林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

ピーター・バラカンが言うには

2009年04月28日 | 英語学習
今週号の『週刊現代』の最後の方の頁でピーター・バラカンが書いているのは、外国語学習というのはその国の文化に関心を持てれば苦労が少ない、ということである。それは正論である。だが、今日の日本の中高生にたいしてどのようにその正論が生きるのか?

プログレスは、たしかに英米の文化の紹介が多い。あるいは検定教科書やBirdland(この教科書は検定教科書との共通点があるように見える)にも、英語を通じて世界の諸問題を語りかけようとしている。だが、それらが英語学習者の琴線に触れるかといえば、おそらくはNoなのではあるまいか。

大人が読むと英語の教科書には面白いことが書かれているんだけれど、子供が面白いと思うかどうかはビミョー。

我が塾では、とりあえずは、文法速習法的に英語を勉強しようと提案していますが、本当はそれだけでは足りません。英語を使って、何を読みたいのか、訊きたいのか、話したいのか、書きたいのか? それがなくては英語の勉強を続けられないのです。

意欲ある生徒求む! と言いたいですが、同時に意欲を引き出す方法論を探っております。

幼きイエス会のシスターたちのこと

2009年04月23日 | Weblog
今日は我が塾と全然関係ない話。Simple dans ma vertueと書いたので、ちょっとそれとの関係で。

私は以前はよくフィリピン・西ネグロスに訪問していた。訪問先のARADOのオフィースにとなりには、幼きイエス会の日本人のシスターも常駐していた。お名前は忘れてしまったが、静岡からの方たちであった。語学が堪能な方ばかりではなかったと思うが中には良くできる方もいて、知らない単語がでてくるとメモに取って覚えている方もいました。もちろん、英語じゃなく、タガログ語(フィリピン語)でもなく、イロンゴ語を覚えるという話です。神父さんやシスターのなかには、本当に語学ができる方たちがいるのです。

http://www.ijnico.or.jp/japan/index.html

ネットで調べてみると、たしかにネグロスでの活動もあるようです。

カトリック世界というのは、本当に幅が広く、退屈で形式主義であるかと思うと、戦闘的で柔軟であったりと、いろいろな考えや人々を包み込んでいるように思います。カトリック系の学校で学ぶ人は、そういう多様性を良い意味で学んでいってもらいたいと思います。

カトリック系女子校の専用ノート

2009年04月22日 | 受験
某カトリック系女子校のノートの表紙である。
由来は知らないが、フランス語で書かれてあるようだ。

simple dans ma vertu
forte dans mon devoir

となっています。私の拙いフランス語で解釈するに
徳は単純明快なものを持ちなさい、義務においては堅実にしっかりとこなしなさい、
ということだろうか。

ノートの大きさを変えてみる

2009年04月21日 | 文房具と読書
中高生が使うノートは、普通B5サイズ(179-252ミリ)のものだろう。もちろんルースリーフを使う生徒も多数いるはずだ。だが、従来のノートのサイズや種類を変えてみることも考えてもらいたい。

たとえば、数学でルースリーフを使っている生徒は、普通のノートにしたほうがよいのではないのか? 数学の問題演習をすると、どんどんノートがなくなるので、できるだけ分厚いものを選びたい。また、持ち運びに不便かもしれないが、A4サイズの大判のノートも便利かもしれない。エトランジェ のものを相模大野の文房具店オオヌマで購入したら100枚で520円だった。(つまり1ページ2.5円だ)

英語や社会科などでは、小さめのノートが遣い勝手が良さそうにも思える。A5サイズを今度購入してもらいたいと思う。重要構文や暗記用のノートを作ったりするときに、開いた状態で使うようにするのだ。もちろん、それよりもさらに小さなノートも試す価値がある。


ジーニアス英和辞典は本当によいのか?

