2020@TOKYO

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再び、お誕生日おめでとうございます!

2008-08-07 | ■エッセイ
  今日は立秋、とはいえこれは何という暑さ!秋を実感するのは、もっとずっと先のことになりそうだ。

  24年前の今日、次男が生まれた。慧さん!誕生日おめでとうございます。

  妻の実家・山口で生まれた長男とは違い、次男は東京の産院で生まれた。昼の比較的早い時間のことで、報せをうけた私は仕事を早退して中野の産院に走った。産まれたばかりの次男と、産んだばかりの妻に出会い、当時借りていたマンションに戻って窓を全開にして一坪足らずの庭に水をまいた。涼しい風が一気に自分の身体を吹き抜けて、私は思わず両手を広げ、深く息を吸い込んだ。窓辺の小さな植物のグリーンが眩しく、私は意味もなく大声で笑った。

  人の記憶とは面白いもので、昨日のことをはっきりとは思い出せないことがあるのに、こんなふうに24年前のことを明確に覚えていたりする。「思い出が多くなったら、それを忘れることができなくては…」とリルケは「マルテの手記」に書いた。「人は生きるためにパリにやってくる」というフレーズではじまるこの長大な散文詩には、妊婦、産院、乳母車といった生のキーワードが登場する。

  次男の名前はなかなか決めることができなかった。役所に届け出る期限ぎりぎりまで、あれこれと悩んだ。私たちの苗字は平仮名にすると5文字、私の名はさらに5文字あり、子どものころ、全部で10文字の姓名を平仮名で記すのには骨が折れた。未だに、海外の人は私の名前を正確には発音できない。

  私は二人の子供に、どんな国に行ってもやすやすと発音できる名前を付けたいと考えていた。さんざん悩んだ末に、次男は慧(ケイ)と命名した。音にするとKeiだが、海外の人にとってはK(ケー)でも通用する。フランツ・カフカのKはともかく、5文字の私にとっては、まことにうらやましい名前だと思っている。「まだ名もなき若者よ、君の心に戦慄するような美しい思想が湧いたら、君を知っている者がいないことを喜びたまえ」(リルケ)。

  名前が決まらないままの2週間、家人は慧を「コボちゃん」と呼んでいた。コボちゃんとは現在でも読売新聞に連載されている4コマ漫画のタイトルで、新聞販売店からもらったコボちゃんのタオルに、生まれたばかりの慧がくるまって寝ていたことから命名されていた。布団の上で彼が小さく体を動かすたびに、タオルに描かれたコボちゃんの表情が微妙に変わる様子を、私は飽きもせずに見つづけていた。

  「思い出が多くなったらそれを忘れることができなくては…」という先の言葉には次のような結びがある。「再び思い出がよみがえるまで、気長に静かに待つ辛抱がなくてはならない」。

  

  

  

  
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