一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
観想
真言宗では阿字観という観想を行います。阿の梵字の掛け軸の前に座り、呼吸を整え止観します。阿とは宇宙の始まりの意味で「阿字の子が、阿字のふるさと立ちいでて、またたちかえる 阿字のふるさと」と弘法大師様が詠っているように私達の生命の故郷です。
私達は宇宙の根源から別れた生命です。この世の生を終えることは再び宇宙の根源に帰ることを意味します。ゴールがきまっているのなら始めから走る必要はないのではないかと思うかもしれませんが、神仏の御心は一生懸命生きる私達の思いを悦びとしていて、そこにこの世界が存在する意味があるのです。
阿字を見つめているとこの世の煩わしさ仮のものであり、魂の本質はずーと変わらず光り続けているように感じます。ちょうど雲に隠れたお月様の様に雲が無くなれば、月の光は煌々と夜空に輝きます。私達の魂も本来曇りない丸いお月様です。
そして観想します。どんどん魂が身体のサイズから家、そして村、市、県、国、地球、宇宙と広がっていくことを。思うだけなら宇宙の果てまでもとんでいけるのです。しばらく広げたら、今度は元に戻していきます。宇宙、地球、国、県、市、村。あ、静かに座っている自分が見える。さあ、自分の身体に戻ろう。ここでまだ修練ができていないと戻るのに苦労したりします。観想は終わっているのに、何だかうまく収まっていないような気がすると感じたら、焦らず、慌てずそのまま時に委ねればやがて元にもどります。
まだ科学が発達していない時代でも、観想に長けた修行者は自分の行ったことがない世界を観ることができました。科学が発達して情報が氾濫し、世界との距離が縮まっても、すぐ目の前の物事を正しく見れていない現代人は、能力が退化したとも言えるかもしれません。
私達は宇宙の根源から別れた生命です。この世の生を終えることは再び宇宙の根源に帰ることを意味します。ゴールがきまっているのなら始めから走る必要はないのではないかと思うかもしれませんが、神仏の御心は一生懸命生きる私達の思いを悦びとしていて、そこにこの世界が存在する意味があるのです。
阿字を見つめているとこの世の煩わしさ仮のものであり、魂の本質はずーと変わらず光り続けているように感じます。ちょうど雲に隠れたお月様の様に雲が無くなれば、月の光は煌々と夜空に輝きます。私達の魂も本来曇りない丸いお月様です。
そして観想します。どんどん魂が身体のサイズから家、そして村、市、県、国、地球、宇宙と広がっていくことを。思うだけなら宇宙の果てまでもとんでいけるのです。しばらく広げたら、今度は元に戻していきます。宇宙、地球、国、県、市、村。あ、静かに座っている自分が見える。さあ、自分の身体に戻ろう。ここでまだ修練ができていないと戻るのに苦労したりします。観想は終わっているのに、何だかうまく収まっていないような気がすると感じたら、焦らず、慌てずそのまま時に委ねればやがて元にもどります。
まだ科学が発達していない時代でも、観想に長けた修行者は自分の行ったことがない世界を観ることができました。科学が発達して情報が氾濫し、世界との距離が縮まっても、すぐ目の前の物事を正しく見れていない現代人は、能力が退化したとも言えるかもしれません。
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