2009年04月19日 | 英語学習
英和辞典といえば『ジーニアス』という時代が長く続いたようにおもう。その昔昔は、研究社の『英和中辞典』だったが、そのころにはあまり選択肢がなかったので仕方なかった。だが、現代の中高生に紙の辞書『ジーニアス』を敢えて購入させる必要はないのではないか。一つの大きな理由は、ほとんどの中高生には、あれでは難しすぎるからである。普通にできる生徒、つまり中堅私学等に通うような生徒には、もっと見やすく、引きやすい辞書。英語力がつけば捨ててしまえるような辞書こそが望ましいのではないのか。(ここで「普通にできる生徒」のための辞書と書いたのは、公立中学の普通の生徒の場合は辞書は買う必要はないかも知れないと考えるからである)。

私がたまたま古本のBookOFFで見つけた『グランドセンチュリー』はかなり良かった。amazonでしらべてみると、現在中古で送料込みで1500円くらいである。

あるいは、ユースプログレしう゛ はどうか?

まだまだ知られていない名著もあるかとおもう。大学生・社会人になっても使える学習英和辞典ではなく、中学校3年生で使える辞書をもっと探してみようと思う。

ちょっと調べてみたら面白そうな辞書があった。ニューヴィクトリーアンカー英和辞典である。
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自分のテーマ曲を決める

2009年04月19日 | 受験
昨夜、アイススケートをちょっとだけみた。ある国の選手は最初はバッハのオルガン曲トッカータとフーガのアレンジ曲→冬ソナのテーマ→ヴィヴァルディの春(?)だった。他方、日本の真央はいつものようにドビッシーである。

受験勉強を長くやっているときなどは、音楽が励みになる場合があるのではないだろうか。自分にやる気を起こさせる音楽をかけて勉強を始めるのである。バックグラウンドミュージックに相応しい曲もあろう。

ちなみに私のラッキー・ミュージックはバッハの「目覚めよという声がする」である。この曲が流れてくると、合格は間違いなしだ。なお、冬の朝の目覚めの曲として良かったのはアルボー・ペルトーの「ベルリン・ミサ」である。

怠け者型と真面目型の学習方法

2009年04月17日 | 受験
私のやっている個別指導塾は、夫婦2人だけの非常に小さな個人経営のものである。だが、それでも2人の勉強方法論について意見が大きく食い違うことがある。お互いの性格や学習体験が違うので、学習スタイルも大きく変わってくるというわけである。はっきり言って、どちらのやり方が正しいのか決着がつくものと思えない。あくまでも、様々な学習スタイルのバリエーションの一つなのである。

例えば、問題集に取り組むとき、ノートに問題を書き込むのか、それとも問題に直接書き込むか。彼女の方といえば、問題集は極力汚さず、しっかりとノートに問題演習していくべきだとする。その方が、間違えた箇所について何度でも問題集を繰り返し使えてよいとも考えるのだ。

私(男)は、基本的には問題集に書き込んで良いのではないかと思っている。その方が気軽に、どこでも、すぐに勉強を始められるからだ。間違えた箇所については、赤で×をつけておくだけならば、多少汚い感じになったとしても、もう一度その問題集を何度でも使えるじゃないかとも考える。(ただし答を書き込まない)。あるいは、もう1冊や2冊、同じ問題集を買っておけば良いじゃないかと考える。こういう風に考えるようになったのは、中学校三年の時の受験勉強体験が大きな原因だ。(機会を設けて、私の高校受験体験について書いてみたい)。

要するに、問題集の使い方一つとっても、様々なやり方がある。前者を几帳面・真面目型の学習方法だとすれば、後者は怠け者型の学習方法だといえる。

どちらのやり方が正しいやり方かという問いは無意味である。どちらの方が自分の勉強スタイルに合っているのかどうなのかが重要である。生徒の側も、高校生ぐらいになれば、自分に合った学習スタイルとは何なのかということについて自覚的であってもらいたいと思う。逆に言えば、自分の学習スタイルに無自覚の段階においては、教師側が勉強方法を指定してしまう必要がある。もっとも、ここで講師間の意見の違いがでてくる。ただし、真面目・几帳面型の生徒の場合は、怠け者の私でもノート式を勧めますよ、念のためですが。

大手予備校と我が塾の公立中等学校の受検コース

2009年04月16日 | 受験
公立中等学校の受検は神奈川県に関しては、気軽な気持ちで受けるのが正しいのではないかといった趣旨の文章を書いたことがある。しかし、神奈川県に新しくできた公立中等学校は塾業界にとっては大きなビジネス機会の登場を意味することなので、チラシ等ではある程度以上に頻繁に言及されているのが実情のようだ。

