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沙門の法話

一僧侶の日常の思いを語る

精神力

2025-03-26 19:40:14 | 日記

もうしばらくお休みなしで働いてきて昨日、大きな葬儀を終えたばかりなので今日はあまり身体が動かなかったのです。

でもお彼岸のお花をさげに霊苑に行ったら。

嫌な予感がしたのです。何故なら大風がふいていたから。でも大丈夫。もうこの時期だからと少し期待をもっていたのに杉の葉だらけで汚れているは、がっかり。

そこから腹をくくってさっきまで掃除していたわけです。

でもその時に思いました。自分はすごく精神力が強い人間なんだと。

普通の人は嫌になります。また他の人に手伝ってほしくなります。なんで自分ばかり。あれもこれも。

ただ霊苑の掃除の仕事はお葬儀の仕事みたいに何かあったらどうしようというものがないので気分は楽です。

ただもくもくと掃除をすればいいだけなので。

自分の良いところはこの精神力だと思います。小心者で神経質。欲張りで自己中心だけどこの精神力はなかなかのもの。

あとはあまり人を憎まないことだと思います。どんなに嫌なことをされても赦してしまう。

妻にはそこが甘いといわれますがどうもこればかりは単純なのかバカなのか、心底憎めないのです。

この二つくらいかもしれません。自分は。


檜皮色

2025-03-25 18:27:01 | 日記

最近、ずっと思っていることがあります。

静かな僧堂で瞑想したい。

もともと座禅が好きで仏門に目覚めたのもありますが瞑想をするのはお寺勤めの頃は日課でした。

こうして毎日追われるように過ごしていると心はそういう空間をもとめているみたいです。

まわりは緑の苔に覆われた庭があって茶室のような小さなお堂に掛け軸に向き合い一人瞑想をしている自分。

働きながら脳裏にはそうしている自分の映像がうかびます。

何故だろう。

もう一人の自分が違う世界では瞑想しているのか。

よく思うこと。それはどうして僧侶になったのだろう。いつの間にか僧侶になって30年。いったい何をもとめて仏門に入ったのだろう。

何か大事なことを忘れてしまったような気がします。

いったい何がしたかったのだろう。

私には思い出さなくてはいけないことがあるみたいです。

お山、檜皮色の衣。

あ~、そうだった。あの姿はやはり私だったみたいです。


記録

2025-03-24 19:15:04 | 日記

うまくいく時とそうでない時。その差はどこにあるのでしょう。

自分にとってうまくいく時はどこか静かで何か満ち足りている時です。

反対に自分にとってうまくいかない時はどこか不安げでどこか焦っている時。

人は普段はそんなに大きくは間違えないものなのです。しかし間違える時は偶然が何重にも重なってしまって。

気が付けばどうしてあの時、こうしなかったのだろうという気持ちになってしまう。

昨日までの普通が今日は普通にならないことだっておきえることなのです。

だからどこかいつも普通がそうでないのだと言い聞かせている自分がいます。

これは特別なんだ。仮の姿なんだと。

旅立つ人をみてそう思うのです。皆、本当の姿はあの輝いていた時なんだと。

人は老いもすれば病気もする。最後はほとんどの人がその姿が本来のものではなくなるのです。

だから自分にもやがてその日はくるのです。

いつも思います。過去と現在と未来が同時進行しているからあの日々は永遠なんだと。

まだまだこの世に私の記録を刻みたいと思います。


もう怖くない

2025-03-23 18:00:06 | 日記

多くの人の旅立ちを観てきました。そして悲しみに寄り添ってきました。

それで悟ったことがあるのです。私はもう何も怖くない。あの世はそんなに遠いところではない。だから怖れることはない。

逆算して自分がいつか死ぬと思うとこの世のあらゆる出来事がとりあえずそれまでにしておこうという部類になります。

もちろん、すべきことをせずに逝こうとは思いません。もうこれで終わりと神仏につげられるまでは。

マラソンもゴールがあるから走れるのです。ゴールがなかったら皆途中でリタイアしています。

人生もここまできたらなんだかゴールにむかっている自分を感じられるのです。

そうするとこの世の小さな煩わしいことがどうでもよくなります。

またこの世が逆に愛おしくもなるのです。

いつか見れなくなるこの世の景色を十分に楽しもう。

まるでこれからの人生もマラソン大会みたいに少しドキドキワクワクします。

 


ありがとう

2025-03-22 19:22:38 | 日記

今日は法事が4件。それにホールではお葬式がダブルで。私が担当してはいないけど法事の合間に手伝ったりして気ぜわしい一日でした。

ただすべきことをきっちりしていけばそのまま無事終わるものだと思います。なので気持ちはそれほどバタバタしませんでした。

私、思うのですが人間は似たり寄ったりではないかと。大谷翔平選手みたいな人は規格外ですが私達一般庶民はほとんど同じようなレベルで生活しているような気がします。

暑くても寒くても外で働く人も、社内でデスクにすわり作業する人もそう。自営業で飲食を提供する人もものを売る人も。

なんだか同じようにすべきことをして毎日を生活している。

お寺だってそう。法人ですから住職はあくまでも住まわせていただいている身。偉いのは仏様であって住職はそれをお手伝いする人間にすぎない。

私も僧侶なのでよーく知っています。お坊さんも普通の人間。

ただ大谷さんみたいに人に夢や希望をあたえられる人は本当に素晴らしいと思います。

私達も小さい範囲ですが誰かに「ありがとう」と言われる人間を目指して生きましょう。