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さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

外川駅とミニ郷土資料館

2020年04月13日 | 関東甲信越


「ありがとう」という駅名になっている銚子電鉄の終点、「外川」に到着です。


古い車両が展示されていて、なんだか昭和博物館チック。


すごい。新しく改装する余裕がなかったからこそ残った遺物。余裕ができることはないと
思いますが、是非このままにしておいてもらいたい。


そのままにしておいてもらうだけでレトロ博物館。ちなみに銚子は醤油で有名。
ヒゲタとヤマサがあるのです。


ガンバレ銚子電鉄!


さて外川駅からすぐのところに俺の好きな「郷土資料館」があるという話だが、魚屋?


「島長」という魚の問屋さんのようだが、「外川ミニ郷土資料館」という看板も出ている。
まあ入って見なければ。

中には誰もいない。まあいつものことと思い、見物を始めたら、魚屋のおばさんが入って
きた。「こんにちは~」と声をかけると、「ちょっとお待ちください~」と出て行った。
代わりに入ってきたのが、ジャジャジャジャ~ン!という感じの重鎮ヲヴァ~サン。
「ようこそいらっしゃいました…」と銚子の歴史講義が始まった。

展示や写真などを参照しながら、こちらの魚屋さんの歴史(それが銚子の歴史でもある)、
町の経済(市議会の話にもなる)、銚子電鉄の話(駅舎が昔のままだとか、運営費を
持ち逃げした経営者がいただとか)、銚子は太平洋を望む先端だから、戦争のときには
軍事拠点になっていたとか、近代テクノロジーによって魚が根こそぎ獲られる前は、銚子は
海産物が豊かで浜辺でウニやサザエなどはもちろん、多くの魚が素人でも網を使えば手で
獲れただとか、話題は尽きませんでした。


「はたよ食堂」のおっちゃんと会った和歌山の湯浅は、醤油発祥の地でした。んで
なぜそれがここに? 語り部のヲヴァ~サン曰く、銚子には江戸時代に日本中から
有力者、つまりお金持ちが移り住んできたそうです(名前の一覧が貼ってありました)。

約400年前に紀州の崎山次郎右衛門という人が銚子外川港を造成し、その後湯浅の醤油
造り手を呼んで銚子醤油が造られました。気候も合っていて原材料も手に入り、さらに
大消費地の江戸に利根川や江戸川の水運を利用して運べたからです。というわけで、
ヒゲタやヤマサというブランドがここにあるわけですな。

ちなみにそういうプライドがあるから、かつては豊かだった外川の土地の値段は高い
ままで、新興開拓地の茨城に近代の開発地の中心は移ってしまい、こちらの経済は萎れて
しまったということです。(何度もヲヴァ~サンの怒り爆発!)

怒りと言えば、海産物は豊かに獲れたけれど、夜に漁をして築地の朝の競りに出すには

運送のために道路のインフラが欠かせない。「だから一本道路を整備してくれって何度も
言ったのよ!」とそちらの恨みも忘れられないようでした^^; つまり外川の繁栄と
衰退の長い歴史を見て来て、どうもやりきれないようです。でも日本全体がそうなんです
よね。。。

あっという間に1時間以上が過ぎてしまいました。夜に街のレジェンドがやっている
スナックを探す必要がなくなった(^益^)w 90%以上、その外川史語り部のヲヴァ~サン
が話していた気がするのですが、「きょうはいろんな話を聞かせてもらってありがとう」
と手を合わせて感謝をされてしまいました。そぉ~だ、こちら旅人だから、外の空気に
触れるのも新鮮なんだろうね^^

最後に笑えるひと言を頂きました。「あんた、体つかって苦労して働いてないね?」と
鋭いご指摘^^; そりゃあ漁師に比べたらなあ~w 続けて人差し指をこめかみに
つんつんしながら「頭は使ってるだろうけどさ」とお褒めの言葉? 



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