1週間以上前のことになると思うが、我が家の新聞チラシの中にも、「公立中高一貫対策コース」を大きく取り上げる大手受験予備校のチラシが入っていた。それによると、公立中等学校の適性検査は学力試験であるから、国語・社会科・算数・理科といった科目を勉強していけば良いとのことである。これは私もほとんど異論がないところである。問題は、その対策講座の在り方である。

「○○では算数・国語に加え、理科・社会・作文を指導します」となっているのだが、たった週1回のコースが追加されたに過ぎない。とりわけ問題なのは、理科と社会科にはそれぞれ40分の授業があるのに対し、肝心な作文の授業時間はたったの20分間しかないということである。たった20分で作文の指導ができるはずがない。したがって、この神奈川県の大手予備校の講習を受講しても、公立中等学校の適性検査の記述問題を乗り切る力を養うことはほとんど絶望的である。

私は何も、この大手予備校を批判したいのではない。むしろ、公立中等学校の入試問題の側に大きな矛盾が内在していると指摘しておきたいのである。というのは、経済的理由から公立中等学校への進学を希望する親御さんが大半なのに、その適性検査に対して本格的な対策を立てようとするとかなり高価なものになってしまうのだ。これほどの矛盾があるだろうか。しかも、その公立中等学校の受検をくぐり抜けても、それは一流進学校ではなく、あくまでも「中堅」進学校に過ぎないときているのだ!

公立中等学校受験に関わる塾業界が、公立中等学校受検に真面目に対応すると言うよりは、安価で安易なコースをつくっていまうのは、ある意味では自然の成り行きなのである。求められているのは、安い授業料のコースなのだからだ。


ただし、私の塾は個別指導教室なので、公立中等学校向きの安価で安易なコースを設けることは考えていません。もしご希望の方がいれば、私立小学校通学者対象と同じコースで、ちょっと本格的な教養コースを受講してもらいます。もちろん受検必勝コースでは決してありません。あくまでも高い教養の習得を第一に考え、受検の方は受かれば儲け物という心構えで臨んでもらうようお願いすることになります。(作文指導等をするのですから個別指導でなければ対応できないのです。しかし、公立中等学校受験生の親御さんの「ご希望」に応える物ではないことは明らかだと言わざるを得ませんね

公立中高コースの生徒について

2009年04月14日 | 英語学習
私は以前次のように書いた。


受験的には[私立コースと公立コースと]どちらが良いのか。私は、もしご両親や高校の先生が十分な配慮示すことができるならば、公立高校でも受験的には不利ではないと思っている。ただし、浪人率が高くなるのはやむを得ないとしてのことだ。


数学などは本当にそうだと思っている。ただし、英語については、私立の有利さは否めない。プログレスやBirdlandのような教科書でしっかり学んだ私立の一流校または中堅トップ生と、現行の公立中学向け教科書で学んできた公立高校生とでは、大いに差がついていることだろう。(ただし中堅校の中位以下の生徒と比べて出来が悪いというわけでは決してない)。

とくに懸念されるのが、高校受験予備校で間違った勉強法をたたき込まれた場合である。英語の基本は、音読によってしっかりとインプットしなければならないのだが、予備校ではしばしば○×記号入力式英語をインプットしてしまう。すると、矯正が至極大変なものとなってしまうのだ。

NHK基礎英語をしっかりと聴くか、良心的な英語塾に通うことを強く希望する。

理系は英語が嫌いになりがち(その3)

2009年04月07日 | 受験
理系は英語が苦手だったり嫌いになりがちだったりします。では当塾ではどのように対応するのか? 当然問われてしまいますね。

①小学5ー6年あるいは中一・二のうちから音読・英会話的アプローチに慣らしておく。

最高の方法論は、やはり10歳過ぎの段階でしっかりと音読しておくことです。(できましたら、中学等での英会話的な機会があるとなお望ましいといえます)。当塾では私立中高一貫の中一二年生から通塾されることを切に希望します。

なお、最近の吉田研作教授編纂の中高一貫校向け英語教科書Birdlandは、まさに発信型の教科書と言うべきもので、音読のアプローチが非常に役に立つように出来ています。

