疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

演劇における松たか子考

2006年06月01日 01時16分29秒 | 演劇
端的に言って、松たか子という女優はちょっと過大評価されていると
私は思います。

というのは、彼女は松本幸四郎の次女であるという名門の出で、
さらに端正なルックスのせいで、テレビドラマでは透明感のある役を
やることが多いのですが、打って変わって、演劇になると
どうも汚れ役に抜擢されることが多いようです。

例えば「ミス・サイゴン」のキム 
「ラ・マンチャの男」の娼婦アルドンサ
そして今回「メタル・マクベス」ではマクベスの妻
どれも非常に強烈な個性の、悪女の役です。

しかしどうでしょう?彼女はその役を全うできているでしょうか?
彼女の現在のキャパシティーの中ではやり切っているほうだと思います。
しかしどれも、ほかにもっともっと適任の女優がいるのに、何故か彼女が
こういう役をやることが多いのです。

多分本人も、こういう強い役をやることを望んでいるのでしょう。
それは良く分かります。でも彼女が悪い女の役をやるときに絶対的に抜けているものがあります。

それは、同じ絶望でも「一度は他人を心から信頼したのに、裏切られた」という気持ちです。
彼女が演じているのは、そうではなく「誰も本当の私を分かってくれないお姫様」の孤独のほうなのです。

彼女は「わかって欲しいのに、ただちょっとしたぬくもりが欲しいだけなのに」という、「悪事・悪態の根源」に少しも触れていません。そのせいで、彼女が
悪ぶれば悪ぶるほど、相手役の姿やテンションに全く左右されず、ただ
形としての蓮っ葉なオンナ像へと突っ走ってしまうのです。

だから彼女が悪女をやる芝居は底が浅いのです。それは本当に罪なことだと
思います。

また彼女で気になるのは「カーテンコール」をいやいややることですよね。
何度見ても本当に嫌そうに、面倒くさそうにカーテンコールをやるのは
良くないことです。そこからも彼女が本当にコミュニケーションの欠落を抱えていることが良く分かります。

コメント (4)
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劇団新感線「メタルマクベス」

2006年06月01日 00時51分27秒 | 演劇
いやはや初めて新感線のお芝居を見ました。
「メタルマクベス」は新感線の芝居と言いながら
原作はシェークスピアの「マクベス」でそれを
クドカン脚本 主演は文学座の内野聖陽・松たか子
他にも上條恒彦・森山未来などが出演した
新感線プロデュース公演に近い形式でした。

で、まあもともと劇団新感線はロックギンギンのミュージカルというか
ライブ形式のお芝居だということは分かっていたのですが、
まあ長い長い。3時間30分(さらに25分の休憩ありで、実際は3時間50分)
もある公演でした。
しかも、内容は2206年の未来の地球での武将達の争い(マクベスパート)に
1980年代のヘビメタバンドのお話が絡まって、まあ長いこと長いこと。

しかも何だかジョークもつまらないし、楽屋落ち風のコントが多いし、
クドカンの悪いときの脚本のようでした。

クドカンは、現代風俗に密接に結びつきながら、そこに人情のようなものを
絡ませるのが得意な作家ですが、決して奇想天外な大きな話を書ける人では
ありません。なんだかマクベスのような大きな話が、とにかく矮小化矮小化されて
行って、それが矮小化されればされるほど、長くなるという悪い循環で、
ちょっと私は苦手な芝居でした。

まあ、好きな人もいるんでしょうけれど、私はダメですね。内野氏・松氏が
宝のもちぐられのように思われました。
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