さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

明治大学平和教育登戸研究所資料館

2023年02月21日 | 関東甲信越


こちらは生田駅から歩いて15分ほどのところにある「明治大学平和教育登戸研究所
資料館」。大学構内にあります。ここは旧日本軍の秘密研究所だったのです。
コロナのせいで密を避けるためか、入り口には「入館には予約が必要」と書いて
ありましたが、入ると「いまは混んでないので予約なしでも大丈夫です」と入れて
くれました。


構内に入るとすぐに倉庫跡があります。通称「弾薬庫」と呼ばれているそうですが、
何に使われていたかは謎だそうです。内部の部屋にはスイッチやコンセントがある
とか。なにせ日本軍の秘密研究所ですからね。ショッカーよりすごそうwww


ここは1932年、ブラジル(アマゾン)開拓移民の指導者を教育するための「日本
高等拓殖学校」として建てられました。当時は国策として「ブラジルで成功して
豊かになれるぞ」と移民を奨励していたのです。その後ははしごをはずすように
見捨てたのですが。。。

そして1931年の満州事変以降は、国は満州への移民政策にシフトし、そちらに移民を
大量に送り込みました。日本の植民地政策です。なのでこの学校は1937年に閉校
となりました。

その跡地を陸軍が買収し、「登戸実験場」が開設されました。その後は「登戸研究所」
となり、軍の秘密研究所としていろいろやらかすわけです。それをこれから見て
いきます。

とりあえず建物の歴史を続けます。1945年の日本の敗戦と共に登戸研究所は閉鎖。
GHQによって日吉校舎を失った慶應義塾大学がここを借り受けて、しばらく使って
いました。1949年になって、明治大学がここを買い取り、今の生田校舎となった
わけです。


軍が使っていたときの写真を見ると、いま残っているヒマラヤスギが写っています。


さていま話題になっている気球ですが、日本は気球に爆弾を積んでアメリカに
落としてやろうという作戦をとりました。その研究をここでやっていたのです。

なんと和紙で作った気球で、その風船爆弾を太平洋上に吹く偏西風に乗せ、
アメリカ本土に攻撃したのです。放球した数はおよそ1万発。どうやら300発くらいが
どこぞに落ちて爆発したらしいですが、被害はほとんどなかったとか。

最初は「牛疫ウィルス」という病原体の生物兵器として計画され、あちらの家畜に
被害を与えてやろうとしたそうですが、さすがにそれは悪質なので報復が大変な
ものになるだろうと断念、結局焼夷弾を搭載したそうです。

しかしどこまでアホで無駄なことをしたのだろうかと今は思いますが、うまいこと
アメリカ大陸で落っこちるように、風がうまく吹く季節や放つ場所を計算し、また
途中で重りを落として高度を調整したりとだいぶ頑張って研究したようです。


和紙にコンニャクを加工したものを塗りつけて作成したとか。


その他、ここで研究開発をしたものに「電波攻撃」があり、超短波を発振して
攻撃するとか赤外線の熱戦を出す武器だとかを研究しましたが、どれも実用化には
至らなかったとか。

また雷雲を人工的に発生させて敵の飛行機を攻撃する気象兵器とか、盗聴器や
無線機などのスパイ活動の道具など、様々な研究もされていましたが、どれもさして
有効ではなかったようです。そういった国をあげての秘密研究をしていたのです。
悪の組織、ショッカーも顔負けですな。


ホントありとあらゆる悪さを企んでいたことがわかります。戦争ってそういうもの
なのでしょう。

中国での731部隊で有名ですが、日本軍は生物兵器を開発しており、ジャワ島から
入手した毒物コルヒチン、台湾からは毒物の原料となるアマガサヘビを入手、
細菌兵器を作るためにトウモロコシの病原菌、小麦の条斑病の株、稲の害虫である
ニカイメチュウも大量に準備していたとか。なにせ広い中国大陸を侵略するには
日本軍では数に無理があり、細菌をばらまいてズタズタにしてやろうという作戦に
出たわけです。


この建物の木材は、長野の伊那から持ってきたことがわかりました。俺の好きな
酒場の聖地がw ちなみに日本の本土が空襲を受けるようになってから、軍や国の
施設は内陸部に避難せざるを得なくなり、様々な場所に施設が移築され、なんと
伊那にも飛行場が作られたのです。


日本がやった悪事のひとつがこの「偽札作り」です。中国と全面戦争になっても
なかなか戦果はあげられず、ドロ沼の長期戦になってきたとき、日本は中国貨幣の
偽造をしてそれを大量に使用してばら撒き、中国経済をボロボロにしてやろうと
画策しました。その印刷を実行したのが、ここの研究所だったのです。


さすがに簡単にはできません。しかし香港を占領して印刷工場を占拠し、また
ドイツの潜水艦がアメリカ商船を拿捕して本物の紙幣をたくさん手に入れたので、
精巧な偽札を製造することに成功したのです。当時はトップシークレットの悪事、
研究所の中でも秘密にされており、関係者は絶対に口にしてはならないと厳しく
情報統制されていたそうです。んで敗戦時にみんな焼却処分したとか。


細菌のろ過装置。なにせ細菌兵器を使用したら、そこにいる自国の戦闘員や占領部隊が
いられなくなってしまいます。なのでろ過装置が大量に必要となったわけ。


あとからこういうものがワラワラ出てきたと。

日本が国をあげてひどい悪事を働いていたことにうんざりです。しかし過去の黒歴史を
隠ぺいしたり闇に葬ることなく(もちろん当時はそうしたのですが)、「知ることが
できる」いまの環境を作り上げてきた先人に感謝するし、誇りにも思います。それ
なくしては、また過ちを繰り返してしまう可能性を高めてしまうでしょう。そう
しないためにも、こういう過去があったことを目をそらさずに学び、なぜこんなことを
してしまったのか、そしてそれをふたたび繰り返さないためには何が必要かを考える
必要があるでしょう。