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沙門の法話

一僧侶の日常の思いを語る

クラッカー

2025-03-06 20:16:56 | 日記

今日も忙しく働きばててしまいました。先日誕生日でした。祝うような年でもないのであまり気にしていません。

でも誰かにおめでとうと言われるとうれしいもの。

昨日は家で家族が祝ってくれたのですがなんかつまらないことで妻が私に文句を言いだしました。

娘が気をつかって「誕生日なんだから」とおさめてくれて。

私も仕事で疲れていたのもあって少し気持ちが落ち込んでしまったのですが。

クラッカー、これを二人がおめでとうといいながらやりだしたらなんだかへんな気持ちがなくなっていくのを感じました。

つまり大きな音は魔を払う効果あり

ということなのかもしれません。

多分、今日あたり「昨日は誕生日なのにごめん」なんて言うのかもしれません。いつものことです。

私の方が大人だと思います。


力をぬく

2025-03-05 19:31:57 | 日記

なんだか毎日頑張っているのに次から次へとすることが多くて。忙しいと余計なことを考えなくてすむからそれでいいのですが。

無駄なことが一番大切。

そんな標語を読みました。つまり普段はあまり気にしない無駄な時間が人生にとっては大切だと。

どうしても頑張っている時間ばかりに気持ちがいってしまいます。しかし頑張っていない時があるから頑張れるのです。

ずっと頑張り続けていたらいつか弦が切れてしまうようにプツンとしてしまいます。

ハンドルのあそびの部分と同じです。

人生もどちらにしろやることがいくらでもある世界ですからどこか「まあ、どうにかなる」くらいの感じで生きる方がいいのかもしれません。

今日、朝起きる時にきっちりいつも通りの出勤時間でなくて少し遅らせようと思ったらかえって早く起きれました。

これは不思議なことでしなくてはいけないとなるとかえってできなくなるのです。

できなくてもいいかぐらいだと力がぬけて簡単にできてしまう。

人生もそんなものかな。


え、

2025-03-04 19:38:56 | 日記

普段の何気ない生活から自分は形作られます。だからにわかに良い人ぶってもメッキがすぐにはがれてしまうのです。

突然、普段から考えていることが表に出てしまうので気をつけなくてはなりません。

あんなこと言うつもりでなかったといってもそうなるように普段がなっているのです。

とっさにする行動。これが本当の自分かもしれません。

何もない時はできるのです。普段と違う時に本当にそれができるか。

私はいつもいざという時に何かがおきます。大事な時に「え、こんなことになる」みたいなことがおきてしまうのです。

でも何故かギリギリのところで助かります。これは心臓に悪いのですがそうなのです。

願わくばその「え、」ということがおきない生活で過ごせることを切に願います。


明るい生活

2025-03-03 18:12:30 | 日記

また急に寒くなりました。昨日の暖かさが嘘のようです。

でも私は寒い方が好きです。実家が寒い土地だったのもありますが寒さ耐用で育ったせいかもしれません。

雪を見ると落ち着きます。ただ最近の大雪で雪かきが大変なかたがたはつらいと思います。なんでもほどほどの方がいいのかもしれません。

今はなるべく不満を言わずにに感謝して過ごすように心がけています。

うまくいかない時でも人のせいにしないですべて自分自身の肥やしだと思っています。

そうすると自然と苦しみが少なくなってくるような気がするのです。

どうせ同じ人生ならばなるべく明るく生きた方が得です。

昨日の話ではないですが同じ能力があってもそれを生かすもころすも自分次第です。

またこの世を楽しく思うのも辛く思うのも自分に起因していると理解すべきです。

私は小さなことで最大限の喜びを得られるように努力していこうと思います。


紙一重

2025-03-02 18:19:30 | 日記

昨日、テレビでプロジェクトXがやっていてオウム真理教のサリン事件の真相を解明した研究者が題材になっていました。

あまり興味がなかったのですがたまたま他に良い番組がなかったので見続けました。

服藤恵三さん、科捜研の研究員ですが当時は警視庁の縦割りの習性に嫌気がさしていました。

どんなに優秀でも現場の自白ありきの環境の中で科捜研の立場は下だったわけです。社会の役に立ちたい。でもその能力を生かせない。

そんな中での地下鉄サリン事件。前代未聞の毒物事件に対して科捜研は大きな役割をはたすことになります。

オウム真理教の犯行だとしてもそれを裏付ける証拠がない。サリンを生成した証拠が。

サティアンの捜査に科捜研の研究員は同行してその証拠をつかもうと健闘します。

そしてとうとうサリン生成の時にでる化学物質を採取することに成功するのです。

もっとも印象深かったのはオウム側の研究者の自白を促す場面。

どんなに取り調べしてもいっこうに話そうとしない容疑者が服藤さんは二人だけで対面を望みました。そしてかたくなに口をつぐむ容疑者にただ紙にサリンをこうして生成しただろうという研究式を何時間も書いてみせました。最後に世界のどの論文にもなかった不思議な研究式を彼らが書いたノートの中から見つけてそれを容疑者に見せた場面。これではないのか。

研究者同士にしかわからない領域。

それ以降、様子があきらかにかわってやがて自白するようになる。

服藤さんはもし彼が違う存在にであっていたら世の中のために活躍できたかもしれなかったはずと空しい思いになったと述べていました。

何か本当の極悪人でない存在がマインドコントロールによって道を違えてしまう悲しさを感じました。

そして善も悪もある意味紙一重の怖ろしさも。

世の中には本当はをとおりこした矛盾がいくらでもあります。それと真正面から向き合えば皆傷つくので逃げてしまうのです。

科学の世界には多分、矛盾が存在しません。それがすごく力のあることに感じました。