龍泉洞は、コウモリがたくさん住んでいる洞穴でした。なかなか見られないなーと
思っていたら、ヒラヒラヒラっと飛んでいましたよー。夕方になると、一斉に
洞穴を出るそうで、昼間はだいたい眠っているのです。夜行性の私としては、
親近感があるなあ~^^ 飛んでいるところを動画で撮りたいと思ったけれど、
ちと無理でした。。。
外に出ると、さすがにいきなりモワッと空気の温度が高いw
ここの見物は夏にいいぞー。
洞穴の入り口から湧水が流れ出しています。これは龍泉洞のなかから激しく出てきて
いるのです。その清流の冷たいことw
というわけで、その清流を使ったビールを(^益^)b
三陸のワカメラーメン。近所のスーパーに行くと、三陸産のものはだいぶ安くなって
います。いまだに放射能汚染水がたれ流されていますからね。女川原発の方は
放射能漏れがねーのか?信用できんからなあ。しかし三陸産のワカメ、牡蠣、魚は
食うぞ。(=゜益゜):;*.’:;
散歩道がありました。釣りをやっている人もいましたねェ。
ジグソーパズルに使えそうな景色だよねー。
翌日は龍泉洞を見物に行きました。宮古から三陸鉄道で小本まで北上し、そこからは
路線バス。どちらも本数が少ないので、うまいこと合わせねばならぬ。
こちらは小本駅。田舎の割には古い家屋が少ないように見えますよね。
反対側を見ると、こちらもポツポツとモダンな家。そうです。津波で古い家並みが
みんな流されて、4年の月日が経って新しい家が建ち始めているところなので、
なんか田舎というよりは郊外の新興住宅地のような景色なのです。
駅を降りてバス乗り場へ行くと、仮設商店街がありました。みんな流されて、ここで
再出発をしているのです。
しばらくバスに乗って、龍泉洞に到着しました。内陸部なので、ここには震災の
爪痕はないようです。
外は暑いのに、内部はとても涼しい。11度だったので、外は夏で中は冬?
なかなかの広さを歩いていきます。地震があったときには嫌だったろうなあ。
湧水が出ています。奥の方には大きな地底湖があり、深さ100mなども!
狭いところを急な階段で上がったり下がったり。
たしかに獅子に見えなくもない。「ビーナス」なんてのもありました。
田老の痛ましい姿を見たあと、宿泊する宮古に帰ってきました。三陸鉄道の駅は
お土産屋さんみたいです。
左がJR宮古駅。そちらは駅らしい雰囲気。これって、赤字になったもんだから
第三セクターにされて、もともとひとつの駅だったのが分割されたのでは。
ホテルにチェックインし、この度改装された男性のみのあまり大きくない「大浴場」に
入ってから、居酒屋の開店する17時を待って街に繰り出した。
「パチンコボンボンクラブ」は色あせて、居酒屋になっていますね^^
いちおう歓楽街はあるではないでーすか。この辺、津波の被害はどうだったのか?
「カンタベリー」(英国で大聖堂のある巡礼地?)やら「New Purple」(「紫」には
「どぎつい」とか「えっちな」という意味もある)にも魅かれるが、右の怪しい小路、
「福久呂小路飲食店街」も魅力的^^:
しかしまあ、王道のザ・居酒屋に入るわけだ(^益^)w
おまかせの刺し盛りを造ってもらう。上のほうにあるホヤ貝や、手前のサンマの刺身が
三陸にきたなあ、と思わせる。マグロも冷凍モノではなく、歯ごたえがねっとりしてて
実に旨い。
ワサビに注目。私はワサビが大好きなのである。蕎麦屋で板わさを注文するときは、
蒲鉾にワサビをつけるのではなく、ワサビを食べるために蒲鉾を受けにするのである。
いいワサビは辛くなく、香り豊かで爽やかに味わい深いのだ。すると大将が、「この
ワサビはいいですよ。これだけをつまみに飲むという人もいるくらいですよ」と言う。
東京でいいワサビといえば静岡あたりのものであるが、こちら三陸も清流が多くて
いいワサビが採れるのだそうだ。こりゃあスタートから嬉しいぞ!
酒を飲んでるうちに、「こちらは津波の被害はなかったんですか?」と聞くと、うしろを
指さして、「ここまで浸かったんですよ」と教えてくれました。ドアに貼られたシールの
青い線がそれだそうです。うはーwww
これは宮古の町の南部ですが、全体がまる飲みですからねーwww ここらの建物は
ごっそりなくなることはなく、一階部分が上まで浸水したそうです。
カウンターから後ろを見ると、小上がりのほうも貼ってありました。カメの横です。
まさかあのカメは津波で打ち上げられて…?w(゜益゜)w
営業を再開するまで、何か月かかかったそうです。国からの復興助成金は、「申請
するな」といわんばかりの大変な書類だったそうです。役所はなあ~~~w
そうこうしているうちに、店はだんだん客で一杯になりました。お会計をお願いすると、
女将さんが「汁物をサービスするから待ってて♪」と嬉しい言葉。つみれ汁でした。
このつみれが、柔らかく最上の出来。うーまーいー!
