様な気温と強い風を背中に受けて帰る。
今日は遠回りをして、ついでにスーパーをのぞく。
特に買うものはなし。

なんのために回り道をしたかというと、ハガキを一枚、投函するためだ。
近所の郵便局が建て替え中で、えらい不便な事、足が不自由だと本当に困ってしまう。

新潟から先日の返事があった。
私のブログが見つからないという。電話番号かメールアドレスを知らせてくれれば良いのに、結局、二人共のんきだね。
そうですね!sakurako blogではわからないものね。sakurako31
年賀状には書いてあったけれど、説明不足で気がつかないわね。





歩くことは大事です

2016年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム
5月21日(土)

25℃ぐらいだが、風が強い。
最近の私は、余程、体が軽くなったらしい(とは言っても、お腹だけは太り気味の食いしん坊)
少し強い風でも、吹き飛ばされそうになる。

午後、久しぶりに近くの大型スーパーへ出かけた。
ここは広い駐車場があるので、家族連れの客が多い。

他のスーパーで売っていない珍しい物が多く、品種も色々揃っているので買いやすい。
つい、急がない買い物までしてしまうので、今日は控えることにした。
と、言うのは、二人共、ここのところ疲れているから、無理をしないように気をつけたのだ。

それでも、店内を一巡すると、やはり欲しい品物がある。
特に当日限りの値段で売っている品物を見ると、やっぱり買いたくなる。
出来るだけ買い物を控えたが、それでもリュックサックの荷物は重くなった。

今月限りのサービスで、今までに貯めたシールでフライパンとクッキング鋏を求めた。
半値になる。
結局、手荷物が増えた訳だけれど、大きい割には品物が軽いので、家まで歩いて帰る事にした。

きついと思った『歩き』も、案外、我慢出来ると自信がついた。
やたらと、身を庇うのは考えものだと、今更の様に思う。

他人から見ると、腰の曲がった私の姿はすごく目立つらしい。
特に小さな子供は、奇異な目つきで私を眺める。(今までに何度も…)
若しかすると『舌切り雀のバアさん?』かなと、笑いたくなる。(この例は古いかな?)

私自身は気にしないつもりでも、席を譲って下さったり、じっと眺めていたりする事が多い。
だから、出来るだけ座っている人の前には立つつもりはない。
例外はシルバーシートの近くだけ…
それも、わざわざ、前に立つ気はないのだ。

それ程、気にしていても、結局は、私の姿は『よぼよぼなバアさん』なのだなと思ったりする。
だから、出掛けるのが嫌になるのだ。

思えば、格好付けでしかない私の単なる『強がり』過ぎなのかな?

兎に角、先ず『歩け歩け』で、決して消極的になってはいけないと、今更のように思う。



昨日の様子を姉に聞いてみた。
若い医師は、姉の事を相当な年齢から、高齢者特有の悲観的な事を言ったらしい。
確かに、彼女は89歳だからそれなりの心配もあるだろうが、同年齢の人とは違うような気がする。

兎に角、私よりも若く見える。
もっとも、最近は変わってきたが、それも側に生意気な妹がいる所為かも知れないと思う。
しかし、それは私自身が反省すべき事であり、出来るだけ気を付けるようにしようと考えている。

「お医者さんだって、特に若い人は人生経験も少ないし、他人を思いやる気持ちも足りない事が多いもの、気にしない方が良いよ」と、慰めた。
しかし、彼女が、昨日、病院へ行ったのは良かったと思う。
病院嫌いの彼女だから、もっと、積極的に利用するのを勧めたいと思い『お茶の水』へも一緒に出掛けている。

熊本から電話があった!!

