林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

教える側が学び続ける動機

2010年08月29日 | 教養英語
かなり久しぶりになりますが、再度ブログを始めたいと思います。いろいろ書くべきことはありますが、今日は前回の続きのようなことです。


ある人が『英語青年』(研究社)が廃刊されてしまった事を嘆いていた。  (ただし、現在全くなくなったわけではなく、研究社のホームページから「 web英語青年」 なるものを読むこともできないわけではない)。

私も、この雑誌がなくなった事以上に残念に思っている。以前大学で教えていた頃は、図書館にある『英語青年』を大量にコピーしていたものである。その後、近くの図書館にはないので、やむを得ず横浜にある県立図書館まで行ってコピーした事さえある。英語と英語文学に関する、最新の興味深い情報で溢れていたのだ。

ところで、ある程度以上の大学を卒業して「普通の中高生」に教えるのであれば、本当のところそれ以上英語を学習する必要ないのではないのか。たとえ英検準一級に達していないとしても、普通の生徒との英語の学力差がかなり大きいだろう。だから、英検準1級未満だとしても、十分な英語力になってしまう。したがって、英語教師が自分の英語力を磨こうとするのであれば、それは必ずしも職業的な要請によるものではないはずだ。

他の先生方はともかくとして、私の場合は『英語青年』的な英語への関心、あるいは英語圏文学と文学批評への関心が、英語学習へのモチベーションであり続けた。正直に言って、社会科学や歴史などの英語ばかりを読み続けているのだとしたら、英語を学んでみようという気にはならなかったであろう。そしてその延長上に英検1級を取得したり、塾で英語を教えてみようと思ったりしたのである。

英語圏文学を学び、『英語青年』を読むことが、英語を教える事に直接的に役に立つわけではない。しかし、教える側も何か学び続けているということは、間接的に意義のあることなのではないかなと思っている。

指導者の立場 vs 生徒の立場

2010年08月12日 | 教養英語
> あのゼミは指導者の立場しか考えていないので,生徒たちの能力保証等はあまり考えていないのが実情でしょう。

> 教員の監督範囲内で言うことをきき,点数をとれる生徒こそが,彼らの教員像のなかでいう<優等生>なのです

maomaoさんの指摘でもう一つ重要なのは、上記のようなものでしょうか。

木村ゼミにそのような問題点があるということまでは分かりませんでした。しかし、よくありがちな問題点だろうなとは思います。

あるいは、木村先生がアメリカ人の先生ーーたぶん留学されたのでしょうーーの忠実な弟子になろうとひたすら励み、自分の教え子や日本の中高生にたいするまなざしが欠如しているのでしょうか? 



ところで大学を卒業し、中学や高校で英語教員になる人が英語の勉強を続けるのは、必ずしも容易なことではないと思います。進学校の教員になった人は別でしょうが、その多くはほとんど英語力は求められないだろうと思うからです。学校が学びの場というよりは、クラブ活動の場になって久しいでないですか。

だから、中高の英語教員の英語力が低いという批判はよく聞きますが、彼らをバッシングするだけというのでは、あまりに一面的であるように感じます。

この問題も、もう少し考えてみたいと思います。


しかし、実は明日から帰省と家族旅行に出かけるので、今日はこれまでとさせていただきます。おそらくは、一週間程度このブログもお休みになります。というのは帰省先はインターネットもPCもない秘境だからです。

次に書くときは大作を用意いたしましょう!

新ipodtouchでお勉強 日本地理

2010年08月11日 | Weblog
日本地理の基礎知識を求める小学生、またはそれ以上大人まで、誰もが楽しめるソフトがある。地理力 というソフトでわずか105円である。


小学生はまずは県名を覚えることからはじめよう。県名が問われたら、日本地図でその場所を探すようにする。分からないときは、関東地方だとか九州地方だとかのヒントがでる。

我が家の小3の娘はこれでかなり県名とその位置を覚えることができた。


そのあとは都市名や名産、半島などさまざまなトピックについて、初級、中級向けのクイズがある。中級を試したがかなり難しい。


さらにインターネットをつかって、学習を深めることができる。無線LANが前提だが、便利だ。我が家としては、旅行先の予習として使ったりもした。

安いので、気軽に始めてみたらどうだろうか。超オススメである。

教員養成:学び続ける動機を与える仕事

2010年08月10日 | Weblog
maomaoさんのご発言は大変興味深いものでした。そこで何回かに分けて、感想を書きたいと思います。最初に、2番目の論点について書きたいと思います。

