龍の声

龍の声は、天の声

第8巻 自分の価値

2023-06-24 10:04:07 | 日本

第8巻 自分の価値

今日、私は自分の価値を百倍にする。
私は一粒の麦に似ている。麦には三つの未来がある。
第一は、袋に詰められ、倉庫に貯蔵され、やがては豚のえさになるものである。
第二は、粉にひかれてパンに焼かれるものである。
第三は、種として大地にまかれ、幾千粒もの黄金の実りを生み出すものである。

私は麦に似てはいるが、一点違うところがある。それは、麦は自分の未来を選択することは
できないが、私は出来るという点である。私には選択の自由がある。

今日、私は自分の価値を百倍にする。
麦の粒が成長し何倍にも増えるためには、大地の暗黒の中に一時、閉じ込められなくてはならぬ。すなわち地面に撒かれるのだ。
私の失敗、絶望、無知、無力などは、大地の暗黒を現し、私はまずその中で成熟するのである。麦はやがて芽を出し花を開く。但し、それまでは雨と太陽と温かい風をもって大切に養育されなければならない。そして同じように、私も自分の夢を実現させるために自分の肉体と精神を大切に養育しよう。麦は成長するためには、自然の気まぐれに左右されるが、私にはその必要がない。なぜなら私には自分の運命を選択する力があるからだ。

今日、私は自分の価値を百倍にする。
では、どのようにすればそれを成し遂げられるのか?
先ず、私は細かく目標設定を行う必要がある。その一日の目標を具体的にたてるのだ。そしてその週の、その月の、その年の、最終的には人生の目標を明確にするのだ。
目標を立てるためには、先ず、自分の人生の目標を明確にさせておくこと必要である。丁度、麦が殻を破り芽を出す前に、雨が必要であるように。

自分の人生の目標がはっきりしたら、私は次のように目標設定する。
先ず、私の過去の業績を考え、自分の能力はこのぐらいだろうと推量した数値をもとにして、それを百倍に設定するのである。そしてこの百倍の数値が、今後の私の努力目標の基準になる。
私は目標が高すぎるといって恐れない。たとえその目標に到達する前に、何度つまずこうとも。つまずけば立ち上がればいいのだ。

今日、私は自分の価値を百倍にする。
太陽は大地を暖め、まかれた麦の種は芽を出す。
巻物の言葉は、私の人生を暖め、私の夢を現実のものとする。
今日、私は昨年より一段優った業績を残す。
私は最早、他人を競争相手としない。私の競争相手は、私自身である。私は私自身の残してきた業績を超えていくのである。

今日、私は自分の価値を百倍にする。
暖かい風は、麦に熟成をうながす。そして同じ風が、私の目標を他に宣言せよとうながす。私は聞いてくれる人を選び、また話す言葉を選びつつ、慎重に、しかし高らかに、私の抱負と理想を宣言する。私はその言葉を取り消すことはない。かくして私は自分自身の預言者になるわけである。
たとえ人々は笑っても、とにかく彼らは、私の計画を聞き、私の夢を知ったわけである。

今日、私は自分の価値を百倍にする。
私は、失敗者がやろうとしない仕事をする。
私は、つねに手の届く範囲において、手を広げていく。
私は、市場における自分の業績に満足することはない。
私は、一つの目標が達成されれば、さらにより高い目標を設定する。
私は、常に自分の目標を世間に宣言する。

しあし私は、過去の功績については、自分からは公表したりはしない。世間が私を高く評価してくれるのなら、私は拒まない。私は謙虚にそれを受けよう。

今日、私は自分の価値を百倍にする。
一粒の麦が百粒になれば、そこからは百本の茎を生ずる。そして、これを十回繰り返せば、その量は、地上のすべての都市を養ってもあまりあるほどのものとなる。
私は、この最初の一粒の麦以上の者であり得るはずだ。

今日、私は自分の価値を百倍にする。
一つの目標が達成されたら、私はさらに新しい目標へ向かう。そして、またそれを繰り返していく。やがて、この巻物の言葉が、私の中に満ち溢れてくるとき、世間の人々の中に、私の偉大さに対する驚嘆の声が湧きおこってくるのである。
ウキウキ、ドキドキ、ウワッハハー! 





