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沙門の法話

一僧侶の日常の思いを語る

コンプライアンス

2025-03-31 18:06:27 | 日記

TBSオールスター感謝祭 25春で江頭2:50分が暴走して炎上しているみたいです。私は観ていないからなんともいえませんがやっぱりエガちゃんはエガちゃんです。

放送ギリギリのところをいく。そしてどうしてだかわからないけどそれを期待している私達がいる。

もうTBSも呼んだ時点でそうなるのをわかっていたはずです。永野芽衣ちゃんが襲われそうになり涙目になったというけど本当ぽく、それでいてギリギリをいくのだからあまりエガちゃんを責めてほしくないと思ってしまいます。

エガちゃんといえば東日本大震災の時にすぐに援助物資をもってかけつけたことは有名です。たしか消費者金融からお金を引き出して。

やろうと思ってもそれを実際に行動できる人はそうはいないと思います。エガちゃんはたぶんそれを本能でうごける稀な人なのでしょう。

テレビ業界も大変です。コンプライアンスでもう面白いものはなかなかつくりづらくなっていくでしょう。

会社も従業員がなにかあれば会社を訴える時代。どこか狭く、窮屈な。本当に時代は良くなっていっているのだろうか。

確かに強きに虐げられた多くの人が救われていく時代になってきています。

なかなかその線引きが難しいです。何が正しくて何が正しくないか。

その価値基準の構築を迫られています。


そこにある

2025-03-30 18:34:40 | 日記

何かの小説を読んでいて。地球が住めなくなる時に人間よりも優れた能力をもつ存在が助けに来るのです。

ただその存在はその人の霊格みたいなものがわかるみたいでそれにかなった人だけを宇宙船に載せます。

確か欲深い人はもちろんのれず、この世では成功者で身分の高いような人も精神性が劣っていればのれないのです。

あとは修行者。それも何かの集団で世の中から隔離してひたすらその時を待っていてさあ、一番に自分たちが救われると思っていた人たち。宇宙船は彼らがここだと手をふっているのを無視して飛んでいってしまいます。

作者が何がいいたかったか。

私も何がいいたいかというとやっぱり自分たちの世界にだけ籠っていて社会に貢献しようとしないのはこの世的にはあまり良いことではないということです。

もちろんすべてが全てではないですがよく学生時代に頭がパンクしそうになりとにかく山に籠りたい、そう思った時期がありました。

でもそれはやっぱり違っていたのだと思います。もちろん具体的な方法もとらずに想い続けただけですが。

そのこの前述べた静かな世界は今この生活の中で有る、ということだと思います。

お堂もなければ静かな空間もない。でも心の中にそれをつくり普段から心をそこに住まわせなさい。

そういうこと。

心がそこになければどんなありがたい神社仏閣にお参りに行ったとしても同じだといことです。


敗軍の将

2025-03-29 19:31:48 | 日記

この前、テレビを観ていたらイギリスの霊能者の女性が織田信長と明智光秀の残像思念にチャネリングしていました。

本当かどうかは別にしてとても興味深く思えました。

まず、いろいろな黒幕説がある中で明智光秀の独断によって本能寺の変が起きたこと。歴史の定説でももしかしたらと後世の人は思いたくなるものです。

でもきっぱりと自分一人の判断だと。そこがなんとも明智光秀らしいというか、自分の行動に責任を最後まで持つ姿勢に好感がもてました。

誰もが平等で幸せに暮らす世の中。

そんな文句が光秀からつたわってきたそうです。あの当時にそのような考えは現実離れしているような感は否めません。

ただあの時、もし光秀が信長を打たなければどうなっていたか。

何か日本の歴史の上で大きな意味があったような気がします。

私はどうも敗軍の将に気持ちを入れ込みやすいところがあるみたいです。

歴史上、どう思われたとしても日本の国のため。

石田三成にしろ、最近になってそのような生き方をした歴史上の人物が見直されてきていることは確かです。


マラソン精神

2025-03-28 18:14:54 | 日記

身体が重い。花粉症だからか薬を飲んでいるからだろうか。

なかなか軽くならない。

ただこんな時の方法を自分はよーく知っています。それは重いまま気持ちで負けずに動くこと。

重ければ休みたくもなるし、少しくらい手を抜きたくなります。でも私の経験上、意外にメンタル部分の比率も高いので後からズルズル後退しないためにも嫌でも無理やり動かします。

なんなら重い時も軽い時もあまり変わらないことを知っているのです。だからそれに気を取られずにマラソン精神です。

マラソンをしていて良かったです。何故ならあそこまで行ったら休もう。しかしそこにたどり着いても休まずに次はあそこまで。

そんな生き方がマラソンで鍛えられているからです。吐いたり、倒れたりしないかぎりは動き続けられる。

さて、本当は休む時には休んでおいた方がいいのだろうか。

まあ、いいかそんなことは。


2025-03-27 10:38:55 | 日記

朝、10キロを50分以内。それを続けているので身体が変わってきています。

まだ身体がうごかない時間の50分はけっこうきついです。私的にはこのまま続けていればそこそこになるような気がします。

いつもきまっていることをしていれば今日一日なんとかなる。それが自分のスタイルです。

毎日続けるのはやはり難しいのです。三日坊主とはよく言ったもので三日、十日、一か月、一年、十年。

そうして一生が終わっていくのでしょう。

今までも十年。いろいろなことがありました。そしてこれからの十年。多分、さまざまな出来事が起きてくるのでしょう。

ただ生き方は変わらなくていいと思うのです。ただ真面目に贅沢をせずに質素に、すべきことを逃げずにする。

でもそんな中でもギリギリの選択をせまられることもあるだろうし、悔しい思いをすることもあるでしょう。

しかし幹さえしっかりしていればいくらでも進んでいけるものだと思います。

人生、せっかくならば太く、しっかりと根をはっていきたいものです。

よくいわれるようにまっすぐで素直な木ほど成長の途中でダメになったりするものです。どこかまがってうまくいかないような木ほど最後まで成長できる。

人間もさまざまな失敗を繰り返しながら太い幹をつくっていくのだと思います。

悲しみや、苦しみ、喜びや、笑顔で彩られた人生を全うしたいと思います。