南方熊楠は江戸末期に生まれ、昭和の太平洋戦争勃発の年に死んだ。日本にとっても
激動の時代に生き、その生涯も型破りの人生であったが、その思想のスケールの
大きさは常人離れした、まさに巨人ともいえる偉人でした。
熊楠は和歌山城下の豪商の家に生まれ、驚くほどの読解力と記憶力を持つ神童で
あった。また何日も山の中で昆虫や植物の採集を行い、天狗というあだ名がついた
ほどである。
中学を卒業してからは現在の開成高校から東大へ進むが、落第して国へ帰っている。
その後サンフランシスコへ行きパシフィック・ビジネス・カレッジ、その後ミシガン
州立大学へ入学しているが、学位は取得していない。英国へ渡り、ロンドンでは主に
大英博物館で研究し、多くの論文を発表している。
日本や英国の大学での教職の申し出はすべて断り、生涯あらゆる組織に入ることを
せず、金もうけや地位に関心がなく、権威というものから距離をもっていた。それだけ
自らの思想的探求を大切に考えていたからであろう。私のような小人にはとても
できることではありません。ただこれは「本物」だという生き方であることはわかる
気がします。この世の中、「金もうけ」と「権威」を取り払えば、残っているものは
いったい何でしょう。
さてさて、今回の旅の大きなイベントのひとつは、私の好きな「さいはて」で
あります。和歌山県の南端、串本は「本州の最南端」です。ここに行かねば(^益^)b
東京・羽田から丁度1時間のフライトで南紀白浜空港へ着いてしまいます①。
和歌山県は新幹線の路線からはずれているのでアクセスの悪い田舎ですが、
飛行機は早いー(゜゜)
空港から係長の車に乗せてもらい、一路南の潮岬へ②。それから熊楠の長く
住んだ那智勝浦の温泉に泊まります③。
そこから長く「秘境」と呼ばれてきた那智山中に入り、川湯温泉に泊まります④。
熊楠の「熊」をとったという、世界遺産である熊野本宮大社を訪れ、最後は
白浜温泉に泊まり①、すぐ北にある熊楠の住んでいた田辺の家を訪ねます。
もうすぐ大台に乗ってしまうというのに係長は、生涯旅人の私と違ってほとんど
旅をしたことがないという和歌山土着民です。さてさてふたりの珍道中。
いったいどんなものになるのかこれからご紹介致しましょう~(^益^)b
ここは南紀白浜空港。うんうん、奈良でケビンと一緒に乗せてもらった車が
ちゃあんと待っていてくれました~(^益^)ノ
すぐに南下して串本へ向いました。途中変な所に係長は車を止めました。
看板の字が欠けていて読めやしねえ。「恋人岬!」彼女いない暦ウン十年の
係長は、「立ち入り禁止」という透明な恋人の肩に手をかけて記念撮影。
若干むなしゅうございました…(゜゜)
串本に到着し、最南端の岬に行く前にまずは腹ごしらえ。車に乗せてもらうお礼に、
係長にご馳走しなければいけません。さすが港町だけに寿司屋がいくつも並んで
います。係長が選んだ店に入ると、そこのネタはすべて地元で取れた新鮮な魚だとか。
右側は私の「上」。左側は係長の「特上」であります(=゜益゜):;*.':; 一番下の
真っ赤なネタは、くじらだそうです~(^益^)
運転をしない私は、失礼して一人で一杯やらせてもらいました(^^)b
そしていよいよ岬へ。そこには灯台があり、入場料を払って上に登りました。
これがそこからの景色。画像をクリック!小学生のときに遠足で来たという係長、
「なんかここは記憶と違うぞ…」と言います。そうです。あとでわかったのですが、
ここから少し東へ向ったところに、本当の「本州最南端」があったのです。
入場料返せーヽ(`益´)ノ
一階にはむかし使われていた灯台のライトが置いてありました(^益^;
こいつのお嫁さんになってもいい方がいらっしゃいましたら、どうぞ先着一名です!
*当方一切の責任は持ちません。