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沙門の法話

一僧侶の日常の思いを語る

感謝の思い

2025-04-15 18:11:40 | 日記
私が学生時代、福井県の永平寺に参禅修行に行ったことがあります。確か5泊6日くらいだったろうか。
その頃の自分はとても精神的においこまれていて本当に救われたい、救ってほしい、そんな思いから永平寺へと気持ちが強くむかいました。

さて新幹線でいざ永平寺に出発という日の朝。新幹線の時刻に絶対に間に合わなくてはいけないのは充分わかっていました。
しかし自転車に乗ろうと思ったらどうしても鍵がないのです。慌てました。おかしい、いつも使っているのにどうして今日に限って。

こうしてはいられない。このままでは新幹線に乗り遅れてしまう。
私はやむを得ずヒッチハイクをすることを決断しました。実際に駅までは車で10分もかかりません。その方向に向かう車はあるはず。

何台かの車にスルーされましたがそんなにしないである親子連れの車が止まってくれました。私は必死にお願いして駅まで乗せていただき無事に永平寺で修行することができたのです。

今、考えるとあの時から修行がはじまっていたのかも。あの時、ちゃんとお金をお礼として渡しただろうか。今なら当たり前にできたかもしれないがまだ10代だからそんな機転は回らなかったかもしれません。

私の心の中で今でも乗せていただいたことに感謝の思いを抱き続けています。

塩浴

2025-04-14 12:07:02 | 日記

昨日、家に帰ってきて金魚の水槽を洗おうと思ったら7年以上飼っている金魚の一匹が瀕死の状態になっていました。

これはまずい

エラ呼吸もできるのがやっとのようで身体が横に浮いています。もう今晩が山かもしれない。

しかし諦めずに隔離をして塩浴をほどこしました。そうしたら今朝になってだいぶ回復してきて今療養中です。

人間も病気をすれば薬が処方されて治すことができます。動物も同じように何らかの処置をすれば生を永らえることができるのだとあらためて思いました。

思えば自分も仏教という薬に救われました。多くの仏教寺院で薬師如来様がまつらていることが多いのはその由来だと思います。

学生時代、あのまま仏教に出会わなければ私はどうなっていたか。この世にもういなかったかもしれません。

見えない薬

私はそれをつくづく感じました。塩浴をしている金魚は一匹だけできれいな水槽で泳いでいます。

人間も一度、心身に不調をきたしたら波動がおちついた世界にしばらく身をおくことも必要だと思います。

学校が、仕事がと思ってしまうかもしれませんが多分、長い人生においていくらでも修正可能なことだと思うのです。

勘違いしているのが「こうでなくてはいけない」という考えです。多分それはあっているようでない架空の世界のものにすぎないと思います。

「人間一人で生まれてきて一人で死んでいく」

朝ドラである役の方が述べていましたがまさにその通りです。

人は関係ない。自分なのです。

生きていれば死にたいと思うことだって幾度もあります。だいたい楽に生きられないよいうになっているのがこの世です。

私もお休みでひさしぶりの塩浴中です。

 


女性は一家の中心

2025-04-13 14:46:07 | 日記

女性は一家の中心です。子供は家から帰ってくればまず「お母さんは」と言います。「お父さんは」とはなかなか言いません。私の家庭でも子供はやはり母親が一番すきみたいです。ここは比べるところではなくやはりそうなのだと思います。

古来、日本では女性を太陽と同一視しました。日本の霊場の中心は「天照大神」をお祀りする伊勢神宮です。日本の三大霊場はまず政治的、経済的、日本の国を動かす力である伊勢神宮。そして縁結びの神様、生活、人の家族の営みをお守りしてくださる「大国主之尊」をお祀りする出雲大社。(須佐之男命が父)亡くなった人が集まる山。月山(月夜見命)を崇める出羽三山。出羽三山とは月山、羽黒山、湯殿山の総称で羽黒山に三山合祭殿がある。

この三神は兄弟です。天照大神様が長女、月夜見命様がその下の弟、三番目が須佐之男命です。

話は戻りますが、日本の中心の神様が太陽を表す女の神様、天照大神であることからして女性中心の家族形態であった可能性があります。「今日は」皆さんこの言葉は日本人が一番頻繁に使う言葉ですが、意味としては「太陽さん」だと言われています。皆さん、太陽の下で今日も元気(太陽のエネルギーをいただきながら)で生活していますかみたいな感じだと思います。「お母さん」この言葉の意味を皆さんご存知でしょうか。「お母さん」とは太陽さんという意味です。日がカアカアと照るさまをその音のままお母さんになりました。「お父さん」はどんな意味があると思いますか。「尊い人」という意味です。とても重要な役割だと思います。(ちなみに日本では国の名も国旗も太陽を表しています)

