林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

子どもに付け入ろうとするB社ーー小学生英語ビジネスの手法

2011年01月31日 | Weblog
小学生英語ビジネスの多くは、英語があまりできない親御さんの弱みを突いた商法で、ちょっと残念な感じがします。

しかし、もっと感心できないのは、子どもを直接に誘惑のターゲットと定めている業界大手の一つB社の手法です。写真をみてください。いかにも小学生の女の子が喜びそうな楽しい絵柄ですね。もちろんCDーROMも付いています。そして、毎月のように子どもに商品勧誘見本を送り続けるのです。多くの子どもは、英語講座をやってみたいという誘惑にかられてしまうはずです。

さらには、何度でも電話を自宅にかけるのです。(ただし保護者に電話します、念のため)。

商品購入するまで何度でも商品見本を送りつけ、繰り返し電話せよ、これがB社の基本営業方針なのです。


小学生の子どもーーとりわけ7-10歳くらいの小学校・低中学年の子供たちーーが、通信教材で英語の勉強を続けるというのは、きわめて非現実的な想定です。B社だってそういうことは、百も承知でしょう。しかし、金のためと割り切って、子どもに「これ、欲しい」と言わせるように、ビジネスを展開しているのでしょう。こういうやり口は、ちょっと悪徳な商法ではないでしょうか。

B社の商法に対する批判の声が高まることを、私は強く望みます。

小学生の英語必修化論争がよくありますが。。。

2011年01月21日 | 英語学習
近年、小学校の英語必修化をめぐって、たびたび議論が行われる。

今日(2011年1月21日)の産経ニュースの[金曜討論]もそのひとつである。

小学校の英語教育必修化をめぐり、立教大教授と上智大教授が激論

登場する面子はほとんど同じであり、議論もほとんど深まりを見せることはない。

しかし、結論は分かりきっている。学校英語教育推進派の見解はナンセンスな空論にすぎないのだ。


日本人が英語を話せないのは、小学生のときから英語を勉強していないからではない。(1)英語の絶対的な勉強量が足りないこと、(2)英語を話せる機会が少ないこと、(3)英語教育が全国民対象であること、(4)少人数授業の安価な英語コースがないこと、(5)大学生(以上)の英語教育プログラムが実質的に整備されていないことが主な原因なのだ。


現状において現実的な英語教育の改革は、公立小学校で英語教育を実施することではなく、むしろ公立中学の英語の時間を週4回に回復すること(できたら週5回)である。なぜ、そういう当たり前の提案をせずに、小学校英語の必修化をたくらむのかちょっと理解に苦しむところだ。だが、塾屋の私から言わせれば、その理由はほぼ見当がつく。要するに、教育産業の子供英語部門のエージェントがロビイストとして活躍しているから、小学校英語論が勢いを持っているのである。子供、つまり幼稚園児や小学校低学年を市場ターゲットとして抱き込もうというのは、業界の常識である。当然、なるべく多くの小学生に英語を学んでもらいたいのだ。

子供英語にとりわけ熱心なのが、縞滋郎で有名なベ社である。上智大学の吉田先生もベ社の恩恵に預かっている大学教授の一人である。要するに大人の利害が一致し、子供を英語教育市場に誘導しようとしているようにしか見えないのである。


英語を普通程度に話せるようになる(ここでは、英検1級程度の英語力で良いとする)ためには、中学校から頑張れる機会さえあればよい。こういう当たり前のことを、国民が知ることが出来ないのは、非常に残念である。

大量伐採? 林間の森の変貌

2011年01月18日 | Weblog
昨日(2011年1月17日)は中央林間までちょっと散歩に出かけた。

行き帰り歩きだ。のすけでラーメンを食べ、帰りは森を通って行こうと思ったらビックリだ。

中央林間(大和市)から東林間(相模原市)にかけてある林間の森(東林ふれあいの森、つるま自然の森)が伐採されているのだ。

いったいどういうことなのだろうか? 多少木を切っておくと若返るということなのだろうか? それにしても、すっかり別の光景になってしまっているのだ。

東林間側に抜けようとすると、作業員の姿が何人か見られた。写真で黄色の立て看板が映っているのが東林間側の入り口近くの状況である。

明日にでも市役所に電話して事情を訊いてみよう。


就職難の時代には女子大は良いのか

2011年01月15日 | Weblog
女子大だと就職率が良いという話は昔からよく聞くところである。本当にそうなのだろうか?