第7巻 笑顔

2023-06-24 08:21:15 | 日本

第7巻 笑顔

私は世間を見て笑う町のサンドイッチマンである。
あらゆる生物の中で笑うことが出来るのは、人間だけである。
木は傷つけられれば血を流すし、野獣は痛みや飢えに吠える。だが笑う事は出来ない。しかし、私には笑いという贈り物が与えられている。そして私は、いつでも好きな時に笑うことが出来るのである。
これよりこ消化がよくなり健康になる。クスクス笑えば心の重荷が軽くなる。声を立てて笑えば寿命が延び、若返ることが出来る。
これこそがもっとも効き目のある長寿のひけつである。
この秘訣は、今や私のものである。

私は世間を見て笑う町のサンドイッチマンである。
私は何にもまして自分を見て笑う。なぜなら自分自身を深刻に考えているときの人間ほど滑稽なものはないからだ。
私は努めてこの落とし穴におちないよう用心しなければならない。
私は確かに宇宙最大の軌跡ではあるが、それでもなお、時間という風に吹き踊らされている一粒の麦に過ぎないからである。
そもそも私は、どれくらいのことを知っているのであろうか?一体、自分はどこから来て、どこに去ろうとしているのか?
今日の私の心配事は、十年もたてば取るに足らないほど、バカバカしく思えてくるのではあるまいか。それなのに、なぜ私は現在、こんな些細なことに心悩まされているのか?

私は世間を見て笑う町のサンドイッチマンである。
では、私に出会った人物が、私を傷つけ、私に涙を出させ、私思わず呪いの声をあげさせるような場面になった時、私はどうすれば笑うことができるのか?
このような場合、私を救ってくれるような強力な呪文がある。私は常日頃から、この呪文を唱え、訓練しておく。
その呪文とは、

「これもいずれは過ぎていくものだ」

という言葉である。これを百姓呪文という。
この古代より伝えられた呪文を、ゆっくりと、心を込めて、繰り返し唱えよ。これは、私を災難から救い出し、無事の境地に導いてくれる呪文である。

私は世間を見て笑う町のサンドイッチマンである。
なぜなら世間のすべてのものは過行くものだからだ。心を締め付ける悩みの中にある時も、私はこの言葉をもって自分を慰める。
「これもいずれは過行くものだ。」
重荷となるほどの富を得た時も、私は、
「これもいずれは過行くものだ。」と、
まさにその通りではないか!すべてのものが過行くものなら、今日のささやかな悩みに、思い煩う必要があるだろうか?

私は世間を見て笑う町のサンドイッチマンである。
私は今日一日を、笑いで塗りつぶそう。楽しむときは楽しむべきだ。私は、今日の喜びは、今日楽しむ。喜びは穀物ではないから、箱の中にためておけるものではない。
喜びは、明日の為にとっておけるものではない。それは、種を蒔いた同じ日に刈り入れられるものなのである。
これより私は、喜びをその日のうちに取り入れる

私は世間を見て笑う町のサンドイッチマンである。
私の笑い声はすべてのことを適切な状態へ引き戻しtくれる。
私が自分の失敗を笑えば、その悪夢は新しい夢の雲の中へ消えていく。
善を笑えば、その笑いは、周囲を豊かにし、繁栄させる。
私の微笑みが、人々の微笑みを引き出すとき、勝利はすでに、わが手の内にある。これは純粋に私の利益の為にあると言って、私ははばからない。なぜなら、私が顔をしかめていれば、誰でも私の商品を買ってはくれないからである。

私は世間を見て笑う町のサンドイッチマンである。
これより私は汗は流しても、涙は流さないようにする。なぜなら、自責の念や悔しさは、市場においてはなんの勝ちもないからである。
市場とは、微笑みは黄金に変わり、心からの優しい言葉は繁栄の城を築いてくれる場所だからである。

私は世間を見て笑う町のサンドイッチマンである。
私は笑える限り、貧乏になることは絶対にない。笑いは自然が与えてくれた最大の贈り物だからである。
私はそれを無駄にはするまし。
笑いと喜びがある限り、私は必ず成功する。
笑いと喜びがあってこそ、私ははじめて労働の成果を楽しむことが出来る。

私は喜ぶ。
私は成功する。
私はかってなかったほど偉大な好漢となる。

では、口角を上げて笑おう!