② 大学受験一年前に過去問等特訓

基礎的な文法力が出来ている場合には、仮に音読的な訓練をつんでいないとしても、当塾で赤本などをもちいながら過去問特訓や読解問題対策などすることは出来ないことはありません。しかし、グローバル化時代ですから、リスニングや発信型英語を身につけて欲しいので、音読はやっておいてもらいたいですね。音読は英作文と英会話の基礎になるものなのですから。

③ 中三ー高二・三で英語嫌いの場合

これが最大の問題です。多くの予備校や学校では、英語の音読を奨励せずに単に英文法の問題集をやらしています。そして、それは多くの弊害を産んでいるようです。つまり、英文法や英語のリズムの根本がわからないままに英語の「勉強」をしているのです。

たとえば、ある高校三年生はWho do you call? とWho calls you? の区別が付かないまま、慶應大学等の超難解英語の入試演習をしていました。言うまでもなく、前者の主語はyouで、後者の主語はWhoなのですが、要するに中一的な英語の根本です。主語と動詞の理解にすぎません。だが、そういう根本を理解せずに難解英語に立ち向かっている生徒さんがたくさんいるのは、残念ながら事実なのです。

以上のような生徒さんの場合は、一から英語の勉強をやり直していく必要があります。もう中学一年生ではないので、かなり大変な矯正作業となります。しかし、本人が現状を理解し、なんとしてでも正しい英語を身につけていこうという気持ちが芽生えれば、矯正することはいつでも可能なのです。

理系の英語嫌いを克服するには(その2)

2009年04月06日 | 英語学習
理系の生徒が英語苦手という問題は、もしかしたらかなり深刻なのかもしれない。そしてこの問題は、かつての日本の英語教育で、英語は一応は読めるけれども全然話すことはできないというのと共通しているのかもしれない。

①数学においてはある程度高度な知的水準の文章に接することができる。他方、英語学習においては極めて単純・単調な課題が設定されている。解くべき問題もない。要するに、「とっかかりのない」課題が与えられている。このギャップのために、理系の人間は英語の勉強したくなくなるのではないか。

かつての英語教育にも似たような問題があった。中学で一通り簡単な英文法を終え、高校ではかなり難しい英語を一応は読むようになる。あくまでも「一応」読めるというだけなのだが、むつかしい英文を「読み解く」という快楽を知ることができた。つまり数学の問題解くように英語の文章を読み解いていたのである。かつての高等文官試験だとか原仙作の『英標』(中原先生が改訂版を出す以前の『英標』)はその象徴であった。こういう英語の勉強が身についてくると、単調な英会話の勉強ができなくなってしまうものだった。幾ら英会話のために必要だとわかっていたとしても、読むだけならば余りにシンプルな英語表現を、今さら声に出して覚えることなどは、バカバカしくてやっていられなかったのだ。(また、英会話を学習する機会も限られていた)。

私の考えでは、理系人間が英語が苦手であるというのと、後者の英文「解釈」英語教育で英会話ができなくなってしまうのと、かなり共通の要素がある。学問的刺激を求める生徒と学問以前的英語学習とのギャップが原因で、英語の勉強がはかどるなくなると言ってもよい。ではどうしたらよいのか。

②いくつかの対策

(a)プログレス型
学問教育と非学問的英語教育のギャップが英語学習を妨げる原因であるとするならば、英語教育で取り扱われる英文やサウンドを知的に高度な内容を含むものにしたらよいということになる。この考え方にのっとったのが、私見では、フリン神父が執筆したプログレスのような教科書である。

もっともこの教科書は、1960-70年代と1990年代以降とでは受容のされ方が相当変わってきたのではないかという気がする。

(b)早期幼児英語教育型
子供が言葉を覚えるときのように、まずは会話から入ってくるアプローチというものがある。このアプローチの欠点はすでに述べた。学問的刺激を求める高校生や大学生には退屈なものに映るかもしれないのだ。しかし、会話重視のアプローチを10歳前の段階で始めることができるならば、そういう抵抗を受ける心配は全くないということになる。

ただしこのアプローチは、日本において現実的であるのかは疑問である。日本には、幼児からの本格的英語教育の学校はほとんどないからである。また、ある程度知的にすぐれた子供を集める事ができなければ、単なる半日本人養成の英会話学校になってしまうだろう。


