ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

ヨハネは牢屋で何を思った?

2008年12月09日 | グレ耶蘇生活
もうすぐ来るJくんの誕生日は、ボンちゃん(…ボンヘッファー)の「善き力にわれ囲まれ」が書かれた日。

牢獄のボンちゃんと言えば、洗礼者ヨハネをも思わせる。

牢獄のヨハネは、使いを遣ってイエスに「来るべき方はあなたなのですか。それとも…」と尋ねたけど、彼は何故そう訊いたのだろう。

一般には、牢獄暮らしの中で、ヨハネにふと疑いが生じたのだとされることが多い。
俺は明日殺されるかもしれない、という中で、「イエスに出会った、彼こそメシアだ。でも…ホントかな…。違ったらどうしよう…。」と。

でもある本では、「あなたなんですね?」と希望を抱き、希望ゆえに念押ししたのでは…と書かれていた。
自分は見届けられないかも知れない神の救いの業を、希望して希望して希望の中に死んで行く。それはモーセにも似てるし、ボンちゃんにも似ている。

疑うヨハネと希望を抱くヨハネ。
どちらがホント?

桜泉のリアリティとしてはどちらもホントと思う。
疑いの中から希望が芽を出す、湧き上がる。
希望があればこそ、しかしその希望を疑うこともある。

神様以外には、ホントのところなんてわからないということがいっぱいある。
人間にとっての絶対の確信なんてありえない。
だから疑いがあり、希望があるんじゃないだろうか。

でも、真っ暗な中で、疑いだけでなく、疑いをつき抜けて希望を持てる人はやっぱり幸せだ。きっと。この上なく、幸せだろう。

もうすぐクリスマス。暗くて寒い冬の中で、たとえもしかしたら手に入れられないものかもしれなくても、希望を持てる、その希望の灯りゆえに生きられる…そうありたい。そうあるための、クリスマスであってほしいと思う。

勝負服は…

2008年12月09日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
先の日曜日、かつてJくんがクリスマス等に着用したよそ行き着を着せた。
これを着たJくんは王子然としていたものだ。ご公務中、などとよく言っていた。(写真。二年前。)

普段は「六方焼き」なんて言われる(つまりは頭でかくて四角い)ゆーくんも、勝負服着たらきっと兄並の王子然に…。何だかんだ言って似てるのだし。

しかし。

似合わなかった。
あまり。

ゆーくんはフツーの赤ちゃんぽいのがウリなのだ。

いや、最近は「かわいいふりしてあの子わりとやるもんだね」をウリにしてさえいる、次男らしい悪っぷり。

いつか通販で見た、ちょい悪ベビーウェア(暴走族風?)が似合うかも…。

やはりJくんはヨハネ(タダモンじゃない預言者、神様系)だし、ゆーくんはぺトロ(日焼けした漁師のオッサン風)なんだなあ。

もちろん、どちらも、良い。とても、かわいい。
みんな違ってみんないい。

王子といえば、一階お祖父ちゃんは小学校一年の時、校内で六年生のお兄さんにぶつかってしまったことがあるらしい。
そのお兄さんは王子様だった。
ハンカチやハニカミではない、ホンモノ王子だった。
このお兄さん…、最近ちょっと体調悪いらしいあの人。今はもちろんお兄さんではなくお爺さんなあの人だそうな。