客観的なデータはたぶん無いだろう。だが、某中堅女子大の先生から面白い情報をいただいた。その先生のゼミでは就職希望者はほぼ100%内定済みだというのである。今の世の中、ちょっと信じられないようだが、本当の話だ。しかし、うちの塾の女子卒業生や、塾生のお姉さんの話を聞く限り、新卒就職はかなり難しいようである。本人たちは別に悲観的な装いを露わにはしていないが、新卒で就職はほぼ絶望的な気配が漂っているように察せられた。

この違いは何なのか? 私はその女子大の先生に就職成功の秘訣を伺ってみた。すると今更ながら、当たり前のことを確認することになった。

その某中堅女子大では、就職希望者は「一般職」に絞って、就活に成功しているのだそうなのだ。一般職というのは、総合職を補助する雑務を請け負う仕事である。昔でいえば結婚退職を前提としたお茶くみのOLである。なるほど、やっぱりそうなのかと思う。

他方、偏差値的には同じ、もしくはやや上のレベルの中堅共学大学に進学してしまった女子は、就職にはもっともっと苦戦しているように見える。

おそらく、女子大の学生たちは、なんやかんや言って「良妻賢母」の伝統を受け継ぎ、一般職を躊躇無く決意できるのかもしれない。他方、共学に進んだ女子学生は、男子学生の影響もあって、伝統的な「女性的」補助的仕事を受け入れたがらないのかも知れない。

とはいえ、一般職に就職できるならば、たとえば派遣社員になって事務をこなるよりは、かなり条件がよいように思える。

しかし、結婚退職して主婦になるという路線が解体してしまった現代において、本当に一般職が安泰なのだろうかという疑問もわいてくる。だから、割り切って一般職を目指しなさいという結論を安易に下せるとは思えない。

また、仮に女子大から一般職を目指すならば就職に有利だとしても、どの女子大でも有利だというわけではないだろう。おそらくは、中堅レベル以上で定評のある名門女子大限定であろう。これも推測であるが、短大では厳しいのだろう。かといって、お茶の水や津田塾のような一流女子大では、一般職には相応しくないと判断されるのであろう。

県立高校でいえば、相模大野や大和で一定以上の成績の生徒が進学する女子大ということなのだろう。

そして、勘が良くてキパキと雑務をこなせる、それでいて愛嬌があって可愛い,お嫁さんに欲しいような人材が求められているに違いない。


当塾としては、中堅女子大を女子高校生に薦めるべきなのだろうか? 女子大だけには行きたくないという生徒が多いのであるが・・・(しかし、将来総合職を希望しているという風でもなさそうである)。ちょっと悩ましい問題である。

トム・ソーヤーの夢、東京ディズニーランドの夢(その1) (改訂版)

2011年01月12日 | 文房具と読書
2010年の最大の文学的喜びはマーク・トゥエインと出会えたことであった。マーク・トゥエインは誰もが名前を知っているアメリカの大作家だが、21世紀の今日、本当に読んだことのある人はどれくらいいるのだろうか。私も例外ではなかった。中学生の頃、旺文社の雑誌の付録についていた「百万ポンド紙幣の男」といったタイトルの短篇を読んだことがあるが、これが唯一のマーク・トゥエイン体験だったのだ。しかも、この小説がマーク・トゥエインの作であることは、つい最近まで知らなかったのだ。

マーク・トゥエインを読むにあたって、もちろん私は『ハックルベリーフィンの冒険』から読み始めた。『ハック』こそが世界文学として重要であり、『トム・ソーヤーの冒険』は子供だましのお話に過ぎないと昔から聞かされていたからである。だが、いったん読み終えてしまうと、『トム・ソーヤーの冒険』も読みたくてしょうがなくなった。文学的な評価は低いのかもしれないのだが、どうしても気になったことがあったのだ。

気になったこと。それは『ハック』に出てくるトム君が、すごく嫌らしい奴に見えたが、本当はどういう少年なのかということだ。

『ハック』でのトム君というのは、何かというと、自分が読んだ小説の知識をひけらかす。そして、小説の権威に依拠して、他の少年たちを指導したり、演出しようとするのだ。ハックはトム君のことを嫌ってはいなかったけれども、いや、もっと率直に言えば、むしろ尊敬すらしていたのだけれども、それってちょっと変じゃないか。「○○によれば××だから、皆さん、××しましょう」なんてことを提案ばかりしていたているインテリ少年は普通ならば嫌がられるのではないだろうか? 

というわけで、その疑問を明らかにするために『トム』を読むことにしたというわけである。


最初に予め白状しておくと、トム・ソーヤーが好んで読んでいた小説がいったいどんな本なのか、タイトルや作者は何なのかとかは結局よく分からなかったのである。セルバンテスの『ドン・キホーテ』が言及されることはあるけれど、この本がトムの愛読書には思えない。というのは、『ドンキホーテ』はどちらかというと、ちょっと情けない話だからだ。セルバンテスは没落期のスペインの作家なのだ。トムは、カリブの海賊の冒険談みたいのが好きなのである。

スティーブンソンの『宝島』ではないのかと言いたいところなのだが、それはありえない。というのは『宝島』が発表されたのは1881-82年だが、『トム・ソーヤー』が出たのは1876年だからだ。しかも、時代設定は1820年代のアメリカ南部ときている。というわけで、トムはスティーブンソンの『宝島』の大ファンになるはずの少年だ。しかし、それよりも50年以上前に生まれたので、なにか別の本を読んでいたという設定である。(強いて言えば、ロビンソン・クルーソーで有名なダニエル・デフォー作と言われる『最も悪名高き海賊たちの強奪と殺人の概説史』あたりなのか??? なお、『宝島』にあこがれる登場人物がでてくる物語としては、たとえばリンドグレーンの『ピッピ 船に乗る』『ピッピ 南の島へ』がある)。


