ryonagaの「通勤準急スタジアム行き2」

サッカー観戦記や旅、写真記。コンサドーレ・コンサドーレユース・エスポラーダ・ノルディーア・レノファを中心に、いろいろと。

2008.1.27 練習試合 レノファ・高川・開星(三つ巴)

2008-01-27 23:56:59 | レノファ山口

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(高川の練習着もサックスブルーに変わったのか、と感心。)

 

 

1月27日(日)高川学園グラウンドで行われた練習試合の形式は以下の通り。

・30分1本を3チームでローテーションする。

・順序はレノファ、高川、開星でレノファ対高川、高川対開星、レノファ対開星の順。

・(結果的に筆者が見たのは)7本目まで行われた。レノファは2回り目までで終了。7本目は高川対開星。

サポーター同士で雑談しながらというのと、レノファが練習着(背番号無し)の選手が居たためメンバー全員の特定はできず。また得点に誤りがある可能性も。

10:00ごろ開始

1本目 レノファ1-2高川

レノファ宮成監督は「今日は選手のやりたいポジションでやらせる。私のやらせたいポジションでは無い場合もあるので、多少ギクシャクするかも知れない」と仰っていた。また、仕事等で全選手が揃わないためメンバー的にはトップとサテライトの間くらいかと思われる。11分、高川背番号23のミドルシュートが決まって先制。しかし23分、レノファ(右FWだったか?)オフサイドギリギリから飛び出して同点に追いつく。

しかし29分に高川が一点取って突き放す。

2本目 開星3-0高川

Img_0841_2 開星高校は島根県松江市の学校。縦に速いサッカーをする印象。高川DFが揃わないうちにどんどん攻め込んでくる。たしか1点目は秒殺だった気がする。

 

3本目 開星0-1レノファ

Img_0857_2 レノファ28(河村邦?)のミドルが決まってレノファ勝利。

(写真はセットプレー。)

 

 

4本目 レノファ1-0高川(これは間違っているかも)

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(多々良時代の練習着で参加の高川学園)

 

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(ユニフォーム・練習着・私物等色合いが合えばよい、という判断か?>レノファ)

 

5本目 高川3-1開星

Img_0867_2 2本目とはメンバーが違う印象。

 

6本目 レノファ5-0開星

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開星はおそらくBチーム。4点目のセットプレーが印象深い。レノファというチームはほとんどセットプレーからの得点が無いチームなので。

7本目の途中で会場を後にしたが、まだまだどのチームも調整中(レノファは集まらない、ということか?)という感覚だ。高川も恐らく1・2年生であろう。開星は気になる存在。島根県の高校サッカーはプリンスリーグ以外ほとんど見ることがないので、今度勉強に行きたい。

この状況ではグダグダにならないだけでもヨシとすべきなのか? 来週の徳山大学戦から徐々に輪郭が見えてくるのだろうか。


2008.1.26(1) (社)山口県サッカー協会フェスタ2007

2008-01-27 00:59:45 | サッカー

フェスタ”2007”というのは2007年度、ということでよろしいかと。

以前から県リーグ表彰式や功労者表彰を行っているのは存じていたんですが、今年から一般向けにもイベントを行って頂けるようになりました。今回はLリーグ湯郷Belle監督本田美登里さんを講師に「地域に根ざす岡山湯郷Belle」というテーマで講演を頂く。

会場はカリエンテ山口(山口県婦人教育文化会館)大ホール。

会場に入りますと、ロビーで県内のサッカー関係者の方々がご懇談中。レノファの関係者の方にもご挨拶。今日は練習だからか監督や選手の皆さんはあまりお見かけしませんでしたが、このフェスタの前に恐らく協会関係の会議があったんでしょう。

15:30から講演が開始。ところが連絡の行き違いからか、プロジェクターが設置されていない。本田監督はノートパソコンで画像を映写しながら話したかったようだが、協会スタッフが大急ぎでプロジェクターを探しに出るという、慌しいスタート。

講演の要約は以下の通り。(かっこ内は筆者の私見)

・湯郷は2005年の岡山国体を当初は目指して2001年に設立も、それだけのチームではなく将来地域に根差したチームとなる目的だった。(これは国体が終わると波が引くチームが多々あることを示唆しているのか?)

