このところ、とうとう、とにもかくにも、生活で疲労をしないように、疲労をためないように、セーブするようドクター指導が入っている。
週末はとにかく休むようにと言われた。
いろいろの手を講じて、なるべくそうできるようにしたいと思う。
土日ともなれば、仮にもワーキングマザー、ついつい欲張って、平日できないあれをこれをとなってしまうが、とにかく、体を横たえて、休みなさい!と言われてしまった。
普通の人なら持ちこたえられることでも、私はすぐに疲労してしまう。
軽い気持ちで子連れで出かけたら、途中ですぐにひどい倦怠感や吐き気に襲われることもある。
そしてもちろん…日曜日きばって、家事もしたうえで教会に行って挙句にまた帰ってきて買い物と家事…などとやったら、必ずその夕方に強制終了、シャットダウンし、月曜日、仕事にならなくなる。
(で、昨年度の途中ごろから、とにもかくにも「教会に行こう、行きたい、行かねば」という縛りを一切外した。特に、今年度からは、原則、行かない、この体で行ってはならない、今行くのは非安息日になることだ、と己に言い聞かせている。)
思えば昔から、一見丈夫そうでいて余り安定した体じゃなかった。丈夫な子じゃなかった。
まず、すごく鼻血を出す子どもだった。突然、顔や手が真っ赤になるような出血をするのだ。原因もなく。
それから、皮膚が弱くて、皮膚科通いが多かった。とびひや湿疹などに悩まされた。今でも、お肌のバランスはいい方とは言えないので対策に苦労する。今は、夏場の汗によるアレルギー的症状がつらい。
胃腸も弱い。食べ過ぎるとすぐ吐いた。
冬場の胃腸炎は毎年当たり前。(しかし看護した親に移らないのは本当に不思議。戦後の混乱期を生き延びたやつらは強すぎ!)
小一の時は、今にして思えば、自家中毒か、それに類するストレス性の周期的おう吐に悩まされたことがあった。
乗り物酔いも結構ひどい方だった。遠足は死の行軍、軍事教練だと信じていたし、今も信じている。
でもなぜか、いわゆる虚弱な子供とはみなされず、チビだがやせっぽちではなかったせいも手伝ってか…もともと弱いのだとは、だれからもみなされていなかったように思う。
だけど、私は、疲れやすかった。
思春期の体になり大人の体になっていく過程でもトラブルは多かった。
血圧も異常に低いことがあるし、婦人科系トラブルは若い時からずっとあり、最近になり、通常なら不妊になるような婦人病を指摘され「よく2人もお子さんを授かりましたね」と言われた。
冷えにもとても弱く、ちょっと冷えると体全体が異常を起こす。自律神経がすぐに壊れるのだ。まるでわたしの心臓はロクに機能していないのではないか、変温動物なのじゃないかと思いたくなる。※したがって、風呂に入った後、長時間起きていることはできない。
夏や特定の条件下では異常な発汗に悩まされ、最近は低血糖に悩まされることもある…。
そんなこんな…それがためにいろんな目にも遭った。いろんなことがあった。なるべく振り返らないことにしているけれど、本当に嫌な目にも遭った。
最近になり、私という人間は、漢方で言えばバリバリの虚症であることを指摘してくれる
漢方医師や鍼灸師に出会ったり、ものに対する感性、レーダーが鋭すぎて、「カーペットの突起があたかも全部見えるごとき感覚」「平地のタイルの凸凹が段差となる感性」ゆえに、カーペットに座っても疲れ、平地で遭難することになるのだと、おもしろい指摘をしてくれた精神科医にも出会って、ようやく自分の特性を飲み込めて、あ、私マジで弱いし疲れやすい条件を持っているから、人と同じに出来なくていいんだと、わかってきた。
いや、まだそれでも、何とか人と同じようにできるように取り繕わねばと、無駄なエンジンをふかせている気がする。
人は時に私をダメなやつよ怠け者よと指さすかもしれない。
実際そういう面もあるかもしれない。
しかし、持続可能な(サステイナブル?!)私であり母であり社会人であるために、はい、休みます。寝ます。おやすみなさい。
