すこし彷徨うと、プレオブレジェンスカヤ教会がありました。ここはユダヤ教会
らしいです。このイルクーツクという街には、ロシア正教はもちろん、ユダヤ教、
イスラム教、ポーランドカトリックなどの教会が混在しています。ロシアでは、
どうやらわりと平和に様々な宗教が共存しており、いろんな民族もいて人種偏見も
ほとんど感じないところでした。
いちどトラムに乗ってみたかったですが、うまく利用するタイミングがなかったなあ。
なんか寂れてますが、情緒を感じる街並みでしたねえ。
さて中央市場に入っていきます。すごくでっかいです。
ありとあらゆる食物が並んでいます。ちなみにはじっこのほうには、ちいさいおばーさん
たちがちんまりとかわいく並んでいました。みんなじっと歩く人たちを見ていたりする
ので、カメラを向けるのが難しかったです^^;
たまに「らっしゃい!」という感じで声をかけられます。
さて建物内に入ると、いろんなブースがぎっしり。
ここはコーヒーだったかな。
魚エリアに入ってきますと、独特の生臭さがあります。
鮭の燻製も旨そう。イクラもあります。北海道を思い出すな。
肉エリアは豪快。日本みたいにスライスしてあるのを何グラム、とかじゃなくて、
みなさん塊で買うみたい。街角でも巨大な塊が並んで売っていましたよ。
干した果実もたーくさん。中国の砂漠地方を思い出します。
野菜果物は建物内にもありました。よくまあ崩れないね、という積み重ね方。
はじっこから上階に上がることができました。上には電気製品やおもちゃ売り場などが
ありました。
歴史博物館、デカブリストの家を見たあとは、ぶらぶら歩いてだんだん街の中心に近く
なってきました。おんぼろトラムが走っています。乗車賃は30円くらいだったりです。
「ロシア夫人の鏡」と言われる「デカプリストの妻」の銅像がありました。前回の記事で
ご紹介した、クーデターを起こしてシベリア流刑になったデカブリストの青年将校たち
ですが、その妻たちは貴族の特権もかなぐり捨て、夫についていったということで
称賛されたのです。「ええっ!みんな行くなら私もここにいられないじゃない!」と
すごぉくしぶしぶ行くことになった人もいたはずだ~♪ 旦那のほうも、「やっと離れ
られる」と内心喜んでいたのに、心で泣きながら「来てくれてありがとう」と言うはめに
なってたりして^^;ギャハハ
この像はヴォルコンスキー公爵の奥さんです。でも最初に「夫について行くわ!」と
名乗り出たのはトルベツコイの奥さんで、残念ながら彼女はこの地で死んじゃったんです。
旦那のトルベツコイの手紙によると、恩赦でモスクワに戻れるといっても、息子たちが
「母さんの墓を残して行くのは悲しい」と言っている、なんて書いてあるのを読みました。
ここも立派な邸宅だったでしょうに。イルクーツクは一部都会化してゆきながらも、昔の
建物などを修復して残すという余裕はないようですね。あちこちでボロボロになったり
廃墟になっている建物を見ましたぞ。
全般的に、古い建物は軒が低いぞ。
うわっ!と立派な建物があると思ったら、「ヨーロッパのマナーハウス」として残されて
いる文化財級のものでした。ここにはいくつかの邸宅が並んでおり、一部はカフェに
なったり、「町の生活博物館」になったり、ツーリスト・インフォメーションになって
おりました。
その「町の生活博物館」に入ると、入り口には例によって数人のおばちゃん、おばーさんが
係員としてたむろっていました。ワラワラとロシア語でいろいろ言われたが全然わからん。
わからんと言っているのに、通じないと声を大きくして尚更熱心にしゃべりまくるのが
こういうおばちゃんたち。
まあとにかく入場料を払って入った。なんか町おこしに無理やり作った感じの展示。
まあロシア人たちは、こういうおもちゃで遊んだというか遊んでいるというか?
俺のじーちゃんばーちゃんの時代の写真という感じか?
こういう写真を見るとちょっと面白いが、「あれ、これで終わりか」という程度のもの
でした。しかし見終わると、ひとりのおばちゃんが付いて来い、と手招き。インフォ
メーションの建物に連れていかれた。なんだろう、と思っていたら、2階に通される。
そこの1室も展示室になっており、こんなのがあった。「お茶」?
