Runrun日記

最近読んだ本ーハンニバル戦記



塩野七生 著作 「ローマ人の物語3・4・5 ハンニバル戦記」 新潮文庫

この小説には、紀元前272年にイタリア半島を統一したのち、地中海沿岸世界の覇者となって行く、ローマの前264年から前133年までの出来事が描かれています。
イタリア半島の統一と云っても、自治権のある都市国家に分かれていて、盟主ローマを中心としたローマ連合が構成されていたのですね。その時のローマ人達は、イタリア半島で、幸せな生活が出来て居ればそれで良いと思っていたのではないでしょうか。しかしローマ連合の盟主とすれば、他国から助けを求められれば、助けに行かねばなりません!

第一次ポエニ戦役(紀元前264年~前241年)
シチリア島のメッシーナから、シチリア島の強国シラクサが攻めてくるので助けて欲しいと言われます。それで、助けに出ると、シチリア島の西側を支配していた、カルタゴとの永い戦いになってしまいます。カルタゴって、アフリカ北部にフェニキア人が作った国で、当時は地中海の制海権を持った海運国だった。永い戦いの末、シチリア島からカルタゴを追いやり、コルシカ島やサルデーニャ島なども、勢力下に治めます。

第二次ポエニ戦役(前218年~前202年)
戦争は、勝っても負けても後に恨みが残るんですよね。スペインにいたバンニバルが、ローマに対して強い復讐の念をもって、イタリアに攻め入ります。
冬の時期に、アルプスを越えて入って来たというから驚きます。バンニバルは非常に強く、ローマの兵隊たちは全く太刀打ちできません。南イタリアまで攻め入られてしまいます。しかし、バンニバルはローマ連合の結束を崩さなければ、ローマには勝てないと思うのですよね。その為ローマには直接攻め入らず、周辺の都市国家を荒らし廻ってローマ連合を潰そうと画策します。しかし、ローマ連合の結束は固い!
ローマは、バンニバルと大会戦をしても勝てない事が判ったので、直接の会戦は避け、包囲網を築き、ゲリラ作戦に出ます。ハンニバル軍の後ろから付いて回り、小都市を攻めれないよう邪魔するのですね。バンニバルへのカルタゴ本国からの補給路、同盟し支援を送ろうとしたマケドニアからの補給路を断ち、忍耐強く時間をかけて戦います。

長い戦いになってしまいます。それでも、カプア、シラクサ、ターラントの各都市がバンニバルに味方してしまいます。
前211年に、シラクサを奪還しますが、その時にアルキメデスが殺されたらしい!?

ローマは、カルタゴとの戦いの中で、色々勉強し成長していくのですね。
第一次ポエニ戦役では、海軍を持たなかったローマは、強い海軍を持ち、西地中海の制海権を獲得します。
第二次ポエニ戦役では、ハンニバルから戦争の仕方を学びます。
ローマ側にも、スキピオというアレキサンドロス並みの名将が現れます。この本では、ハンニバルの弟子?なんて書かれています。

前209年頃になって、やっと局面が動き出します。スペインで、バンニバルの元々の本拠地カルタヘーナを落とします。スペインのカルタゴ軍と会戦をし、打ち破ってしまいます。イタリアでは、ターラントも奪還され、孤軍奮闘のバンニバルは窮地に陥ります。バンニバルを助けようとスペインから進軍したカルタゴ軍も、イタリアの北部でローマ軍に敗れてしまいます。

前204年、スキピオは、海を渡って、アフリカのカルタゴへ進軍します。カルタゴが窮地に陥ると、バンニバルはカルタゴに戻り、アフリカでのスキピオ対バンニバルの決戦となります。前202年、ザマの会戦で、バンニバルは敗れてしまいます。
これで、永かった第二次ポエニ戦役は終わります。カルタゴは、アフリカに押し込められて形になりますが、自治権は認められたのですね。

「穏健な帝国主義」と云うらしい!!!

ポエニ戦役で、ローマが力を見せつけると、今度はギリシャがマケドニアに虐められているから助けて欲しいと云ってきます。
紀元前197年、ローマ軍はマケドニア軍を打ち破りますが、この時もマケドニアの自治権を許し、「穏健な帝国主義」で和議をします。
ところが、マケドニアに対してのこの緩い和議に不満に持ったギリシャの都市国家がいました。今度はシリアのセレウコス王朝に頼った!
前190年、ローマ軍は初めてアジアに渡り、またシリア軍を破ります。この時も、ローマはシリアの自治権を許す「穏健な帝国主義」の対応をします。

しかし穏健な帝国主義では許されない事態が発生します。

マケドニアの王が代替わりすると、また懲りず兵をあげます。前171年、ローマは兵をギリシャに送るが、嫌気がさしていたのですね、消極的な戦いをして、苦戦してしまいます。それを見たギリシャの諸都市は、「ローマって強くないじゃん、じゃ、マケドニア側についてみる?」なんて思ってしまった?
前168年、ローマはやっと本腰をいれて、マケドニア征伐をします。ローマが本気になれば、マケドニア王朝ははあっという間に倒された!
ローマに背いたギリシャ都市国家は如何すればいいのだ!

第三次ポエニ戦役(前149年~前146年)
カルタゴは隣国のヌミディア(現アルジェリア)に圧迫されていて、耐えかねて兵を起こしてしまった。明らかにローマとの協約違反で、ローマはカルタゴに兵を送った。今度はカルタゴを許せません。カルタゴの街は破壊され、生き残った人たちは奴隷にされた。カルタゴはローマの属領となったのです。

この時期、ギリシャのコリントも、ローマに背いたとして破壊されています。
「穏健な帝国主義」は、「厳しい帝国主義」に変わって行ったのですね。

イタリア半島の小都市国家にすぎなかったローマは、こうして地中海沿岸の世界を制覇することになった。
地図をみると、イタリア半島は、地中海の真ん中に居座っている。これは当然なことだったのでしょうか?

この小説のお気に入り度: ★★★★☆

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