(c)初期に集中型アプローチ
日本では英語の勉強をおもに中学3年高校3年の計6年間にやってきた。だがよく考えてみれば、中学1-2年生と中学3年生とではかなり成熟度に違いがある。子供の発達段階から考えれば、小学5・6年生から中学1・2年生、中学2・3年生から高校3年生というふうに分けることが出来るだろう。(細かい点にはいくつか異論があろう)。前半と後半とではアプローチや教育方法を変えるべきではないだろうか。

小学校56年生になると10歳以前の小さな子供ではないので、文法の考え方を使って言葉を教えることができる。かといって高度な英文を読み解く段階ではない。私見では、この段階で集中的に文法学習や発音学習をやるべきではなかろうか。週5回以上の頻度で、しかも少人数クラスで集中的に英語教育をしてしまえば、かなりの効果を上げることができるだろう。

逆に中三くらいになって、英文法の基礎が身に付けば、英語は週2-3回でも良くなってくる。仮に週二回の英語の授業でも、ある程度英語ができるようになってしまえば、家庭学習で対応できるようにようになるからだ。(ハワイイ大学では初級では週五回、中級では週三回であった。初級段階で頻度を多くするのは、正しいアプローチだと思ったものだ)。

私はこれが現実に即してもっとも理想的な英語教育の方法論だと思っている。小学校56年生からの英語教育が無理であれば、中学校1-2年生の間に資源の集中投資をしてしまえば良い。(少人数制が無理であれば、大人数でも仕方ない)。中三以降になって、 SVとかSVO だとか、「疑問文にして」「否定文にして」とか、退屈な英文法の学習等を勉強したくないではないか。

英語力としては中学2年生で英検準二級レベルに持っていく。そうすれば、中三あるいは高1で自然に英検2級が取得できるようになる。

第二回音読大会の実施

2009年04月05日 | 文房具と読書
昨日の土曜日(2009年4月4日(土))には、第二回の音読大会を実施しました。と言っても参加者は私を含めて2名のみ、時間は都合で40分だけでした。しかし、こういうことはまず実施する事が大事なのではないでしょうか。1回だけでは絶対にダメです。最低2回はやらないと、何かが始まった事にはならない。だから、実行できたことがとても嬉しい。

音読を真面目に参加した者は、忍耐力があるといえます。独断と偏見で書いてしまいますが、東大に合格するというのは、音読を毎週参加し実行できるような粘り強さです。

ところで今回は、以前よりはもっと気軽な気持ちで実行しました。ドリンクも用意し、途中で喉を潤おす時もありました。そんなやり方でもっと気軽に何回もやっていきたいと思います。

それから音読大会のも一つのメリットとして、読もう読もうと思っているのに、なかなか読む機会のなかった本を強制的に読んでしまう機会を持つことができることなのです。昨日の私の音読は、読み始めていたのに中断していたクッツェーの英語の本の再読をするきっかけになりました。

また、やろう。

個別指導は、過去問題研究には効果1000倍

2009年04月04日 | 受験
個別指導はマラソンランナーの伴走者なんだという趣旨の文章をちょっと前に書いた。このことをとくに強く実感するのは、チャレンジ校の過去問をやってるときである。

実力相応校くらいだと1人でも過去問をこなせるかもしれない。しかし、チャレンジ校だとか、私立の難関大学となるとそういうわけにはいかない。そもそも、チャレンジ校の問題をやるというのか一苦労である。かりに一通り問題を解いたとしても、国語や社会科の記述問題などはうまく採点できないだろう。記号式問題や、数学や英語ならば採点くらいできるかもしれないが、間違ったところを再検討し復習するというのはかなり骨が折れるはずだ。

過去問に取り組むことの重要制は、時間配分の測定・確認というよりは、むしろできなかった問題を復習することにある。しかし、大半の高校生はチャレンジ校の赤本をしっかりと消化してはいないのではないか。なにしろチャンレンジ校の問題はムツカシイのだから。

ちなみに神奈川大に合格した私の生徒の場合、神奈川大の問題のレビューには二人でたっぷり2時間かかった。ところが、相応校の東海大や関東学院大の問題は30分でお終いにできてしまったのである。大学の格が違うと、問題の難しさも同じように違ってくるということだ。

そう、個別指導だとか家庭教師の有り難い点は、まさに赤本に取り組むときなのである。一人ではできない作業も、個別指導の先生が伴走してくれるならば、やれてしまう作業なのだ。