goo blog サービス終了のお知らせ 

沙門の法話

一僧侶の日常の思いを語る

寂しさ

2025-03-16 19:21:52 | 日記

私の勤めているホールはなるべく多くの人が負担なくお葬儀をあげられるようにと立ち上げられました。私はオープンから数か月後に入社。もともとオープン前から入る予定だったのでほぼ初期からいると言ってもいいでしょう。

最初はお金がない人。困っている人をなるべく救いたいという創業者やそのご家族の真心ではじまりました。

それから12年。今では人から人へとつたわり忙しい毎日を送っています。

ただ最近は思うのです。ただ安いからと来られる方の気持ちはわかるけれどどこかそれを受け止める気持ちに寂しさみたいなものを感じるのです。

もちろん、お互いの縁なので精一杯の気持ちでお手伝いをさせていただきその気持ちが伝わった時は頑張ってよかったと心から思います。

一人一人を大切に。

それが自分が僧侶になって一貫して続けてきた姿勢です。忙しい中、その気持ちができなくなっている。したくてもついていけない自分自身。そしていつしか心がそれでいいと諦めになってしまっているのがどこか寂しくて。

自分の心魂をそぎ落としてもこの道を歩む覚悟です。

その先に私がもとめていたものがあることを願います。

 


たまもの

2025-03-15 19:48:31 | 日記

言わせてください。私、簡単にやっているようですがそうではないのです。

法事だって葬儀だってただお経あげているだけではない、何か目に見えない霊気の影響をうけるし、また自分がしっかりしていなければ空のお経になってしまう。だから緊張感がぬけない。

また自分自身が僧侶であることに対する「そうであるべき」の圧に理想と現実に葛藤に悩まされる。

調子が良い時ばかりでなくて、なんとかやっていることが当たり前状態。

よくやっていると思うのです。健康の肉体を保つのだって一苦労。時にははめをはずしてみたいなんて思うけどそんな勇気もない。

他人の畑はよく見えるというのはよく言ったものでやはり自分の苦しみは自分にしかわからないのかもしれません。

花粉、昨日からこれにやられてしまっていてどうも身体が怠くて仕方ない。

でも精神力があるからそんなことを気にしないでやり通せるのは自分自身の鍛錬のたまものかも。

愚痴ってしまいました。


青い星

2025-03-14 10:41:13 | 日記

ふと寝る前に思いました。宇宙はまっくらだそうです。その中に綺麗に輝く星、地球が存在します。

それで地球は太陽系の中の惑星。太陽系は銀河系の中の片隅にある。そして銀河系は大宇宙の星団の片隅にある。

どう考えても大宇宙の中で生命が存在するのは地球だけというのは論理的にありえないし、もし地球以外の星の生命体があれば青く輝く地球に興味をしめしてもおかしくないのではないか。

私が宇宙に投げ出されたらあの綺麗な星。地球に帰りたいと思うし、その地球が核戦争で生物がすめなくなる星になるなんてどうしても赦せない。

宇宙人が存在したら他の星からわざわざ来ているのだから人間よりも高度な知能をもっているだろし、その宇宙人からみたら人類はなぜこうも地球に対して優しくないのかと思うのではないか。

ある画像で宇宙の中にぽつんと存在する地球を見てふとそう思いました。

地球は以外に小さい。そしてなんだか寂しそう。

それは外から見ての話しですがよくこのような星が宇宙に誕生できたと、神の意志を感じずにはおれません。

そして太陽系のほかの惑星に地球のような星がないことを考えるとありがたいと地球に感謝しなくてはならないと思います。


存在

2025-03-13 18:31:40 | 日記

うまくいった日も、そうでなかった日も、一日は一日。

仕方ないのです。そうなろうと思っていなくてもそうなってしまうことがあるのですから。

だいたい自分でもどうしてみたいなことがこの世の中では多々おきます。

さてしばらくあまり休まずにずっと働き過ぎたかもしれません。少し心身をリフレッシュします。

いつも思うのです。頑張らなくてはと思ってもなかなかうまくいかないことがあるのです。

努力は必ずむくわれるというけれどむくわれないまま我慢が続くことだってあります。

最近はあまり期待しないようにしています。

私という一人の人間ができることなんて限りがあるのです。まわりの人に助けられてなんとかようやく生かしてもらっています。

ただふとした時に「ありがたい」と思えることがあるのです。その時はやはり生かされていることに感謝です。

私が毎日通っているお地蔵様は古くから多くの人に信仰されてきたありがたいお地蔵様です。

しかし時代の変遷のなかで今は住職がいない、管理も一年に二回だけ。あまりにもその能力がいかされないでいるお寺になってしまっています。

だけれどそこにある。そこに存在する。そのことに意味があるように思えるのです。

何か賑やかだからいいというのではなく、近代的に整備されているからいいというのではない。

何かそんなことを超えた何か。

よく言葉では言い表されないのですがそんな気がします。

私も皆さんも多分、存在することに意味があるのだと思います。


同士

2025-03-12 19:37:58 | 日記

私は毎朝5時半から走るのですがその時刻にときどき会うランナーがいます。その方は私よりも速く、年齢は一緒、とても誠実で話しやすい方です。

今日、お会いした時に転勤になって移動がきまりましたと伝えられました。

すごく寂しく、胸がしめつけられる思いになりました。

なんでだろう。多分、ランナーは同じことを毎日かかさずしていることで同士みたいな気持ちになるのだと思います。

雨の日も風の日も寒い日も疲れている日も。

私はまたどこかで会いましょうと伝えました。

またいつか会えると思います。

そう連絡先交換なんて必要ないのです。共通の目標を持ち、同じ努力をしていればまた再び笑顔であえます。

ちなみにその方は警察署長さんでした。名前を聞いたのでわかりました。

お互いの活躍をチェックしあうでしょう。