さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

晩成社展 渡辺勝 ランドーの冒険記22

2022年10月18日 | 北海道シリーズ


晩成社の創立メンバーの最後をご紹介するのは渡辺勝。彼は尾張藩の出身だがね。
東京の英学塾で依田勉三や鈴木銃太郎と意気投合し、一緒に開拓の仕事に携わったの
でした。


彼はアイヌに農業指導をしたり、蝦夷地に溶け込んで働いていました。


そして晩成社を離れてからは牧場も経営していたのです。


鈴木親長は銃太郎の父親です。元は上田の侍です。北海道開拓に賛同し、一緒にやって
きて働きました。年長者ですから勉三ら幹部の相談役になり、教養を積んでいたので
晩成社の経理や文書の作成なども担当していました。この写真は浅草で撮影したとか。

親長には息子銃太郎の他にカネという娘がおり、それが渡辺勝の嫁となるのです。


親長は高齢ということもあり、しばらくして東京に移ります。そこで「北海道団結
殖民法」という移住の方法や暮らし方などを説明したガイダンス本を書いています。
いやあその本を目にするってのも嬉しいことです。


カネさんの持ち物も展示されていました。おそらくは子孫が保存していたのでしょう。
彼女は入植者やアイヌの子供たちに勉強を教えてたりもしたそうです。


お宝ですよね^^


渡辺勝、カネ、父親の親長が住んでいるところに、突然ランドーがやってきました。
そりゃあ全員驚いたことでしょう。アイヌの地で出会った彼らを、ランドーは
「日本の上流階級に属するような振る舞いをする老人と若者、そして素敵な女性」と
言っています。「礼儀正しく文明化した」彼らの家は、「立派ではなかったが内部は
とてもきれいで、まるで天国」とまで言っています。

そのランドーが、おそらくはお礼に書いた彼らの家の絵が残っています。本物を
見られましたーw 指定文化財だそうです。


昨日訪れた藤丸百貨店の創業者から、カネさんに葉書が来ています。それは「帯広
温故会」の案内で、そこには帯広在住25年以上の人だけが入会できたとか。
カネさんは長生きして、北海道開拓の草分けの生き証人ということであちこち呼ばれ
たりしたようです。


これは帯広教育会(教育委員会の前身)が開催した古老座談会の集合写真で、
カネさんは真ん中の市長の隣に座っています。

大正時代になると晩成社の幹部はみんな他界しており、カネさんは昭和20年に亡くなる
まで、いろんなところで晩成社の開拓について語り継いだそうです。「あるとき
突然に英国人の若者がやってきたこともあった」なんてことも話したのかな。


ランドーの冒険記22 クリル諸島(千島列島)を巡る

ランドーは根室から、「哀れにも小さい船」に乗ってクリル諸島へ渡ります。乗客は
自分ひとりだったそうです。別に定期便や連絡船というわけではないですからね。

夜明けと共に色丹島に到着。船の中から高い崖の連なりを見て感動する。湾の入り口は
狭く、目の前に来るまでわからなかった。そこは高い山に囲まれた深く完璧に丸い湾で、
それは間違いなくクレーターだった。ここから国後、択捉、千島列島を渡り歩くが、
火山性の地質、荒れ果てた土地で鮭は取れるが冬は人も少なく、熊が多く狩りは
楽しめるかもしれないが、あまり興味深い所ではないと短い描写で終わっている。
こちらに渡ってきたアイヌ民族はロシア語を話す。

さいごの言葉を見ると、「北方領土は歴史的にも日本固有の領土」というこちらの主張は
微妙な気がしますね。。。別にロシア固有の領土だとも思ってませんが。

さて「完璧に丸い湾」というのが気になるのでグーグルマップで見てみました。


色丹島は微妙な扱いの場所なので、こんなふうにかなりデフォルメされた地図です。
これじゃわからない。


しかし衛星からの画像は誤魔化しようがない。すると南のほうに、きれいに丸い湾が
あるのがわかります。こりゃたしかに火山が爆発したあとのクレーターでしょう。



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