・2002W杯でのキャンプ地となることを目標としていた(当時)美作町(現在は美作市)がJFAと意見交換していく中で、13,000人の街の身の丈に合ったチームを作るように勧められたことが発端。(美作はスロベニアキャンプ地となった町。合併した中の英田町といえばTI英田サーキットがあったところだな。)

・当時Lリーグの事務方を担当していた本田氏は当初裏方として美作に入ろうとしていたが、美作町側は「本田さんが選手を呼んでくれるのでは?」という考えで居たため食い違いも当初はあったが、Lリーグバブル(具体的に企業名を出してらっしゃった。OKIや日興證券、鈴与、松下辺りの名前が出ていた。)の崩壊を目の当たりにしていたため全く何も無いところからの立ち上げも重要かと考え、入団を決意した。

(本田氏は静岡県清水市出身。ご自身は中国地方に縁はなかったらしい。)

・美作町のバックアップは当初、町500万、県500万で5年間の約束。5年毎に見直すことになっている。だが、町長が認めた計画が町議会で覆されること等があったために登録期限ぎりぎりの5/31に立ち上げたほど難しい計画だった。自身を含め3名だけの登録だった。

・中国地区女子リーグすら難しかった頃と比べ、現在は教育実習等で選手たちが指導者を目指しているのが現状で状況はかなり変化してきている。

・湯郷地区の旅館に選手の仕事を斡旋して貰い始めた頃(現状プロ選手は存在しないとのこと。)には宿が一番忙しい土日に遠征で不在にしていることから「使えない」という評価もあった。当初、選手たちには「社会に出たことの無い子が接待業は難しいのでは」という評判もあった。それを確認するために本田監督ともうひと方が旅館社長と仲居頭だけに許可を貰って、旅館の仲居修行をしたことがあった。(このエピソードはかなり面白かったのだが、ちょっと自主規制によりカットさせてもらいます。)

・設立当初は7箇所の旅館にお世話になっていたが、現在は3箇所に。美作を中心に津山市(作陽高校の所在地。作陽女子サッカー部はBelleの下部組織として協力体制を構築している。)等で15:00までの勤務を基本として、16:00からの練習という形態を執っている。山口県出身の安田選手の例を挙げ、地域の方々に愛されるのは仕事をしていることもあるかと監督は考えている。

・2001~2002年には平均で400人から500人程度だった観客数も2006年には1200~1400人に、2007年には1600人程度まで上昇してきた。

・地域に貢献する方法としてBelleKidsを設立した。これは小学生女子向けの有料スクール。土曜の午前に選手やスタッフがコーチとなって行う。年度を学期に分け、3学期制で一期6,000円という形態。当初は有料で人が集まるのか、と懸念したがチームが強くなれば人は集まるものだと監督は実感している。現在50人程度で実施しており、Kids→ジュニアユース→作陽女子という道筋をつける事が出来た。少女世代への懸念は中学世代での受け皿が無いことによるサッカーからの引退が大きいとのこと。

・高校世代の大会や大学世代の大会を視察するが、スカウトしようにも既に進路が決まった選手が多い。良い選手を採るには自前で育てるしかない。男子よりは余地があるのかも知れない。昔ほどではないが山口県も女子の登録人口は多い。岡山ともども頑張っていこう。

(といった辺りでプロジェクターが運ばれてくる。ところが上手く動かない。そこで筆者が手助け。なぜか演壇下で本田監督のヨコに座る光栄に・・・)

(ここからは岡山県内で放映された湯郷L1参入戦の頃製作されたテレビ番組を元に。このエントリはこの辺で。もし内容に間違い等ございましたら、ご指摘ください。YFA宣言や功労者表彰の内容等についてはまた後日。)