龍の声

龍の声は、天の声

波平さんよ、永遠なれ!

2011-05-09 10:59:56 | 日本
波平さんよ、永遠なれ!

わが輩の長年の同志が急遽亡くなった。
彼は、サザエさんの父親「波平さん」に凄く似ていた。わが輩よりも5歳年長だが、まだ若い。しかし頭は禿げ上がり、てっぺんに髪の毛が数本というイメージ、丸いメガネをかけ丸顔、温厚で穏やかな表情、チョビひげはないが、まさに波平さんにそっくりだ。わが輩は、彼を人に紹介するときには、冗談半分で「サザエさんの父親役の波平さんのモデルだった人だよ」と言っていた。

彼は、労働運動家であった。
国が潰れるくらいの大赤字をもっていた国鉄を、見事にJRに民営化するという快挙を成し遂げた。民社党系労働組合の闘将として名高い書記長であった。
彼は、選挙も相当な熟練者であり、演説、発想、運動の組み立て、実行力、見識の深さ、何をとっても超一流であった。各級議員や知識人文化人との交友も幅広く深い。また道を間違えたかと思われるくらい歌が上手く、心にしみる声であった。
しかし彼はいつも言っていた。「私は、お国のために生きる。生きたい。地位も名誉もいらない。その結果、たとえボロ雑巾のように捨てられても構わない。」と。


わが輩は、彼と邂逅して人生が輝いた。
以来十数年、寝食をともにする大事な、大事な、同志中の同志の一人であった。

彼からは、いくつも教えられた。
・高杉晋作、高山寺決起の「天下一人以って興る!」君もかくあるべし!
・世阿弥の「我見の見、離見の見」(内容は当ブログに掲載済)
・公事は先也、私事は後也(何事も公ごとを優先せよ。私ごとを前に出してはだめだよ)


そして最近では病床にありながらも、「日本の再生は、まさに国歌『君が代』に出てくる『さざれ石』の精神の復活にある。」と情熱的に訴えられていた。

・不祥事がつづく大相撲協会が、再び国民の期待に応え、真の国技として復活していくには、その象徴とも言える、国技館の「大さざれ石」の再築上こそ、先ず第一になすべきことである。(現在は地中深く埋もれている)

・震災被災地の県庁や市町村役場に、さざれ石を奉納して、国民こぞって「さざれ石の精神」をもとに、一丸となって復興を成し遂げよう。・・・等々。

・さざれ石の学名は角礫岩(かくれきがん)である。何の変哲もない、そこいらに転がっている石ころである。それが石灰石鍾乳によってくっ付きあう。そして大きな、大きな、大岩へと成長する。それがまた、長い、長い、時間をかけて、さらにその大岩に苔が生えてくるまで、日本は続くのだ。何の変哲もない、そこいらに転がっている石ころの結集こそが、世界に誇れる、わが国最大の国柄であり、わが国の根本精神である。さざれ石とは、大きい石、小さい石、丸い石、四角い石、あっち向いたり、こっち向いたり、綺麗も汚いも、いろんな石がある。すなわち、いろんな国民がいる。それを総結集することが、自立有る国創りの要諦である。



真の友を失うということは、流石に、悲しさ、苦しさが、日増しに大きくなり、泣くにも泣けず、胸の中が沸騰し、心を灼熱地獄にする。また、時折、精神のバランスを崩しそうにもなる。
人生は魂の修業の場というが、これもまた、魂の修業の場と心得えなければならぬのか。


昨日、一昨日と、大兄に心から感謝をして見送ってきた。
彼の大いなる志をわがものとし、今後とも精進努力をすると、改めて強く誓った。

再度、敢て言いたい。「波平さんよ、永遠なれ!」


さて、
葬儀の中で、臨済宗の和尚さんが説法された。
この説法が、わが輩のこころを凄く楽にしてくれた。
以下、紹介する。

この世の人生には、三つの喜び幸せの門がある。

①東門(発進門)
母親の胎内から生まれる時の喜び幸せである。

②南門(修行門)
伴侶を得たり、生きている間の種々の喜び幸せごと。

③西門(菩提門)
死ぬ=仏
自分の肉体を初め、物質の全てを捨て、悟りを開く喜び幸せである。

また、①③は感情で表すことが出来ないほどの大きな、大きな、喜び幸せである。

そして、仏になると北門(涅槃門)に向かって歩きだす。

北門をくぐると再度、東門へと行く。
次もまた、人間として生まれてきたーい!

これを輪廻という。

この次もまた、人間にまた生まれてきたーい!と願う。
その願う心が仏心である。
私たちは、常に仏心を心にもち明るく生きよう。