鴎島にあるのが開陽丸記念館。実物大で復元したものです。開陽丸は、幕末に幕府が
オランダに注文して造らせた軍艦。ペリーの黒船に仰天した幕府が、海上防衛のために
準備した鳴り物入りの主力最新艦でした。
幕府が倒れたあと、もちろんすべての戦艦は新政府軍に譲渡する話になったが、
榎本武揚はそれを拒否して品川を脱走、旧幕府軍は北海道で独立の道を探ります。
これで大変な海戦が繰り広げられるのかな~と思いきや、咸臨丸もボロボロで役に
立たずに函館の沖で沈没、この開陽丸も、ここ江差で暴風に遇って座礁・沈没したの
でした。
バーのマスターが言っていましたが、開陽丸が沈没するのを見ていた土方歳三が
悔しがって松の木を拳固で殴ったそうですが、「その松がコレだ」という木が残って
いるそうで(ホントかい)、マスターもそこで木を殴っている写真を撮ったそうです^^
さて船内の資料館に入ってみませう。老朽化のため、甲板には出られなくなって
いるそうです。石巻のサン・ファン号には近づくこともできなかったから、まだ
ましか?
開陽丸は1975年になって引き揚げられました。実に100年以上経っていたわけですが、
様々な遺物が出てきました。手前の大砲はそのひとつ。奥にずらりと並んでいる
ものは偽物です^^;
引き揚げられたときには海藻などがゴテゴテついて芋虫みたいになっていましたが、
ごしごしやって復活したと~^^
ひひひ。ピカピカのレプリカ大砲よりも、人形の顔を楽しもう^^
幕府は葵の紋を発注しましたが、オランダの造船所は右のようなハート形にして
しまったそうです(^益^)w 職人が日本人なら切腹ものでしょうが、ガイコツ人だから
しょうがないな、となったのかな。
船内ではハンモックで寝ていたそうです。これ、ゆっくりできなくて腰が痛く
なるんだよな。。。
大砲の弾薬の多いこと! ま、そういう仕事する船だからな。
海軍の船内勤務が一番嫌な所属だなあ。ま、軍隊なるものどこだろうが全く役に
立たないタイプの人間なんですがw
江戸時代とはいえ、西洋式軍艦だからスプーン、ナイフ、フォークなんて使って
たんですねー。もちろんお偉方だけなんでしょうが。私は船を引き揚げたとき、
100年以上海の底にあった遺物をひとつひとつ丁寧に磨いて整理した作業のほうに
思いをはせました。
金属製品だけでなく、革製品も残ってたんだなあ。ところでベルトのバックルが
たくさんありましたが、こんなのがたくさん準備されていたわけもなし、もしかすると
ガイコツからはずしたの?
軍人ですからコレ系統ねw
そしてこういうやつもたくさんあったと。
ふむふむ、鉄だと錆びちゃうけれど、こういうのは残ったわけだ。
コレ系はこれでもかってほどにありました。実際に激しい戦闘があったら減ってた
んでしょうけれど、函館も江差もほとんど戦闘がなく旧幕府軍は占領したのですよね。
だから大量に残ってたと。
うへー。
出るわ出るわ、いろんな種類のがあったんですね。
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