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沙門の法話

一僧侶の日常の思いを語る

弱い生きもの

2025-04-10 17:47:49 | 日記

昨日は健康診断で朝走れなかったので少しストレスになりました。一日だけ走らないことでこうなるのだからいかに毎日同じことをするのに固執しているかがわかります。

ほぼ毎日、一か月、一年、何もなければ同じような日課で生活しています。それでこれが重要なんですがその内容はほぼ動きまわっている。何もしない時間がほぼないというような状態です。

まるで止まることを怖れているかのように。

どんなに疲れていても汗びっしょりになるまで走るし、日中も決めたことをやることに努力しています。それで夜になり食事をとって寝る。また朝がくる。

少しづつ肉体は衰えているのに走るタイムが上がるのを期待していて、今度はどのくらいで走れるのかが楽しみです。

よく考えると頭の中に仕事、家庭、走りのみで満たすことによって余分なことを考えないようにしている自分がいます。

効率がいいです。

人間は正直、弱い生きものです。だからこそ自分でうまくコントロールして律することは大切なことです。

タガが外れればいくらでもどこかに行ってしまいます。それがわかっているからこそです。

人間なんてそんなものです。


丁度可知差異

2025-04-09 18:21:37 | 日記

丁度可知差異とは刺激の識別が可能な最小値のことであり、分かるか分からないかくらいの違いです。ロングセラーブランドのパッケージデザインに見られる「定期的に少しずつ変えていく」というパターンでは、この丁度可知差異が採用されるそうです。

テレビで明治ブルガリアヨーグルトのパーケージが何回も変更されているのをとりあげていました。これにどんな効果があるというと心理学的に変わらないパッケージの安心感と最小値の差異により新鮮さを感じ取れるそうです。

ふりかけの「のりたま」は味を何回も変えていっているそうです。私達は同じものとして食しているのにどこか違うことによりより食べたくなる。

これを考えた時に勝手に自分自身のことに置き換えてみました。自分にも丁度可知差異は有効ではないか。

つまりこれでいいという自分に落ち着くのではなく、そこはそこでいつでも変えていける自分であり続ける。そうすることによって人もその人がなんだかわからないけど魅力があるように思えて惹かれるのではないか。

また大きく変わる必要がないことが努力次第でなんとかなると思えるので行動しやすい。やれるのではないか。

今日よりも明日。明日よりも今日。

昨日はなんだか落ち込んでいた自分も今日、きゅうにこの思考を取り込むことによって元気になりました。

ちなみにかつおだしは文字のいろを濃い青から白に変えたら売り上げが落ち込んだそうです。やはりイメージを大きく変えてしまうのはリスクがあるということでしょう。

ならばこのままでいい。より安心して生きられます。少し都合良い考えかもしれませんが。


最先端

2025-04-08 16:13:10 | 日記

今日はなんだか少し気持ちが落ち込む日でした。何故だろう。

多分、今まで必死に頑張ってきて心身がすりきれる思いもして、でもなんだかその結果がどうゆうのかこれなのかって。

贅沢だろうか。普通に生きられるのだから何も不満があるわけではないのですが。

まず言えることは宗教的なこと。お葬儀もお墓も含めてお金がかかるのが少し気落ちします。

もっと安くしてあげたいけど安ければ喜ぶけどそれでは仕事にならないし、なんだかどうしてこんな世の中になってしまったのだろうって。

子供がいない。跡継ぎがいない。お寺のお布施が高い。墓じまいの料金も高い。

どうにか働いて自分が生活するのもやっとなのにその上、本来救いを提供する宗教にお金がかかってしまう。

なんだろう。私もなるべく人のためにと思って頑張っているのですが今度は私のそれがどこか当たり前と思われている寂しさ。

時代は生活するのにも大変になってきます。そこに宗教がどのようにかかわっていけばいいかは本当に試されるようになっていると思います。

私は隠されていないその最先端にいます。

 


ホトトギス

2025-04-07 18:27:37 | 日記

最近は法事とお葬儀ばかりが続いているのでなんだか身体が疲れぎみです。肉体労働とは違う疲れ。

もし、自分がこれから身体について気をつけなくてはいけないことは多分ここの部分だと思います。

見えない何か。

あまり油断してはいけない。そんなに簡単なことではない。

朝のランニングもいまいちスピードにのれません。しかし自分のメニューはこなしていますが。

どんなに疲れていても二キロぐらいすれば身体は温まってきてスピードが出てきます。それで最後の二キロは汗だくで。

自分の汗がすごく心地よく感じる。

もうこれで寒くなることはそうはないでしょう。

山並みはいまだに雪景色。

いつもの場所でホトトギスが鳴くようになりました。毎年、この時期です。つばめも沢山飛んでいます。

草の匂いが地面からしてきます。

さあ、今日は少しはやく帰れそうです。少し疲れを取らなければいけないと思います。

 


動物好き

2025-04-06 18:40:07 | 日記

春の陽気に気持ちよさを感じるこの季節。

毎年、桜は人の心を華やかしてくれます。私も人生のスタートはいつも春からはじまりました。

本山に向う新幹線の中から綺麗なピンク色の山桜を観たのがついこの間のようです。もう三十年が経ちました。

知らぬ間に年ばかりを重ねて、なかなか中身が伴わないのも悔しいかぎりです。

そういえばこの前、ニホンカモシカを観ました。シカではなくカモシカです。私の方を観て少し驚いていました。

けっこう珍しい動物にでくわすことがあります。神社をお参りしていたら小さな祠の上にフクロウがいたことも。

マラソンをしていたら霊山の途中でイノシシとうりぼうが突進してきて目の前をとおりずぎました。サルにも時々あいます。

そういえば最近、よく鳥が鳴いているのに耳をかたむけるようになりました。そしたら何を話しているのかが少しだけどわかるような気がして。

まあ、動物だって感情の生き物ですからよく観察すれば伝わってきてもおかしくはありません。

よくネコを飼っていた時に会話していたことがあります。最近はアパート暮らしなのでネコを飼えなくなりましたが断然ネコ派です。

私が飼っているのは金魚三匹とヌマエビ二〇匹、タニシが四匹、ドジョウの巨大なのが一匹ととてもちいさなものが一匹です。

去年、拾ってきたネコは職場の同僚に大事に育てられています。私の見捨てることが出来ない性分があの子の命を救えたのかもしれません。なんて。

子供のころ、ツチノコみたいな大きな胴体の蛇を観たのを憶えています。あれは夢だったのだろうか。

子供だからその大きさも誇張されたものになっているのだろうか。

一度飼ったら最後まで面倒を見るのは動物でも植物でもそうみたいです。

私はネコみたいに人懐っこいところがあるが自分勝手でマイペースです。

だからネコが好きなのか。