Runrun日記

最近読んだ本ー【六章・七章】東方見聞録

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池のカモ。ハシビロガモだと思うんですが、いつも同じ所に同じグループがいるような気がします。家族でしょうか?

 

やっと『東方見聞録』を読み終えました。と云ってもつまらない所、分らない所は読み飛ばしです。書いてあるのは嘘ばかり、眉に唾つけて読まねばなりません。折角読んでも、結局みんな忘れてしまうので、忘備録としてこれを残します。

マルコ・ポーロ著 愛宕松男訳 「東方見聞録」 東洋文庫

【第六章】海路経由の帰国航路

マルコ・ポーロは、17年間フビライ・カーンに仕えたのち、いよいよ帰路につきます。
1290年末、泉州の港から出航します。泉州から船に乗り、ベトナムに寄港、スマトラ島へ行きます。

此処で驚くことなかれ北極星も北斗七星も見えないと書いています。当時のヴェニスの商人達は、南半球迄行く事は、無かったのでしょうか? ここ迄来ると、モンゴルの勢力範囲外となっていたようです。
スマトラの人達は、本来は仏教徒だがこの頃すでにイスラムの商人が行き来していて、イスラム教に改宗する人も出ていたとあります。スマトラ島の山地に住む土人は、まるで野獣の様で人の肉まで食べると書いています。野生の象や、象よりやや小型の一角獣が棲息とありましたが、サイでしょうか? 猿が多いと書いています。樹液から酒が取れる木やら、麦粉がとれる木があると書いていました。サゴ椰子の事でしょうか?
ここで悪天候にはばまれ五カ月間逗留したと、有りました。

セイロン島を経由してインドへ入ります。
インドには、立派な王が居たようです。暑いので裸に腰巻しか巻かないが、首には高価な宝石の付いた首飾りをつけ、腕や足先にも黄金の腕環、足環をつけていたそうです。驚くことにこの王はに、500人の正妻と500人の妾があったとか インドの宗教、風習などが描かれていました。

インドの西海岸の港をたどって北上、海岸沿いにペルシャ湾の入口ホムルズまで行きます。泉州から海路26カ月、1293年2月頃着いたようです。
ホムルズからタブリーズ経由で1293年夏頃エブヘル着。タブリーズへ一旦戻ってそこで9カ月逗留し、1294年半頃になってトレビゾンド⇒コンスタンチノーブル、ヴェニス着は、1295年だったようです。

【第七章】大トウルキー国事情

トウルキーって何処? トルキスタン周辺に、モンゴル帝国が作った国々の話でした。この頃、トルキスタンに展開したモンゴル系の王国は、すでに勢力争い後継者争いで、同族の戦をしていたようです。そんな王族たちの様子が書かれていました。物語として、戦の場面は勇ましく面白かった。
トルキスタンの話が終わると、その北の地方、シベリア?そしてさらに北「常闇の国」、ロシアの事も書かれていました。

これが13世紀末の、ヴェネチア商人たちの行動範囲だったのでしょうか? マルコ・ポーロだけが見聞きした記録とは思えません。東地中海の海上貿易を独占したヴェネツィア共和国の商人達は、紅海やペルシャ湾経由でインドに渡り、胡椒などの香辛料をヨーロッパにもたらし利益を得ていたと聞きます。そういえば、エチオピア辺りの事も書いて有りました。

随分、眉唾物だとは思いましたが、13世紀のロマン! 面白かったです。
この本のお気に入り度:★★★★☆

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