さて、『トム・ソーヤー』を読んで何が分かったのか? 僕は文学者ではないので、もったいぶらずに結論を書いてしまおう。

1)トム少年の「嫌らしさ」と私に写ったものは、19世紀の庶民階級=半識字レベルのハックからみた中産階級=高い識字レベルの憧れの少年の姿だったのである。

『トム』を読んでみると、トムくんのうんちく好きは本当に変わっているわけではない。だが全然気にならない。『ハック』で感じられたトム君の「インテリ臭」というのは、中産階級の同級生たちに囲まれてしまうと、全く感じられないような代物だったのだ。

考えてみれば、マーク・トゥエインといえば『王子と乞食』の作者である。階級や身分の違いについては非常に鋭敏なのだ。

同じような少年の冒険物語シリーズのように見えるが、実はかなり異なる階級的視点で語られているのである。『トム』では教育を受けた中産階級の子どもの視点から、『ハック』ではようやくある程度の識字力を身につけるようになった庶民階級の視点から、物語が描かれていたのだ。

現代の私たちから見れば、識字力と読書体験を前提にしたトムの語りはとくに注目に値しないだろう。大衆小説を読み、それを楽しみ、話題にするのは、ごく当たり前のことだからである。それをひけらかす必要がないし、誰かがそういう話をしたところで記憶に残らない。同様に『トム』ではトムの語りは目立たない。しかし、文盲の両親から生まれ、ようやく充実してきた学校教育で、なんとか文字の読み書きを習得するようになった世代の子どもにとって、本を読んで楽しむ少年の姿が眩い。だから、私が『ハック』において感じたトムの「嫌らしさ」「インテリ臭」というのは、ハックに代表される人々にとっては、輝かしい新世界の報告として聞こえたのだろう。トムくんの小説の引用癖は嫌らしく見えるのではなく、純粋に憧れであり素晴らしいのである。

ただし大急ぎで付け加えておけば、文盲世代(トムのお父さん)からみれば、文字を読み書きする子どもというのは、たんに不愉快なインテリ野郎でしかない。これは『ハック』に描かれてのだが、ハックの父さんはハックの識字力について、生意気な奴だといった不満を述べていることからも確認できる。つまり、あくまでも読み書き能力をある程度身につけた子どもにとってのみ、小説を読む能力が素晴らしく映っているのである。

そして、トムは非常に高度な識字能力(判事をやっているガールフレンドのお父さん)と、半分くらいの識字力の同級生(ハックルベリーフィン)の間に挟まれている。他方ハックはといえば、高度な識字力を身につけたトムと、文盲の父親や、同じく文盲の黒人奴隷ジムの間のサンドイッチになっている。こんなふうに読めてきた。。。うーん、『トム』も読んで正解だったとあらためてて思う。(続く)


識字力なし(ハック父、奴隷ジム)ーーー半識字力(ハック)ーーー識字力(トム)ーー高度な識字力(判事、弁護士)



(続く)

「松嶋×町山の未公開映画」の「NYお受験戦争」「カシム」等を見てみよう

2011年01月10日 | 教養英語
私は昨年の12月暮れからここ最近は、「松嶋×町山 未公開映画」のWEB放映版ばっかり見て時間を過ごしていたような気がする。(ただし正月の三が日には、見る人が多かったのか音声に乱れが出てきていた)。

以前から何回か紹介している「松嶋×町山 未公開映画」(東京MXテレビで金曜日深夜23:30~24:30)である。期間限定(2月くらいまでか?)だが、しばらくの間ネットで見ることが出来るのである。無料ではなく1本につき500円だが、まとめてみるとお安くなる。ぜひとも多くの人に勧めたい内容だ。(ただしGoogle Chromeでは見ることが出来ないので注意してもらいたい)。

今回は2つだけ、少しだけ紹介しておく。

#033 ニューヨークお受験戦争


2010年6月18日にはNursery University  という番組を紹介した。アメリカでは受験競争が凄まじく幼稚園からその競争がはじまっているというドキュメントである。500円払えば、全部みることができるので、ぜひ見てみよう。

(余談であるが、ちょっと前のNYTでは、私立学校の「退学問題」の記事があった。Private Schools ‘Counsel Out’ the Unsuccessful というのがあった。 機会を設けて紹介したい)。


カシム・ザ・ドリーム


ウガンダで誘拐されて少年兵にさせられ、国民の大量虐殺に従事させられてきたカシムの物語である。彼はアメリカにてボクシングの世界チャンピオンになったので、母国に凱旋することができた。

短い文字数では何も紹介できないので、まずは見て欲しい。私がとくに注目したのは、虐殺された土地で、若者たちが<誘拐ー少年兵ー虐殺>という恐ろしい一連の出来事を演劇という形で再現している点である。できたら、このブログでも何度か取り上げておきたい。