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沙門の法話

一僧侶の日常の思いを語る

限定版

2025-04-05 20:33:22 | 日記

今日はなんだか忙しかったです。でも無事に終わってよかった。

私は最近、生きていてまるでそれを俯瞰しながら眺めている自分の存在を感じます。

あーよく頑張っているな、自分。

それでこんなこともこの世だからなんだよな。ひとたび状況が変わればまた自分も変わっていく。

この世版。限定自分。

そんな自分が好きでもあり、どこか嫌いでもある。

自分のことなのにどこか他人事というか。

もし、このまま懸命に生きてあの世に行ければ本望かな。

もう若くないからどこか自分の人生を現実的に考えるようにもなりました。

まあ、それでも人に喜ばれるのは幸せだと思います。実は喜ばれるからこちらが生かされているのですが。


合同墓

2025-04-04 18:32:38 | 日記

今日は合同墓の60体のお骨を合祀しました。一年に一度、そうしなければ置くスペースがないからです。

だいたい二年半で合祀というペースになっています。

最近のお墓事情はこのように建てることを選ぶ人。そうでなく最初からお墓をもたないことを選ぶ人。跡継ぎのいない人。

そのようにわかれます。

ただ建てた人のなかにも代々受け継がれるかは未定の人もかなりの割合でいるのではないでしょうか。

時代とともにすべての価値観は変わっていく。

もともと一家族に一つのお墓は戦後からバブル期までの習慣で最近では樹木葬、自然葬、散骨、粉砕骨、お骨を違うものに加工する。そのように選択支はさまざまです。

私が今日、お骨を瓶からあけながら思ったこと。

故人はけっして寂しがっていない。嫌がっていない。ということです。かといって喜んでいるわけではないのですが、なんというか仕方ない。そのような波動がつたわっていきます。

そしてかすかにありがとうとも。

私がこの世に存在している間は霊苑の合同墓は清らかでありつづけるよう努めていきたいと思います。


評価

2025-04-03 18:45:14 | 日記

人間の一生なんてわからないものです。昨日までの自分と今日の自分はまるっきり立場や環境が変わってしまうことだってあるのです。

自分自身の正直、まわりのバランスの中で生活しています。まわりが変われば自分が変わる。

本来の自分自身の価値の多くはまわりに頼っている部分が多いいのです。

この前まで国民の憧れの的だった人物もまわりの味方が変わればまるで世間からののけ者あつかいです。

とにもかくにも私自身だって今のこの環境があるからまわりは信頼してくれています。

もしなくて単独、フリーランスだったらほとんど仕事はこないでしょう。

不思議なものです。中身は変わらないのに。

昔マツタケはあまり価値のないきのこだったみたいです。それが今では一個、数万円なんてことも。

わからないものです。今後、どうまわりの評価が移動していくのか。

ただ今どん底でもこれが一生というのも絶対ではありません。

人間の評価なんてある意味、その程度のものなのです。

 


断捨離ができない

2025-04-02 19:03:45 | 日記

昨日、お休みで家の片付けをしていて。ようやくあの物だらけの生活から少し脱却できると期待していました。

とにかく妻と娘の二人は捨てられない人間みたいで私は苦労しています。私ならあっさりと捨てるものも思い出があるからとなかなか捨てようとしません。

本も参考書も重なるだけ重なって。ソファーはもう何年も物置状態です。

一番はおもちゃ。いつまでとっておくのかと昨日ようやく捨てだしました。それなのにこれはいると小さないらないような小物。ぬいぐるみを遊びもしないのにまた捨てずにとっておくのです。

妻も私のような感じではないので一緒になって。

結局、少しだけ奇麗になって終わりました。娘が工作した作品。それがとてもいいと分解しようとした私を制止して義母に見せると再び保存しました。

今日、それをもって義母のもとに向かったみたいです。それをもらった義母はどうするのか。

多分、大事にとっておくのでしょう。


人間性

2025-04-01 13:55:09 | 日記

今日は寒い日。同じように生活していてもさすがに身体にこたえます。

私もしばらく疲労がたまっていたので今日はゆっくり過ごそうと思います。同じことをしていても同じではない。

よく感じることです。同じ行為でもその時、その場所、その状況ではそれのもつ意味が違うのです。

昨日、木を切る仕事をしてきた人とお話をしました。その人はいろいろな仕事をしてきたけどこの仕事が一番自分に合っていたと述べていました。

何故なら命にかかわる仕事なのであっという間に時間が過ぎるからだそうです。

一秒で命が助かる。

つまりその一秒で倒れてくる木をよけることができるという意味です。何度もケガをしたけど仕事をやめようとは思わなかったそうです。

木に教えられる。

そうも述べていました。時には樹齢千年以上を木を伐採することもあるそうです。何千年生きてきた木がたった一人の人間に切られる。

木に負けてしまうとどうにも仕事にならず、手がつけられないそうです。確かにそこの場所でずっと生き続けてきたわけだから人間よりも悟っている可能性があります。

多分、木も切られる人を選ぶのかもしれません。

同じことをするにしても多分、その人がそのことを出来るのはその人だからだと思います。

コロンブスの卵と一緒です。人の可能性とはやはり最後は人間性なのかもしれません。