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沙門の法話

一僧侶の日常の思いを語る

流体

2025-03-11 18:07:13 | 日記

昨日は娘が学校から帰ってきて映画を観に連れていきました。私もアニメ好きですがラブ青春物語みたいなもので仕方なく一緒に観ることに。

最後は感動して号泣したと言っていましたがそのあと、終始ご機嫌で連れて行って良かったと思いました。

こんな親父でも普通に連れ歩いてくれるからこれからの成長が楽しみです。

この前、ラジオで学生が沢山の悩みごとを先生にうちあけたところこう言われたそうです。

大丈夫よ。私、学生時代に何を悩んでいたか憶えていないから。

いい解答です。確かに自分も学生時代に生きるか死ぬかみたいに悩んでいた記憶があります。しかし、憶えていないのです。

脳裏にもう映像がうかんできません。

人間の悩みはもしかしたら個体ではなく流体でもともとあってないようなものなのかもしれません。

それですべては自分自身が作り出す現象の幻影なのかも。

流体であるならばすべての悩みがいつか大海原に流れて希釈されていくことを望まずにはいられません。


地球の子

2025-03-10 16:33:18 | 日記

私、自分の人生はもう第三コーナーをまわったくらいだと思っています。そうするともうすぐ第四コーナーでバックストレート。

いやもう第四コーナーかもしれません。

何が言いたいかというともう人生の終わりは見えてきているということです。マイナスにとらえているのではないのです。

マラソンでも私はラスト数キロがけっこう強いですから。

気持ちにある意味、踏ん切りがついていらない雑念をもたずにいけるところまで来ています。

まだです。もちろんまだ先です。でもその先が少し見えたとしてそれでいいと思います。

人生は必死に生きていればあっという間です。

どうですか。私は自分がこういう人生を歩むとはまったく思っていませんでした。

普通にお寺をもち、そして真面目に住職として檀家に向き合い、人が来てはやすらぐそんな空間を目指していました。

私は今の環境でお寺ではないが目指しています。

人の命は限りがあります。それに皆が平均寿命まで生きられるときまっているわけではありません。

でも人生はやはり素晴らしいと思います。それがどんな人生であったとしても。

多分、丸い地球に神仏に愛されたから生まれてきたのですから。


危険信号

2025-03-09 17:22:30 | 日記

久しぶりに少しゆっくりした状態になっています。そうすると思考もだんだんと納まってきてすべきことを整理できるようになるのです。

忙しいとまず家庭をおろそかにしてしまいます。これでは本末転倒でどこか頑張っていても空回りしている状態になってしまうのです。

しかし本来、何のために働いているのか。

正直、家族を養うためです。でもあまりにも忙しいと「おれがこんなに頑張っているんだ」みたいな気持ちになってしまっていつのまにか言葉使いや態度が横柄になってきます。

そうすると妻の機嫌を損なうようなことばかりをしてしまう。

ようやくもとに戻ってきました。家でも「あれ大丈夫かな」みたいに仕事のことが頭からぬけないのは危険信号です。

なんとかなる

我を忘れないようにしなくてはいけません。

この二日ぐらい、寒い日になりました。朝、吐く息が煙のように白いなかランニングをするのはとても気持ち良かったです。


距離感

2025-03-08 17:52:49 | 日記

こうして世の中を見ていると事実とそうでない部分が入り混じって成り立っているように感じます。

多かれ少なかれ、人は事実を自分で確かめずに情報で処理しようとします。

でも実際に行動して確かめてはじめてわかることがあるのです。

悲しいかな。私は立場上、あまり人との関りを深くもとうとは思います。つまり調度いい距離感をとることにしているのです。

でも中にはこうではないかと私の思いをくみ取らずに勝手に印象づけをしてしまう人もいると思います。

他の人からすればこうすればいいのにと思うことも本人にとったら触れられたくないこともあるのです。

デリカシーがなく未婚の人に良い人いないのかと話してみたり、子供がほしくても出来ない方にはやく子供をつくらなくてはと言ってみたり。

本人は悪気がなくてもけっこうこたえることもあると思います。

家族でさえもその人の本質にはなかなかふれることができないもの。

人間関係も仕事も、大きくいえば政治も国同士の関係も皆同じです。

そうしたくてもできない。そうせざるえない。ということはあるのだと思います。

どうも昔からうわさや妬みみたいなものが多かった人生です。

こればかりは因縁だと思って我慢したいと思います。


私の知る私。

2025-03-07 18:48:46 | 日記

私はいつも思っています。

自分のすることは目的ではなく修行だと思っている。だから他人は関係ない。

自分だけなんでこんなに苦労しなくてはいけないとかもない。

ただ自分の出来ることをするだけ。

誰も見ていなくても天が見ている。

天にはずかしくない生き方をしていればどのようになろうと覚悟ができている。

不平不満はするだけ無駄。

自分に対してどれだけしているかをチェックしていればいい。

ズルしたり、怠けたり、他人を貶めたり

そんなことをしていない自分がいればどうなっても大丈夫。

昔から人を心から憎めない性格。

どんなに恨まれても、虐げられても、貶められても

憎めない。

そんな性格が幼少期からだからそんなに捨てたものでもない。

でもけっして性格が良い方ではなかったと思う。

何故、僧侶になれたのだろう。