世の中の女性の方は自信をもっていただきたい。この日本は女性中心に成り立ってきたことを。太陽の光、そこから生みだされる大自然の恵みに感謝しながら生きてきたのが日本人です。この国土に住んでいるかぎりでは意識しようが無意識であろうが女性を大切にしなくてはいけない国だと言えます。

しかし、社会はいまだ男中心。家では旦那の世話、育児に追われる毎日。イクメンなんて最近は騒がれていますが、やはり女性がいてこそだと思います。女性にとって結婚は自分の性が変わるとても大切な出来事。後ろの守護霊がいっきに変わります。もちろん、婿養子をもらい自分の性のままだったらそのままです。嫁の立場は昔も今も変わらず、家に入る、白無垢はその意味があります。その家に染まらなくてはいけません。染まってなおかつ次の代へと子孫を遺す役割があります。もちろん、今世に結婚をしないと決めて降りてきている魂があるのも事実です。ここではおよその傾向を述べているにすぎません。

嫁ぎ先では舅、姑、小姑に気を使い、何故かなかなかなじませてもらえないなんてこともよくあることです。こんな話を聞いたことがあります。その方は長男の方と結婚して家に入ったのですが、そこに娘さんが離婚して戻ってきました。早くなじめるよう義理の父母、そしてご先祖様を大切にしてきました。しかし出戻りの娘さんにこう言われたそうです。「あなたは嫁さんとしてこの家に入ったが先祖とは血がつながっていない。お仏壇は血がつながっている私がみるから大丈夫」。私はそれを聞いた時にこの娘さんはとても勘違いしていると思いました。長男の嫁としてその家の繁栄の為に入ったお嫁さんのことを先祖はとてもかわいがっているし、そもそも守護霊は皆嫁ぎ先の先祖である。もし出戻った娘さんが旧姓を名乗っていたとしてもそこは跡継ぎの嫁として一目おかなくてはならない。結婚した相手方の姓のままであるのならなおさら許されないことである。

皆勘違いしているのは血のつながりよりも霊的なつながりの方が濃いということです。今男女別姓が日本にないのはおかしいと叫ばれていますが、先祖を大切にし、家を守ることを大切にしてきた日本民族にはふさわしくない制度だと思います。皆さん国家とは日本にしかない言葉だとしっていますか。他国では国は国。国に家を付けるのはおかしいことです。しかし日本では違います。国も自分達家族の集合体で大きな家なのです。その国を守る家。家を守る女性。そこに外国にはわからない日本の国の仕組みが成り立っています。

どうかいつも明るく太陽のように一家を照らす「お母さん」であってください。「お母さん」は家族の太陽、元気の源、一家の中心です。

今日は女性の為のお話しでした。


作家志望

2025-04-12 16:18:23 | 日記

今度、久しぶりに公民館での講演があるので頭で練り直してパソコンに打ち込んでいます。以前に講演した時の原稿を読んだら我ながら感動しました。

けっこういい文章書いている。もう何年も前なのにあらためて自分には潜在能力があると自覚しました。

不思議なものです。あの頃よりも経験が豊富でさまざまな困難を乗り越えてきているのに何年も前の自分に感動するなんて。

そう思うと自分だと思っている存在は意外に自分で把握できていないのかもしれません。

だから一過性のきめつけで「自分はダメな人間だ」なんて思ってはダメです。数年後には自分に自分が感動することだってあるかもしれないのですから。

やはり自分の人生の中で自分に感動したのは何かに挫折して涙して懺悔して、それでもなんとか救われた、救っていただいた時なような気がします。

自分が調子よく活躍した時よりもすごく心が傷ついて、それで人の優しさにふれて、感謝した時の方が記憶にしっかりと刻まれているからです。

だからもし、数年前の自分でも数年後の自分でもそんな自分の時はその自分に感謝すべきです。

「よくがんばった」と。

今日はデスクでキーボードをたたく時間が長かったけどあっという間に時間が過ぎました。

やはり作家志望の娘と同じ文章を書くことが好きなのかもしれません。私には小説は書けませんが。


できること

2025-04-11 17:53:37 | 日記

例えば目の前にある小さな豆を違う皿に移動します。ただそれだけのこと。小さな子供でも当たり前にできることです。

でもそれをできないのではなくしないのはできないのと同じ。

わかりますか。生きていてすごく思うのです。あーこんな簡単なことはいくらでもできる。だから放っておこう。

これはやらなかったと本人は思うのですができなかったと同じなのです。

この世の中はいかにできたことを重ねるかではないかと思います。今、私のデスクの後ろには必要がなくなったコピー用紙があります。

これは一枚は薄い紙です。しかし何枚も重なって高くつまれています。そのように「できる」は重ねていけば現実的に大きなものになっていくのです。

人生も何気ない一日はすぐには結果にはあらわれないと思います。しかしその何気ない日々をできたことで重ねればたぶん大きな自分自身の財産になっているに違いないのです。

たぶん、努力とはそのような小さなできることの積み重ねだと思います。