2016年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム
5月20日(金)

なんて、速いのだろう!
もう、金曜日。

今日は一日、家の中。
外へ出るのは洗濯物の出し入れだけ。
昨日の天気は何処へやら?
そうそう、昨日の晩は満月だったらしい。
ベランダの屋根の向こうに、まーるい月が見えていた。

今朝になると、何となく薄曇り。
気温も下がったらしい。

ここのところ、姉の具合が良くないらしい。
病院へ行くのを嫌がる彼女に、無理にでも行くように勧めた。
今朝、早くに出かけた模様だが、夕方まで帰ってこない。
電話ぐらい掛けてきても良さそうなのにと思うが、全然、音沙汰なし。
もともと、こういうものを使うのが嫌いな彼女だから仕方がない。

結局、有楽町へは行けなかった。
電話機を買い換えようと思っているが、なかなか、チャンスがない。
実は、昨日、駅前の銀行や郵便局へ行ったついでに出かける予定だったが、今の私には無理な話だった。
暑い所為もあるが、足がいう事を聞いてくれないのだ。

今朝も足が痛かった。
でも、珍しく涼しげな日なので、チャンスだと思ったが、姉の事が気がかりで出かけられない。

電話機の子機がおかしくなって、二階にいると、電話が聞こえない。。
私のも姉のも、子機は全滅。

最近、よく人に聞かれる。
「お宅のFAXは?」
「いえ、いえ、うちにはないんです」
姉の友達も聞いたそうだ。だから、仁川会の写真を手紙で送ってきたらしい。
そうだ。FAXを欲しいとは思わないけれど、世間並みに行こうか!

明日、体が軽かったら、出かけてみよう。
駅前で買い物は済むのだから…

夕方、電話があった。
電話の側にいないと、二階から降りて受話器を取るのは時間がかかるし、間に合わない事もある。

それ!鳴っている!今は電話の側の椅子に座ってブログ書き。
「もし、もし!!」
男の人の声。それも年配の人らしい。
「あっ!F先生?」
私より年上の方なのに、お元気そうなお声。マニラ以来の懐かしい声がする。
奥様も電話に出られたが、何となくお変わりになったご様子。

でも、同じ熊本県でも、鹿児島に近く、地震の影響は軽かったとの事。
よかった!よかったですね~!

私の耳は聞こえが悪いから、先生のおっしゃる電話番号がはっきりせずに失礼したが、番号を確かめるために掛けてみた。
成功!
時々、電話を差し上げよう!
オトシャン、オカシャン、お元気で!

簡単なハガキだったけれど、お便りを差し上げて本当に良かった。

ラッキョウ漬けの準備は大変

2016年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム
5月18日(水)

天気予報によると、今日は暑くなるらしい。
最近は、何を着たら良いのか分からない日が続く。

予定では、電話機を取り替えるつもりで、有楽町まで出かけようと考えていた。
しかし、全ては『我が足』の御機嫌次第になる。
珍しく、階段を右、左と普通に踏む事が出来たのは久し振りだ。

今朝、起きた時には、多少、足取りが軽くなったかと思ったが、何かしら動き回っていると、もう、直ぐに『足の反乱』が起こってしまう。

仕方がない。我が身に起こった試練?と、おおげさに考える事にした。
腫れた足に『弾性靴下』を履かせる。一昨日よりは早く履けた。
これも要領の一つ。慣れる事が大切。

しかし、暑い日になったのに、厚手の靴下では、これからの暑さが思いやられる。
それに、直ぐ伸びてくる私の爪は、欠けたり曲がったりして(まるでばけものか?)強く靴下を引っ張る事も難しい。

やっと、履けた。
パソコンで『弾性靴下』を調べてみた。
ネットで買うと安いようだ。
また、靴下の履き方や注意が書かれていた。
就寝時には靴下を脱いだ方が良いとも書かれていた。

もう、有楽町へ行くのは無理、それでは駅前の銀行へ行こうかと考える。
でも、銀行は3時には窓口が閉じられる。
や~めた!
結局、天気が良くても、私の足の御機嫌次第で外出は取り止めになる。


一昨日、買って来たラッキョウを姉が掃除をしている。
「きつい、きつい」と言いながらの作業で、2kgのラッキョウを掃除するのだから、私も手伝った。
掃除の後は、近所のストアへ出かけて、酢や氷砂糖を買う。それにガラス瓶も三個。

きつい、きつい!と言いながら、二人共、何とか毎日を過ごしている。
姉もすごく疲れたらしい。

私も、きつくても、頑張らなければいけないと、しみじみ思う。
姉は私より四歳も年上なのだからと、今更のように反省する。

明日は、出来なかった事の一つぐらいは頑張らなければ。
早く寝よう!