最後に女将さん、津波では冷蔵庫が流されてなくなったんだとつぶやきました。
「冷蔵庫?」と聞くと、「宴会の準備でビールが一杯に入ってたのに」だって。。。
ここはとってもおいしかったです。第一日目の夜は当たりでしたねェ。。。
田老の語り部の青年は、説明をしながら車で移動し、町の主だったところを見せて
くれました。町は一面なくなっているので、見渡せるところをぐるっと回ったのです。
港の奥にある製氷貯氷施設が見えています。建物の右のほうに、黄色い印がご覧に
なれますでしょうか。建物の中ほど、一番下のが1933年の昭和三陸地震のときで
10m、下から2番目、窓の下にあるのが1986年の明治三陸地震のときで15m。
そして一番上の、屋根に届いているのが今回の東日本大震災で、17mを超えて
います。
こんなになっても、よく建っていましたね~。
裏山の斜面に白い看板が壊れているでしょう?昭和と明治の津波の高さを示す看板が
今回の津波でひん曲がりましたが、まだそのままになっているのです。
手前、港には水産業の工場が建てられていました。
こういうところを見て回り、津波の凄まじさを実感したのでした。
ひとりだというのに、語り部の方に運転して案内してもらいました。予約をするときに、
「市の復興のために協力金を4000円おねがいしております」と言われて承知して
おりました。しかし最後に駅まで送ってもらい、あちらから「ありがとうございました」
と言われてお別れになりそうになり、一旦車を降りてから「協力金をお渡しする
タイミングがいつかな、と思っておりまして…」と申し出たのです。
すると語り部の方は車まで戻って、準備してあった「さきち・様」と私の名前が書かれた
領収書を持ってきてくれたのです。こちらから言わないと、そのままになっちゃい
そうな奥ゆかしい人だったのだなあーw
頂いたパンフレットに載っていた震災後の様子です。左下の①が駅。中央上の⑦が
たろう観光ホテルで、右上の方に製氷施設が写っています。左の赤線、第一防潮堤に
囲まれたエリアにはいくらか建物が残っていますが、浸水してめちゃめちゃなので、
いまは更地になっています。前回の画像のいくつかは、3つの防潮堤が交わる
中央の×の場所から撮ったものです。
しばらく電車を待って、三陸北リアス線で宮古に戻ります。この三陸鉄道は震災直後に
大変な思いをして復旧しています。住民のために、一週間は無料開放で動かしたとか。
ここ田老は、トンネルを抜けてこの駅に入ってきます。三陸鉄道の人たちは、
あまりにも変わり果てた町の姿に絶句したそうです。。。
田老では、市の観光協会に「学ぶ防災」の予約をしておきました。主だった場所を
語り部に案内して頂き、津波の映像を見るというツアーです。
私ひとりでも受け付けて頂き、電車の到着に合わせて駅に迎えに来てくれました。
駅前に集合場所と地図があったのですが、何もなくなっているので間違いようがない。
「語り部」というと原爆や沖縄などの老人を思い浮かべていたのですが、若い青年
でした。まだ何年も経っていないんですからねェ。
さて画像は防潮堤の残骸。ここ田老の防潮堤は、世界最強で「万里の長城」とまで
呼ばれていました。なのに東日本大震災の津波で、あっさりと全壊したのです…。
哀れな姿の跡だけが残っているのです。
防潮堤の上に昇ると、整地が進んでいました。ここらはすべて家屋がぎっしり並んで
いる町だったのですよ。野球場などになるとかw
360度、どちらを向いても広大な平地です。ここが街の真ん中だったなんてw
案内してくれた語り部の青年は、そのとき命からがら逃げ出して助かったという
話をしてくれました。
さてポツンと立っている大きな箱、あれが唯一残った「たろう観光ホテル」です。
震災直後は、こういう姿で残っていたのです。(これを見たかったのに補修中ww)
このツアーの目玉は、このホテルの社長さんが最上階から撮影した津波の映像を
見学するというものです。そのビデオは一般には公開せず、ここだけで見せている
のだということを、私は新聞で読んでやってきたわけだ(゜益゜)w
以前はここの6階の撮影現場で上映しておりましたが、いまは特設会場になって
います。私ひとりで拝見。。。
社長さんは全社員を山に避難させ、自分ひとり残って最上階のベランダから撮影
したそうです。では私の説明でその様子を…(^益^;
視線は高い6階から。目の前には田老の町で、家屋がぎっしり並んでいます。その
向こうは高い高い防潮堤の灰色の壁。つまり街から海は見えず、この高い位置からは
向こうに広がる海が見えるのです。
地震のあと、津波警報が出ており、湾の向こうから信じられない高さの津波が
ドバーン!としぶきをあげて見えてきました。ずっと遠くなのに、すごい高さ!
だんだん迫ってきますが、防潮堤のこっち側は実に平穏。おばーさんがてくてくと
歩いており、かたまっている人影も見えています。
撮影しながら社長さんが、大声で「おばーちゃん、津波が来てるよー!」と大声を
あげますが、事の重大さがわからないようで、のんびりしているように見えます。
ざばー!っと津波は防潮堤にぶつかり、一気に乗り越えて大波の濁流が街を
襲います。マッチ箱を並べたところに、洗面器一杯の水をざっとぶっかけた様子を
想像して下さい。全滅は数秒間のことでした。
ここで社長さんは腰を抜かしたようで、何秒間か天井が映ります。そして下に目線が
戻ると、6階の高さだったというのにすぐ下に黒い海面。まるで船で浮かんでいる
ようだったといいます。水面は3階を超えているのですから。街全体がぜーんぶ
沈んでしまったのです!