疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

テンポイント

2005年07月08日 00時42分02秒 | 社会
80年代より少し前ですが、1977年の競馬「有馬記念」は、競馬史に残る、一番の名勝負
テンポイントとトウショウボーイのマッチレースとして有名です。

このレースを幼い私はリアルタイムで見ていました。

テンポイントは、「流星の貴公子」「奇跡の血」として知られています
祖母クモワカが伝染病の疑いで薬殺を命じられていながら、
それを不服とした馬主が彼女を隠し、10年にわたって裁判を起こし、最終的に勝訴したのです。
そして人間で言うと45歳ぐらいになったクモワカは、翌年一頭だけ娘を産みました。
それがテンポイントの母 ワカクモでした。

その子供 テンポイントは、鼻筋に流星といわれる白い筋をもった、世にも美しい馬に成長しました。
当時関東馬に全く勝てなかった関西馬にあって、その新馬戦からぶっちぎりの勝利、
3歳(今の2歳)G1 朝日杯3歳ステークスでぶっちぎりの優勝をして、関西テレビの実況アナ
杉本清が「見てくれこの足、これが関西の関西のテンポイントだ!」と叫んだのは有名な話です。

その頃、関東には、名馬テスコボーイの最高傑作 「天馬」トウショウボーイが連勝街道を突き進んでいました。
その、宿命のライバルが初めてぶつかった皐月賞ではトウショウボーイが優勝
ダービーは「この2頭に勝つのは犯罪だ」とまで言われるレースでしたが、
勝ったのは「犯罪皇帝」ことクライムカイザーでした。
また菊花賞は、その後TTGと並び称されるグリーングラスが勝ちました。

しかし有馬記念や天皇賞・宝塚記念はこの2頭のうちのどちらかが勝ち続け、人気実力とも5歳には絶頂に達したのでした。

このマッチレースはまたトウショウボーイの引退試合として設定され、ここで負けたら永遠に格下になる
テンポイントと鞍上 鹿戸明が、とにかくトウショウボーイより先にと仕掛け、トウショウボーイと武邦彦もそれに答え、
近代競馬ではありえない、オールスター グランプリ競馬での、スタートからゴールまでの一騎打ちという
レースとなったのです。

このレースを実況した杉本は「これは、これは大変なことになってきた。この2頭のマッチレースです、これは大変だ。」と
実況も忘れて驚いたほどのレースでした。

結局このレースはテンポイントが指しきって、ようやくトウショウボーイに勝つという感動的なエンディングを迎えました。

私の記憶は馬番号3番を背負ったテンポイントの美しくも気高い姿と、それを見て感動の涙をながしていた父の背中です。

テンポイントはその数ヵ月後、 なんと67キロという、普通よりも15キロも重いハンデを背負わされて、小雪舞う日経新聞杯で
骨折して薬殺処分されてしまうのです。

このテンポイントの物語は競馬のどの物語よりも美しく、悲しい物語ですね。
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野坂昭如 「エロ事師たち」

2005年07月08日 00時06分44秒 | 書籍
最近、文庫本を読むのにはまっています。
それで先日この野坂昭如の「エロ事師たち」を初めて読みました。

もともとタイトルは知っていたんですけど、「まあある時代の風俗を描いた
通俗小説だろう」と思って読まなかったんですが、読んでみたら、
これはすごい小説ですね。

関西弁で描かれた、昭和30年代のブルーフィルム制作現場の話なんですが、
おかしゅうて、やがて悲しいというか、人間の性の不思議さと言うか、
重くゆがんだ題材を、ユーモアと軽みを交えて一気に描ききった傑作じゃないですか!

正直私はこのタイトルのせいもあって、敬遠していたのですが、野坂昭如と言う人の
才能にびっくりしました。

昔、今村昌平が「重喜劇」と題して「にっぽん昆虫記」とか「盗まれた欲望」とかを
撮っていましたけど、まさにああいう、重くておかしい喜劇って中々普通の才能では
描ききれるものではありません。こういう土着っぽい性が、そうとう都会派のイメージのある
野坂昭如からつむぎだされたところに、さらにおかしさがありますね。
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