ところで今日は、西きょうじ『実況中継』の英文を読み進めていました。その中に、学校というのは単に学習をするところではなく、学習の仕方を知るところなのだといった文章があった事を思い出します。Maomaoさんの次の意見は、この見解をさらに深めるものではないでしょうか。

>これから教員になっていく学生たちが,指導者として自分たちの能力を磨き続けるための努力ができるかどうか,ということです。これは,教授法の技術というよりは,むしろ英語そのものの勉強についてです。


この文章を読んでちょっと感激してしまいました。

学校教員を養成する大学の先生というのは、単に学び方を教えるばかりでなく、学び続けるモチベーションをも同時に伝授する必要があるとわかったからです。

考えてみれば、教員養成系大学というのは、いわゆる専門的な研究者にならないが、その専攻分野で学び続ける人間を育成していくという使命を持っています。かなり特殊な使命です。しかも、学校教員というのは、普通の公立中学校で仕事を続けていく限り、とくに学び続けて行く必要はないかもしれません。その彼らに対し、専門分野を学び続ける楽しさや喜びを教えるのが、教員養成の大学教員の使命だということになるわけです。そして、そういう教育を受けた大学生はやがては優秀な教員に育ち、その生徒たちは学ぶ喜びを教えられることでしょう。

こう考えてみると、実に感動的ではありませんか。同時に、この課題のむつかしさと重大さを感じざるを得ません。


>英語を指導するのに,指導者が英語を勉強できない,英語の勉強=TOEIC,TOEFL程度の認識しか持っていない学生が多数いたように思います。


社会にながされず、自分なりの視点をもって英語を学ぶこと、さらに専門的知見を持つことは、大事ですね。

ところでMaomaoさんは、英語の勉強ということについてどのようにお考えでしょうか。機会があれば教えてください。私自身は、TOEIC にはあまり関心がなく、英語学についての関心もあまりありません。

一つの関心は大学入試対策をしなければならないので、そういう仕事的な関心です。とはいえ、この仕事は、試験に出題されそうな、興味深い英文を読むという仕事が含まれます。教養英語というやつです。

また、ここではとくに紹介しませんが、英語圏文学(ポストコロニアル文学)についての関心も、英語の勉強の大きな原動力ともなっています。(続く)

ScienceDailyから(オーラルによる読解力向上)

2010年08月09日 | 教養英語
2010年8月2日付の ScienceDaily は、読解に困難な点がある子供達に対する教育プログラムについて報じている。

八歳~9歳の子供について次の三つの救済教育プログラムがあった。

TC(Text Comphrenesion training) =文字テキスト・トレーニング
OL(Oral Language training)= 話し言葉の語彙のトレーニング
COM =TCとOLの総合トレーニング

結論的に言えば、 OL(オーラル・プログラム)がもっとも重要であることがわかったそうだ。ある意味では常識な結論だ。子供に対する読み聞かせだとか、日常的な話し言葉の重要性が再確認されたということでもある。


ScienceDailyから(中高生に専門用語を理解させること)

2010年08月08日 | 教養英語
ScienceDaily の記事から

2010年7月24日付の ScienceDailyAcademic Language Impedes Students' Ability to Learn Science, Expert Arguesというタイトルだ。

アカデミックな言語がわからないために、理科や社会等の科目を中高生がしっかりと理解できないという問題を取り上げたものだ。教室あるいは Web 上で英語を理解する事ができても、科学の教科書の「専門的な語彙」を理解するには不十分であるということらしい。

そんな彼らの多くは、 Word Generation 等のような教育プログラムの助けを必要としているということだ。

専門的な言語は、複雑な文法構造を持っており、より緻密さが求められている。だからWeb に書かれてあるくらいの平易な文章ならば楽しめる生徒でも、理解し難しい場合があるのである。

さて、Word Generation がどのようなプログラムなのか、興味のあるところだ。記事によると、子供達に単語の意味を暗記させようとするというよりは、単語をどのように認識したら良いのかとか、単語の様々な形態について考えてみるとか、文脈に応じてその意味を決定するとか、そういった作業させるプログラムのようである。このあたりは、以前紹介した Levine の言語教育論とかなり似ている。


なお、この記事は英語が生活言語の国の教育問題のことである。だから、日本の英語教育には直接関係はないと見るべきだろう。

とはいえ、日東駒専以上の大学の受験生となると、でいう「専門的な言語」を読みこなさなければならないともいえる。そしてそのためには、しっかりとした日本語力(国語力)の土台を養っておくことが必要不可欠であることも強調されて良いだろう。



