さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

間藤から足尾へ

2019年08月26日 | 関東甲信越



わたらせ渓谷鉄道の終着駅、間藤です。おそらく数多くの鉄っちゃんがこの駅を
訪れたことでしょう。カモシカが見られると書いてありますが、そうそう出てこない
でしょうねェ。



駅のすぐ近くには大きな工場がありました。



道は山の奥へ続いています。予想通り、ここは「電車の終着駅へ来ること」だけの
場所のようです^^; こんなブログなんて見ちゃったら、あなたはもうここに
来たいとは思わないでしょうね。別に特別なものを期待していたわけじゃありません。
「どんなとこだろう?」という好奇心だけ。あとは「行ったな~♪」という記憶が
私の大事な箱に残ったわけです。だいぶ増えたぞ♪



来た電車が30分ほどで戻ります。ワンマンの運転手さんもわかっていて、日々こう
やって来ては折り返す乗客の相手をしているのでしょう。



1つ隣の足尾駅に戻ってきました。行きに電車のなかから、何やら撮影をしているのを
見ました。別に関心もねーのに、大勢のスタッフが「あっち行ってね(来るなよ)」と
駅の外に追い出す。せいぜい役者だろが。ところで駅名が変わっているではないかー。



渡良瀬川を渡ります。これが足利の、森高が歌った渡良瀬橋につながっているわけだ。



橋の横に、こんな写真が出ていました。最初は馬車が引いた鉄道だったと。



それから「ガソリンカー」。小さくてかわいいねェ。



鉱山が稼働して多くの人々が働いていたときの宿舎が見えます。



どうやらみんな空き家になっているようですね。きつい仕事で働くお父さん、そして
忙しくて働き者のお母さんと子供たちがいたんだろうなあ。



廃墟となったいま、住んでいた人たちがなつかしくて見に来るなんてことがあるのかな。



一ヵ所窓が割れていて、中がのぞけました。オバチェいないかな。



こちらは「古河掛水倶楽部」。
足尾銅山は、江戸幕府直轄の銅山として栄え、その銅は東照宮や江戸城の屋根や、
銅銭「寛永通宝」にも使われたそうです。しかしその後は廃山になりました。

1877年に古河市兵衛が経営するようになり、日本の鉱山としては最先端の技術を取り
入れ、日本の銅の約半分を生産するに至り、東洋一の銅山と呼ばれるようになった
そうです。そ
の隆盛期に、貴賓客の接待や宿泊施設として利用されていた迎賓館が
ここの建物というわけです。すんげー儲かっていたんだろうねェ。

労働者は山の奥深くで重労働。社長は蝶ネクタイで車に乗り、こういうゴージャスな
建物で玉突きをしていたりしたわけだ^^; 内部はすごく立派だそうですが、なんと
週末にしか見られないんですぅ~。ちなみに門から撮った上の画像、重役の家で、
本館はもっと奥にあるんだよ!



外から見られるのは、あとこの書庫だけ。迎賓館でなくていい。ここに住みたい♪
つったって、これも国登録有形文化財だそうですが。。。



コメントを投稿