どうもそうらしい。ちなみにこれはお茶っ葉を固めたものです。中国人の友人が日本に来た
とき、こういうので円盤形のものが2つ入った立派な箱をくれました。崩して使うのですが、
ものすごい密度に固めてあるので、一回に角砂糖半個ぶんくらいで十分です。もう何か月も
経ちますが、ひとつの4分の1も消費していません。だれかに少しもらってほしいぞ。
俺が見物している間、俺を案内してきたおばちゃんは向こうに立っていました。そういえば
生活博物館に入るとき、切符を売ったおばちゃんが何やらいっぱい話していた。どうも
「1つのチケットで両方入れる」ということだったらしい。あとでわかったが、ここは
「お茶の展示館」だったらしい。
ロシア人は、昔からおお茶(紅茶系なんだろうねえ?)を飲む習慣があります。
英国と同じで、現代はコーヒーや加糖炭酸飲料にとってかわられたようですが。
サモワール(湯沸し器)がありました。これはドストエフスキーやトルストイの小説に
ひっきりなしに出てくる道具です。特に「戦争と平和」で、戦地で軍人がサモワールで
お茶を飲んで一息つくという場面が印象的でしたので、本物が見られて少し感動^^
歴史博物館からすぐのところに、「トルベツコイの家」があります。「デカブリスト」
と呼ばれる貴族が住んでいた家です。ロシアの女性には驚くほど胸と尻がデカい人が
あっちにもこっちにもいますが、その「デカブリちゃん」ではありません。
フランス革命の精神に触発されて、皇帝の専制や農奴制の廃止を掲げて、ロシアの
改革を目指し武装ほう起した青年将校たちのことです。そのひとりがトルベツコイ。
ナポレオン戦争時代のロシア皇帝アレクサンドル1世は、ヨーロッパに吹き荒れていた
フランス革命の背景にあった啓蒙思想に揺れていましたが、自由主義的立憲制を実現
するほどの力量は持っていませんでした(だって保守派の抵抗もすごいからなあ)。
立憲制に向けて憲法を準備すると言いながら、ウィーン体制に同調してしまうような
中途半端野郎だったのです。
そのアレクサンドル1世、子供がいないもんだから死ぬと次の弟コンスタンチン大公が
継ぐことになる。だがそいつはポーランドの身分の低い女性と内緒で結婚しちゃってて、
帝位継承権は放棄していた(おもしろいやつだ)。だからその次の弟ニコライ大公が
皇帝になるということになるんだが、まわりも当のご本人も「聞いちゃいねーよ!」と
大騒ぎ。押し付け合いが続いて空位が続いたとき、保守派と改革派がそれぞれの候補を
かついで利用し、自分たちの主張を通そうとしてドンパチが始まった。
結局改革派は鎮圧されて、死刑やシベリアに流刑になったりして、そのひとりトルベツコイ
公爵が、追放になってやってきたここイルクーツクの家で暮らしたというわけなのです。
余計な装飾展示はやめたほうがいいのにな。
わりと優雅な流刑生活だったようですね。シベリアの片田舎に何人も貴族がやってきて、
その地には文化と教養がもたらされたのです。教育に熱心だったり、その地方の民族
研究にも貢献したそうです。
なんか贅沢な印象でした。これで追放刑だったのかぁ。
もちろん写ってはいませんが、例のおばーさん係員が俺についてきています^^;
教養があって民衆のために熱心に働き、戦争では大活躍した青年将校。
立派な奥さんをもらって、何人も子供を育てたというイケメン。
ちょっと負けたかな(^益^)wチョットダケヨ
仏教文化のコーナーを見て、ロシアも広いからなあ、というのをしみじみ。ロシアと
いえばモスクワやサンクトペテルブルクの白人を思い浮かべがちですが、トルコや
中国、モンゴル、そして日本とも接しているんですよね。
ここは中世の部屋。ロシアには左の人のようなひげが毛むくじゃらがあちこちにいます。
おお、日本の法被。日本は中国の満州を侵略したことはよく知られていますが、ロシアの
サハリンやウラジオストクをはじめ、こんな内陸のイルクーツクあたりまで進出してきて
いたのです。
イルクーツク市長宛の手紙が展示されていました。
3人目くらいのおばーさんのところに受け渡されたときのこと、このすごく時代を感じ
させるプレーヤーを見ていたら、針を落としてかけてくれました。古いロシアの歌が
流れました。
レコードがぐるぐる回っているのをいつまでも見つめていてもしかたないので、それを
聞きながらこういった展示を見始めたら、ばーさんはピタッとレコードを止めてしまい
ました。お~~~い・・・
さすが歴史博物館、俺の好きな「昭和なつかし館」的なものがありました。
うっひっひ。なぜかこういうの好き。
ソ連時代はとにかく軍隊ですよねー。「万国の労働者よ、団結せよ!」がスローガンなん
だから、軍人じゃなくて労働者を描けばいいのに、やっぱり力の誇示が好きなんだなあ。
