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沙門の法話

一僧侶の日常の思いを語る

未来の本当の姿

2025-03-21 18:04:10 | 日記

毎日通う神社の標語にこのような言葉が掲げられていました。

未来は今です

すごく意味があります。いつやるんですか、今でしょと同じ。また未来という言葉のトリックがない真髄をついている。

未来という言葉はどこか希望がふくまれているような悪くない、どちらかというと良い未来が待っている感があります。

でも実際はどうでしょう。楽観視できない現実があるのです。

必ずやってくる死はもちろんのこと、病気、別離、老い、嫌いな人間との出会い、叶わない望み。

つまりどこか未来という言葉に人は騙されがちなのです。

未来は今

これが現実。今をどう生きるか。それが未来につながる。

幸せも不幸も今が大事。

ただ未来を変えるために今を生きるのではないのです。

今をただ自分の出来る精一杯で生きていけばいいのです。力む必要はありません。

過去も未来も今で決まります。

なので今だけをみつめていればいい。それほど今が大事だと思います。


単純

2025-03-20 20:05:29 | 日記

最近は無性にお腹が空いて。とにかく甘いものが大好きです。

父親が、糖尿病だったので気をつけなければならないのですがどうしても緩くなってしまいます。

走っているから大丈夫。

自分にそう言い聞かせながら一日に何度か甘いものを食べます。

疲れている時なんかは格別な味がします。

お酒もたばこもやらないし、ギャンブルも。趣味といったら走ること。お金がかかると言ったらシューズと大会の出場費くらいです。

タモリさんが「人生、下から目線」ということばを座右の銘にしているとのこと。

すごくいい言葉です。私にぴったりです。

どうも自分はすごいとは思えないのです。よくいるじゃないですか。自分にはすごい守護霊がついていてすごく使命があって選ばれた人間みたいの。

私はそういうのはうんざりです。

ただの人。ただの沙門です。

どうにも普段の自分を省みるとお坊さんですが普通以下に思えるのです。

それってお願いしている人に失礼なのか。

私にはわかりません。ただ単純で真面目なところはあるのは事実です。


非日常の日常

2025-03-19 18:51:12 | 日記

先日、ディレクターでお葬儀をした時に高齢のご婦人が杖をつきながら遠方からかけつけていました。故人様のお姉さまということでした。

風が強い日で納骨の時はとても寒く、ご婦人は私の手をにぎりながら故人様の名を叫びながら泣いていました。

家族に自分まで入らないでと冗談をいわれていて。

今日、その親族の方と話す機会があったのですがそのご婦人がお葬儀から一週間もしんばいうちに旅立たれたとのことでした。

私はなんだかとても寂しい気持ちになりました。まだ自分の手にその方の手の感触がのこっています。

人の命はわからないものです。

そしてあの世への旅立ちは非日常でありながら日常でもあるということが私の感覚の中ではあります。

今を、この一日を大切に生きなければなりません。


作務

2025-03-18 18:17:23 | 日記

お彼岸で昨日風が強かったので今日は時間の合間をぬって掃除をしました。

昨日、妻にディレクターと僧侶と霊苑の管理はなかなか時間的に大変だとぼやいていたところこう言われました。

もともとお坊さんは掃除がメインじゃないの。

確かにお坊さんは掃除のことを作務というのですが一に作務とよく言われたことがあります。

掃除をしていると最初は身体が重くて進まないのですが次第に調子が出てきて終わりの頃には気持ちがよくなります。

まるでマラソンと同じです。

掃除をしながら霊苑で出会う人に声をかけて話を聞く。

そんなスタイルが自分には合っていると思うのですが葬祭場の仕事を忙しさで我を忘れてしまいます。

草もだいぶ生えてきました。除草剤をまかなければなりません。

ようやく葉っぱ掃除は終焉をむかえます。よく頑張ったと自分をほめてあげたいです。

そういえばずっと作務衣で事務所にいたのに5年前くらいからだろうか。ずっとスーツを着るようになりました。

今はスーツが作務衣のようになっています。葬祭業あるあるです。


玄奘三蔵

2025-03-17 18:05:26 | 日記

玄奘三蔵はインドに法をもとめて唐から旅に出ました。ちょうど皆さんがよく知っている西遊記のあのお坊様です。

夏目雅子さんが演じていたから美しい方のように思えますが確かに2メートルの身長があったとても高貴な雰囲気のある人を魅了する方だったみたいです。

ただガンダーラに滞在して多くの経典を書写して戻ってくるのに16年の歳月を要しています。ただ行って帰ってくるのには長い年月です。

まず国禁を犯して旅立ちました。ゆえに危険な目に何度もあっています。盗賊に命を奪われる寸前になったことも雪山で凍死しそうになったことも。実際に同行の人の何人かは命を落としています。

また立ち寄った国で法をひろめ、国王の懇願には耳をかたむけ納得いくまでそこにとどまります。そうすると他国にも名が広がり、旅の保護をうけることも多かったのです。玄奘三蔵はおのれの目的しか優先しないようなそんな小さな方ではありませんでした。

盗賊や国王が感化されて玄奘三蔵を慕うようになるのもその大きな精神性にふれたからです。

多くの経典をたずさえて川を渡っている途中で大風にあい、多くの経典を失ったりもしてます。また最初からやりなおし、書写しなくてはなりませんでした。

もし、スピリッチャル的な考えだともっとすんなりと神仏に護られて旅ができるのではないか、そう考えがちです。

しかしそうではありません。多くの苦難にあいながらもけっして諦めない精神力で乗り切っているのです。

唐に帰ってからは一貫して翻訳にはげみ19年の歳月をそれに費やします。

とてもありがたいお坊様なのに働きづくめです。

何がいいたいかというと、神仏を拝んでいれば安全で守ってくれる?

そんな都合のいい信仰とは大きく違うということです。

何か大きな何か。

不東、つまり法をもとめて旅立ったかぎりはけっして引きかえさない。東とは来た道を戻るという意味です。

その信念が多くのことを成す人には必ずあります。

普段の生活で盗賊に襲われることもなく、衣食住足りている自分はなんともその精神を見習わなくてはとあらためて思います。