ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

3年の後、彼女は・・・

2007年03月25日 | グレ耶蘇生活
かつて「ミーハークリスチャンHappiの神様と私」というHPを運営していた、Happi姉ことシスター・パウロ(※カトリックの霊名は、女性でも男性名、男性名でも女性名を頂くことがあるようです)の初誓願式に招かれ、日帰りで大阪・箕面市まで行ってきました。

3年前の1月、今度修道院に行くことにした、と桜泉に告げて、春に西へ旅立った彼女。でもその時は「すぐ帰ってくるかも」「そしたら、神学校に行ってプロテスタントの牧師になろうかな♪」と言っていました。修道院入りって、そういうものなのか?桜泉はびっくり・・・。
でも、それから時々くれるお便りは、初めての体験の数々を、前向きな関心を持って取り組む様子が生き生きと伝わるものでした。1年目の志願者生活と大学での学び、2年目からの修練生活と、いろんな奉仕活動、畑仕事etc・・・。与えられたものを喜びを持って受けるってこういうことなのかと、しかしどうしてこんなにもそうできるのかと、与えられたものをいつもいつも苦しみを持って受け、払いのけることしかしてこなかった桜泉には、驚きでした。やっぱり彼女は特別なんだ、そう思うことも・・・。
この3年の中で、でも桜泉も思いがけないものを神様から与えられました。Jくんです。桜泉が、子どもを生んで育てることなど、現実のこととしては想像もしていませんでした。
家庭を持ち、家族と暮らし、世の仕事をするという生き方とは別の道を歩んで行くシスター・パウロ。よく考えないうちに、いわゆる世俗の生き方の中で場所を与えられつつある桜泉。
そういう中で、桜泉は、正直なところ、いつの間にか、始めの頃のように彼女の生活を祈ることを、彼女を祈りの中で覚えることを、しばしば忘れて、自分のこと、Jくんのことばっかりになっていたようにも思います。

そんな中、彼女は初誓願を立てることになりました。これからはいよいよ本物の修道女です。
桜泉はとにかく理屈抜きにそれが嬉しく、また、こんな桜泉を覚えて招いて下さる彼女の気持ちが嬉しく、Jくんをパパガスパールと婆に預けて、大阪に飛んで行くことにしました。

ちなみに、カトリックのミサ出席は初めてです。緊張しました。歌う歌も、式文も、ルーテル教会とはまた違うでしょうから・・・。何より、聖餐=聖体拝領の場面には問題発生します。原則として、桜泉は頂けないはず(カトリックのミサは、カトリック信徒でないと聖体を受けられないのです。桜泉はルーテル教会の人なので・・・)なのですが、じゃあどういう風にすればいいのか?など、戸惑いました。ので行きがけに、メーリングリストで人々に尋ねたら、北海道のごりら先生からお作法を教えて頂きました。それに、実際に行ったら、ちゃんとわかり易いアナウンスがあって、まったく戸惑わなかったのですが・・・。

さて、現場、箕面の修道院に着きました。シスター達が出迎えてくれて、いろいろ親切にもてなしてくださいました。だから、考えてみれば何もドキドキすることなんてないんですね。分からなければ訊けばいい、お客さんなんだからゆったりした気分で、ありがたく親切を受ければいいのです。
続々とお客さん方が到着したのですが、その中に、桜泉の故郷・藤沢からみえた一団が。シスター・パウロの出身教会の方たちでした。これでますますほっとしました。で、ハッとその一人の顔を見たらびっくり。元、桜泉の母教会にいて、カトリックに移ったご婦人でした。こんなところで知り合いに会うとは!!!

