平和外交研究所の美根慶樹さんが、「「文民統制と文官統制の違いは?」について話す。
以下、要約し記す。
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◎背広組と制服組を対等に
政府は、防衛省設置法を改正し、文官である内部部局の防衛官僚が武官である自衛官より上位にあると解釈される規定を改める方針を固めた。27日にも閣議決定され、国会提出されると報じられている。この改正をめぐっては、「文民統制」(シビリアンコントロール)の観点から懸念する見方もある。文民統制とは一体どういうものなのか。
◎「背広組」が防衛相を補佐する規定
防衛省は我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つことが任務である。そのために置かれている陸海空自衛隊の最高指揮権は総理大臣にあり、その下で防衛大臣が自衛隊を指揮・運用するが、その際、防衛大臣は官房長や局長から補佐を受けることになっている(防衛省設置法12条)。
この官房長や局長が置かれているところが「内部部局」、略して「内局」であり、そこで勤務している人たちは制服の自衛隊員(制服組) でなく、ビジネススーツの事務官(背広組) である 。
防衛大臣は内局の補佐を受けて自衛隊を指揮するという、いわば三者構成の仕組みは防衛省だけのユニークなものである。これを導入したのはいわゆるシビリアンコントロールのためだが、現在、自衛隊員の地位を高める目的で、内局のあり方を変更しようという計画が防衛省で進められていると報道されている。
◎「軍は政府の決定に従う」というルール
シビリアンコントロールはもともと欧米で確立された概念だが、我が国にとっても極めて重要な問題である。その意味については、さまざまな説明があるが、要点は、「軍は政府の判断・決定に従わなければならない」ということである。
軍と政府の主張・判断が異なる場合、軍は武力を持っているのでその判断を政府に強制することも可能だが、それを許しては軍の暴走を止められなくなる、戦争の惨禍をもたらすという歴史的経験に基づき、国民の利益を擁護し、その希望を実現するには民主的な政府の判断・決定を優先させなければならないというルールが確立されている。民主的な政治であれば誤りはないということではなく、国民が受け入れた方法で出された決定であれば、それでよしとしようという考えであると思う。
◎「文民統制」と「文官統制」の違い
日本では新憲法にこのルールが盛り込まれた。日本国憲法第66条2項の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定である。また、前述した防衛省設置法の内局規定である。
日本におけるシビリアンコントロールは「文民統制」と呼ばれている。「文民」は、新憲法制定の際、日本には「civilian」に該当する言葉がなかったので、新たに使われた訳語である。
しかし、軍を統制する主体は、総理大臣や国務大臣、また内局の背広組と、すべて公務員であり、いずれも民間人ではない。そのため、「文民」より「文官」のほうが用語として適切であるとして、「文官統制」という言葉が使われるようになった。そして、日本では「文民統制(政府による統制)」と「文官統制(背広組らが政府を支える統制)」を区別する傾向もあるが、それは本質的な区別ではない。趣旨はどちらも「軍人でない公務員による統制」と解すべきであり、英語ではシビリアンコントロール(civilian control)しか使わない。
◎シビリアンコントロールはどうなる?
内容的には、理想論を言えば、憲法66条だけでは十分でなく、「軍は政府の判断・決定に従わなければならない」というルールを直接的に規定したほうがよいという考えもあり得る。もっともその場合は、憲法で日本には「軍」がないことになっているのでそのまま記載することはできず、「軍」を「自衛隊」に書き換えるなど一定の調整を加えることが必要である。
また、防衛省の内局についても現在の防衛省設置法の規定が最適か、検討の余地はある。しかし、一部に報道されているような「作戦のことが分からない文官に防衛大臣を補佐させるのは問題だ」というのは狭量な考えであるのみならず、本来のシビリアンコントロールに背馳(はいち)している恐れがある。旧憲法下で、満州から華北地方へ侵攻した例など、作戦上の理由から戦闘範囲が拡大したことは何回もあった。
今後、自衛隊の海外における活動が拡大する可能性が大きくなっていく。そのようなことも視野に入れて、内局の在り方を含め防衛省設置法の改正を検討していくのは理由のあることだが、この重要なシビリアンコントロールを弱体化させず、より強固にしていくことが肝要である。