もうすぐ来るJくんの誕生日は、ボンちゃん(…ボンヘッファー)の「善き力にわれ囲まれ」が書かれた日。
牢獄のボンちゃんと言えば、洗礼者ヨハネをも思わせる。
牢獄のヨハネは、使いを遣ってイエスに「来るべき方はあなたなのですか。それとも…」と尋ねたけど、彼は何故そう訊いたのだろう。
一般には、牢獄暮らしの中で、ヨハネにふと疑いが生じたのだとされることが多い。
俺は明日殺されるかもしれない、という中で、「イエスに出会った、彼こそメシアだ。でも…ホントかな…。違ったらどうしよう…。」と。
でもある本では、「あなたなんですね?」と希望を抱き、希望ゆえに念押ししたのでは…と書かれていた。
自分は見届けられないかも知れない神の救いの業を、希望して希望して希望の中に死んで行く。それはモーセにも似てるし、ボンちゃんにも似ている。
疑うヨハネと希望を抱くヨハネ。
どちらがホント?
桜泉のリアリティとしてはどちらもホントと思う。
疑いの中から希望が芽を出す、湧き上がる。
希望があればこそ、しかしその希望を疑うこともある。
神様以外には、ホントのところなんてわからないということがいっぱいある。
人間にとっての絶対の確信なんてありえない。
だから疑いがあり、希望があるんじゃないだろうか。
でも、真っ暗な中で、疑いだけでなく、疑いをつき抜けて希望を持てる人はやっぱり幸せだ。きっと。この上なく、幸せだろう。
もうすぐクリスマス。暗くて寒い冬の中で、たとえもしかしたら手に入れられないものかもしれなくても、希望を持てる、その希望の灯りゆえに生きられる…そうありたい。そうあるための、クリスマスであってほしいと思う。
牢獄のボンちゃんと言えば、洗礼者ヨハネをも思わせる。
牢獄のヨハネは、使いを遣ってイエスに「来るべき方はあなたなのですか。それとも…」と尋ねたけど、彼は何故そう訊いたのだろう。
一般には、牢獄暮らしの中で、ヨハネにふと疑いが生じたのだとされることが多い。
俺は明日殺されるかもしれない、という中で、「イエスに出会った、彼こそメシアだ。でも…ホントかな…。違ったらどうしよう…。」と。
でもある本では、「あなたなんですね?」と希望を抱き、希望ゆえに念押ししたのでは…と書かれていた。
自分は見届けられないかも知れない神の救いの業を、希望して希望して希望の中に死んで行く。それはモーセにも似てるし、ボンちゃんにも似ている。
疑うヨハネと希望を抱くヨハネ。
どちらがホント?
桜泉のリアリティとしてはどちらもホントと思う。
疑いの中から希望が芽を出す、湧き上がる。
希望があればこそ、しかしその希望を疑うこともある。
神様以外には、ホントのところなんてわからないということがいっぱいある。
人間にとっての絶対の確信なんてありえない。
だから疑いがあり、希望があるんじゃないだろうか。
でも、真っ暗な中で、疑いだけでなく、疑いをつき抜けて希望を持てる人はやっぱり幸せだ。きっと。この上なく、幸せだろう。
もうすぐクリスマス。暗くて寒い冬の中で、たとえもしかしたら手に入れられないものかもしれなくても、希望を持てる、その希望の灯りゆえに生きられる…そうありたい。そうあるための、クリスマスであってほしいと思う。