こういうのを1枚ずつじっくり見ていると、案内係のような各部署担当ばーさんの視線を
なんとなく感じてしまうのでした。どの展示室にも客が何人もいりゃあいいんだけど、
こういうとこは1日に何人も来ない感じだからなあー。
イルクーツクの夜が明けると、まだ昨夜の雨が続いていた。こういう日は遠出はせず、
近所をぶらついたり博物館を訪れたりするのがいい。一度途中でリストヴャンカに行く
けれど、イルクーツクには4泊するので見物を急ぐ必要はない。
さてご覧の教会は、ホテルのすぐ横にあるバガヤヴリェーンスキー聖堂。ロシア正教の
教会らしく、塔のてっぺんにはホイップクリームをのせたようなデザイン。内部の壁面に
描かれたフレスコ画が素晴らしいそうなので入ってみると。。。
なんか入っていく人が多い。そりゃあ立派な教会だから、人も来るんだろうけれど、
雨の中、花を持っている人が多いな?中に入ると、なんか人がいっぱいいて、神父が
何か話している・・・これってリアル葬式の真っ最中?まずいっ!そそくさと出る。
教会っつーのは素晴らしい宗教画や建築を見たいこともあるんだけれど、真面目な信者も
いたりするし、どうも見物に行くのははばかられる。あと我が内部は退廃しているので、
清らかなところへ行くのはどーも合わなくてなあ。
教会の向こうには「モスクワ門」が立っています。堂々たる姿ですが、なぜ川の
ほとりに門なんだろうねえ。でっかいから邪魔にならないように?門を出たら川に
落ちるって。。。
博物館のほうへ向かって街をぶらついていると、こんな建物が。なんか地面に埋没した
ように見えるんだが?窓が開かなくなるというか、雨が降ると水が流れ込んでくると
いうか?最初は面食らいましたが、これがロシア建築のスタンダードだとわかりました。
なんか一階の窓の位置がみんな低いですよね~。雪は積もらないの?積もるよね?!
これは何か立派な建物なので、めり込んでねーぞ。イルクーツクは「シベリアのパリ」
なんて言われたりするそうですが(まじすか!)、少しくたびれてきているような
印象ですね。この建物も、新築当時は華やかだったのでしょうが。
イルクーツク歴史博物館に到着しました。1884年建築の、もと学校を改装したそう
です。入場料を払うとき、ガイドブックには「写真を撮る場合には200円ほど別に
払う」と書いてあったので、切符売りのおばちゃんにそれを聞いてみると、笑顔で
顔を横に振りました。な~んだ、そんなことないんだ~、とそのときは思ったのですが、
のちのところでは写真撮影にきっちり払わされることしばしばw
おっ、入ってすぐの階段には「金沢」の写真が。何か特別展示があるのかと思いました
が、特になかったぞw
左右に部屋が並んでいるので(教室が並んでいたのでしょう)、まず手前の左の部屋に
入ってみた。講座をやったりすることもあるのかな。
なんか貴族の持ち物みたいな展示物?と思ってこの写真を撮っていたら、おばちゃんが
入ってきて何かまくしたてている。ロシア語で喚かれてもまったくわかりません~。
身振り手振りで、どうやらこっちの部屋ではなく、あっちの部屋に行け、ということ
らしい。真ん中に廊下で左右に部屋が並んでいるレイアウト、左回りではなく、右回り
で見物しろ、ということらしい。
ちなみに国内外を問わず、俺はあれば郷土博物館系には必ず入ることにしている。
そういうところは、まず他に見物人はいない。ここもそうだった。そして係員の
おばちゃん、おばーさんは4~5人もいた。その軍団は自分の持ち場が決まっており、
訪問客が来たら「ここだよ」と迎え入れ、展示室では一応遠目に監視しており、そして
「こっちに行け」と次の係員に受け継ぎをして、送り出したら仕事終了なのである。
俺は最初の部屋になかなか入ってこないもんだから、最初のおばちゃんは「何をやって
いるんだ?」としびれを切らして探しに来たのだろう。だからまくしたてたんだな。
この「受け渡しシステム」はあらゆる博物館、美術館、資料館で行われており、結構
うざかった。なぜかというと、のんびりしていると「早く来いよ」、そして「早く
行ってね」という無言のプレッシャーを感じないではいられないからである。ここでも
疲れたので途中で腰かけて、パンフレットをゆっくり読んだりしていると、「なーに
やってんだ~」という視線を感じたのである。
まあ気にすることないんだけどね。でもがらーんとしたところで、いっつも俺一人
異分子がうろついているんだもん。おばちゃんおばーさんたちは、普段は誰もいない
ので、ずっとおしゃべりをしていたりするんです。俺は井戸端会議の邪魔者なんかい。
というわけで、しかるべき最初の部屋に導かれてゆくと、ほーお、原住民の昔の生活が
展示されていて、時代順になっているんだなあ、とわかったのでした。俺がなっとく
してうなづくと、おばちゃんもニヤリ。