望月光 『超基礎固め』と音声入力ソフト

2010年08月06日 | Weblog
望月光の超基礎がため古文教室 古典文法編
望月 光
旺文社


音声入力ソフトの AmiVoice が新しいバージョンの発売となった。購入すべきかどうか迷ったが、新しいもののほうがよくなったという情報を得て通販でアップグレードバージョンを購入する事にした。9000円程度である。(古いバージョンの最大の欠点は、修正の面倒さにあったのだが、どれだけ解消されているだろうか。なお AmiVoice の修正のコツは、音声認識をオフ--例えば Ctrlによってオフにするように設定しておく--にしてから手作業で修正することである)。--だいぶ使いやすくなりました。1万円近くかかったけれど、アップグレード版を購入して良かったでした。

まだ新しいバージョンは届いていないが、久しぶりに A miVoice で文章書いてみようと思う。今回は、昨日届いた英語や古文の参考書について簡単なコメントを書いてみる。


國弘正雄・千田潤一『英会話・ぜったい音読:続挑戦編』(1200円+税金)どこの塾でも、良心的にに英語に取り組もうとするならば、この『ぜったい音読』シリーズを使っていたのではないだろうか。価格は少々高いが、音読練習を頑張って三ヶ月あるいはそれ以上続けようと頑張ろうとする人は、この本の「熱い言葉」によって励まされるであろう。

どのシリーズも、本人にとってやや易しいかと思われるくらいの英文を何度も音読する事が求められている。やさしい英語を大量に音読し、黙読するというのは、英語学習の基本であろう。

ただし、高校3年生になってしまうと、やさしい英語とばかりは言っていられない処があり、時間配分に迷うところである。


望月光 『超基礎固め古文教室--古典文法編』 (1000円+税金)

 この本は、古典文法の入門書としてもっとも勧められるものの一つではないだろうか。本当に分りやすく、丁寧に書かれてある。

巷には入門書と称されておりながら、案外難しいものが多い。しかしこの本だと、口語文法もよく分かっていないような高校生にも判るようになってている。もちろん、古文を学びたい中学生にも最適だ。


芦田川康司『発展30日完成 古文(高校初級)』、日栄社、429円+税金

日栄社の発見30日シリーズという大きな版の薄ものシリーズである。このシリーズの英文解釈はなかなか難しく、初級でも中級.中級でも上級レベルの手応えだったので、ちょっと警戒していた。しかしその警戒は無用だった。これは初心者にも使える非常に良い問題集である。

長文はすぐには出てこない。もっぱら一つの文章で文法を学べるようになっている。二通りの勉強の仕方があるだろう。ひとつは、上記のの望月光の本を一通り勉強してから、この本で復讐するというやり方。もうひとつは、望月の文法書で一つの項目を勉強したら、その箇所をこの問題集で復習しているというやり方である。

春日裕之『集中2週間完成 古文(高校初級)』、日栄社、320円+税金
日栄社の中では比較的やさしいはずの集中2週間のシリーズである。しかし、この本はそうではなかった。いきなり長文が出てきて、その中で文法事項を学ぶようになっている。つまりちょっと難しいのである。上の二つの古文の本が高校1年生用であるとしたら、これは高校2年生向けである。

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上の文章は古いバージョンのAmiVoice で書いたものである。ここからが新しいバージョン、すなわち、AmiVoice SPで書く文章である。まだインストールしたばかりであるが、ちょっとした感想を述べる。何よりも素晴らしいと思ったのは、軽くなった点である。前のバージョンだと、専用エディタに文章を入れてから、コピー及び添付の作業を行った。しかし、新しいバージョンだと、直接書き込むことができる。それがとても便利だ。

音声認識の正確さも向上したと思う。体感としてはかなり良いかんじだ。しかし、もし正確さを%で表せと言われたら、あまり変わっていないような気もする。とはいえ、「体感」というのは、非常に大事な要因である。

これからは、積極的に AmiVoice を勧めることになると思う。つまり、ドラゴンスピーチではなくて最新版の AmiVoice が一番良い日本語の音声入力ソフトだということだ。

渡辺知明さんの古典・古文の「表現読み」

2010年08月06日 | Weblog
Youtubeで「渡辺知明」と入れてみると、渡辺さんの「表現よみ」がごく一部だけだが試聴できる。

枕草子(春はあけぼの)
方丈記「序」 
徒然草52段


余談

私の塾では以前から「音声読み上げ」のソフトの可能性を追求してきた。そこで検索して出会ったのが渡辺さんであった。渡辺さんは覚えていないと思うが、不要な本を代金無料で頂いたこともある。しばらく渡辺さんのHPからは遠ざかったのであるが、全然別のところから再度お名前に出会うことになった。これは「音声認識ソフト」がらみである。しかも、音声認識がらみでの「再会」が「三度」もあったのだ。なにか不思議なご縁である。