(キリスト教のことで書きたいことはばんばんインスピレーションが湧いているけれど、とにかく今度にする…。)
週末はとにかく休むようにと言われた。
いろいろの手を講じて、なるべくそうできるようにしたいと思う。
土日ともなれば、仮にもワーキングマザー、ついつい欲張って、平日できないあれをこれをとなってしまうが、とにかく、体を横たえて、休みなさい!と言われてしまった。
普通の人なら持ちこたえられることでも、私はすぐに疲労してしまう。
軽い気持ちで子連れで出かけたら、途中ですぐにひどい倦怠感や吐き気に襲われることもある。
そしてもちろん…日曜日きばって、家事もしたうえで教会に行って挙句にまた帰ってきて買い物と家事…などとやったら、必ずその夕方に強制終了、シャットダウンし、月曜日、仕事にならなくなる。
(で、昨年度の途中ごろから、とにもかくにも「教会に行こう、行きたい、行かねば」という縛りを一切外した。特に、今年度からは、原則、行かない、この体で行ってはならない、今行くのは非安息日になることだ、と己に言い聞かせている。)
思えば昔から、一見丈夫そうでいて余り安定した体じゃなかった。丈夫な子じゃなかった。
まず、すごく鼻血を出す子どもだった。突然、顔や手が真っ赤になるような出血をするのだ。原因もなく。
それから、皮膚が弱くて、皮膚科通いが多かった。とびひや湿疹などに悩まされた。今でも、お肌のバランスはいい方とは言えないので対策に苦労する。今は、夏場の汗によるアレルギー的症状がつらい。
胃腸も弱い。食べ過ぎるとすぐ吐いた。
冬場の胃腸炎は毎年当たり前。(しかし看護した親に移らないのは本当に不思議。戦後の混乱期を生き延びたやつらは強すぎ!)
小一の時は、今にして思えば、自家中毒か、それに類するストレス性の周期的おう吐に悩まされたことがあった。
乗り物酔いも結構ひどい方だった。遠足は死の行軍、軍事教練だと信じていたし、今も信じている。
でもなぜか、いわゆる虚弱な子供とはみなされず、チビだがやせっぽちではなかったせいも手伝ってか…もともと弱いのだとは、だれからもみなされていなかったように思う。
だけど、私は、疲れやすかった。
思春期の体になり大人の体になっていく過程でもトラブルは多かった。
血圧も異常に低いことがあるし、婦人科系トラブルは若い時からずっとあり、最近になり、通常なら不妊になるような婦人病を指摘され「よく2人もお子さんを授かりましたね」と言われた。
冷えにもとても弱く、ちょっと冷えると体全体が異常を起こす。自律神経がすぐに壊れるのだ。まるでわたしの心臓はロクに機能していないのではないか、変温動物なのじゃないかと思いたくなる。※したがって、風呂に入った後、長時間起きていることはできない。
夏や特定の条件下では異常な発汗に悩まされ、最近は低血糖に悩まされることもある…。
そんなこんな…それがためにいろんな目にも遭った。いろんなことがあった。なるべく振り返らないことにしているけれど、本当に嫌な目にも遭った。
最近になり、私という人間は、漢方で言えばバリバリの虚症であることを指摘してくれる
漢方医師や鍼灸師に出会ったり、ものに対する感性、レーダーが鋭すぎて、「カーペットの突起があたかも全部見えるごとき感覚」「平地のタイルの凸凹が段差となる感性」ゆえに、カーペットに座っても疲れ、平地で遭難することになるのだと、おもしろい指摘をしてくれた精神科医にも出会って、ようやく自分の特性を飲み込めて、あ、私マジで弱いし疲れやすい条件を持っているから、人と同じに出来なくていいんだと、わかってきた。
いや、まだそれでも、何とか人と同じようにできるように取り繕わねばと、無駄なエンジンをふかせている気がする。
人は時に私をダメなやつよ怠け者よと指さすかもしれない。
実際そういう面もあるかもしれない。
しかし、持続可能な(サステイナブル?!)私であり母であり社会人であるために、はい、休みます。寝ます。おやすみなさい。
(キリスト教のことで書きたいことはばんばんインスピレーションが湧いているけれど、とにかく今度にする…。)