ところで、カトリックのミサって、今はとても現代的な歌を用いて行われるんですね。典礼刷新の成果でしょうね。歌う教会・ルーテル教会、何て言っていたのが恥ずかしくなるぐらい、たくさんの歌をもって讃美し、祈りました。しかもどれも、現代的なのに、不自然でなくて、気持ちをこめて歌えて、礼拝の場面場面に相応しい、その日に相応しい歌なのです。
ただ・・・桜泉、楽譜を見てもすぐにさっと音がとれない、音楽好きなのだけど音痴という致命傷を持っているので、かなり口パクになっていました。主の祈りやその他も節がついていて、もちろんついていけません。悲しい・・・。参列されるほとんどの方は、同じまたは別の修道会のシスター達や、カトリックのお仲間達なので、皆さんどんな式文も諳んじておられる様子。これも、すごいと思いました。
どうも、目で見て読み上げないと気が済まないのが、プロテスタント教会の信徒の癖のようで、桜泉は、聖書は耳で聴こう、式文は諳んじよう、とこのところ努力中だったので、カトリックの皆さんには感服しました。

共同祈願というのがあり、ご本人を含めた4人の方がそれぞれ祈りを献げたのですが、シスターのお父様は、涙で言葉がなかなかでてこない・・・、もらい泣きしそうになりました。娘さんを神様に献げるって、どういう気持ちでしょうか・・・。

さて肝心の聖体拝領では、司教様に祝福をして頂きました。桜泉もクリスチャンなのに、この場面で祝福を頂くのはちょっと複雑、かつ不思議な気持ちながら、逆に、このところ祝福なんてしてもらっていなかったので・・・いや、そもそも、桜泉の求道中には未受洗者の祝福というのがなかったので、滅多に祝福を受けていませんでしたから、新鮮でこそばゆいような気持ちでした。M司教様、ありがとうございました。
(ちなみに、ミサのとある場面で、すっごく笑いそうになってしまいました。聖餐理解の違いに基づくことなんですが・・・。いや、笑ったら失礼なんで、一生懸命顔を引き締めましたよ。うーん、たしかにこれでは、カトリックのミサでご聖体を頂く資格なしかも。)

ミサの後は、食堂で楽しい祝会でした。
美味しいご馳走がいっぱいでした。
教会関係のイベントで、ここまでゴージャスなのは、六本木教会の献堂式以来です。いや、あれを上回ったかも。アルコールありだったし。
シスター方も、神父様がたも、一たび場面が変わると、お祭り好きな方たちでした。祈りの暮らしをするって、ある意味でノリがよくないとできないような気がします。見習いたいです。
桜泉はかなりがっついてもくもくと食べました。すみません。

あっという間に過ぎた時間。
でも、シスター・パウロともそれなりにお話できたし、何よりも、修道院って、なんか、また訪ねてみたい、不思議な雰囲気をたたえていて、いい体験になりました。

ちなみに、彼女に、お祝いの品を用意するのを、完全に忘れていて、行きの新幹線に乗る前に気づきました。まあ、直前に大叔父の葬儀があって、取り紛れてしまったという訳です。駅で東京土産のお菓子を形ばかり買って、彼女にはそういう訳を話して、今日はお土産だけ、今度何かお送りします、と申し上げました。何にしようか、今考え中。オアシスに行こうか、サンパウロやドンボスコに行こうか、教文館に行こうか、それとも藤沢でがりらやに行こうか・・・。
かみさま、彼女に相応しい品物を、どうか桜泉に教えてください。

ところで、日帰り旅行は4年前、出張で日帰りして以来でした。
すごく疲れを覚え、ああ、自分の体はどんどん衰えて行っている・・・若くはない・・・っていうか中年だ・・・と実感しました。
仕方ありません。いいんです、それで。0歳の子、1歳の子だって1年ずつ歳をとっている、それが生きるということですから・・・。

最後に。さきほど、彼女は特別なんだ・・・と思ったと書きました。でも、ミサの式次第にはさまれていた、彼女の証しを読んで、そうではないということが分かりました。彼女が特別だったり強いのではない、かみさまが、すごいのです。かみさまは、シスター・パウロを支えて、彼女には、修道生活というかたちで、用いている、そういうことなのです。はたから見たら、やはり彼女が素晴らしいのですが、彼女が、そうじゃない、かみさまがそうして下さるのだ、と感じておられるのだから・・・やはり、そうなのでしょう!

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