なお、10年前の段階では音声認識ソフトはまだまだ実験段階的性格のものであった。音声認識ソフトが本格的に実用化したのは5-6年前くらいからだと言って良いと思う。

良い幼稚園教師は32万ドル(NYTより)

2010年08月05日 | 教養英語
以前、アメリカのNY市における幼稚園・保育園の入試競争ドキュメントについて紹介した。2010年7月27日付のニューヨークタイムズの記事は、その競争の意義を裏付けるものであり、信憑性はともかくとして大変面白いものだった。

「(The Case for $320,000 Kindergarten Teachers )良い幼稚園の先生には32万ドル」というタイトルのものである。幼稚園時代に良い教師が教えてくれたとか、早期教育のプログラムがあったというのは、期待すべき程ここがないと一般に経済学者の間では信じられてきた。短期的には成果があるように見えても、中学高校になると大して違いはなくなってしまうのだ、つまりテストの点数ではほとんど変わらなくなってしまうというのが通説であった。つまり、 fade-out 説である。

ところが、 Mr.Chetty らの最近の研究によると、幼稚園時代に善い教師に教えてもらった子供たちは、大人になると再度違いが生まれてくるというのである。大学進学率、離婚率、収入等の側面において大きく異なり、例えば5歳の時に良い教師についていると、27歳の時には年収にして1000ドル以上の格差があるそうである。1人の教師が何人かの子供教えるわけだから、全部で32万ドル(3000万円以上)の違いをもたらしてしまうというわけである。



要するに、良い幼稚園教育は中高の段階ではなく、成人以降に良い結果を永続的にもたらすというわけである。なるほどとも思える。同じような視点は、私立の中高一貫校などにも必要であろう。ただし、批判的視点も必要であろうが。

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なお、NYTのKIndergartenのところをクリックすると、幼稚園に関する興味深い記事がでてくる。”When Should a Kid Start Kindergarten?””All My Children”(幼稚園の必修化) ”The Littlest Test Takers”などである。教育に興味がある人、教育関係で卒論や修士論文を書こうという学生ならば、是非読んでみたいですね。


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How much do your kindergarten teacher and classmates affect the rest of your life?
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Jodi Hilton for The New York Times
From left, Emmanuel Saez, Danny Yagan, Raj Chetty, Nathaniel Hilger, Diane Schanzenbach and John Friedman examined the lives of almost 12,000 children in an education experiment.
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Long-Term Payoff for a Good Start in School
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Economix Blog: Kindergarten and Class (July 27, 2010)
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Economists have generally thought that the answer was not much. Great teachers and early childhood programs can have a big short-term effect. But the impact tends to fade. By junior high and high school, children who had excellent early schooling do little better on tests than similar children who did not — which raises the demoralizing question of how much of a difference schools and teachers can make.

There has always been one major caveat, however, to the research on the fade-out effect. It was based mainly on test scores, not on a broader set of measures, like a child’s health or eventual earnings. As Raj Chetty, a Harvard economist, says: “We don’t really care about test scores. We care about adult outcomes.”

Early this year, Mr. Chetty and five other researchers set out to fill this void. They examined the life paths of almost 12,000 children who had been part of a well-known education experiment in Tennessee in the 1980s. The children are now about 30, well started on their adult lives.

On Tuesday, Mr. Chetty presented the findings — not yet peer-reviewed — at an academic conference in Cambridge, Mass. They’re fairly explosive.

Just as in other studies, the Tennessee experiment found that some teachers were able to help students learn vastly more than other teachers. And just as in other studies, the effect largely disappeared by junior high, based on test scores. Yet when Mr. Chetty and his colleagues took another look at the students in adulthood, they discovered that the legacy of kindergarten had re-emerged.

Students who had learned much more in kindergarten were more likely to go to college than students with otherwise similar backgrounds. Students who learned more were also less likely to become single parents. As adults, they were more likely to be saving for retirement. Perhaps most striking, they were earning more.

All else equal, they were making about an extra $100 a year at age 27 for every percentile they had moved up the test-score distribution over the course of kindergarten. A student who went from average to the 60th percentile — a typical jump for a 5-year-old with a good teacher — could expect to make about $1,000 more a year at age 27 than a student who remained at the average. Over time, the effect seems to grow, too.

The economists don’t pretend to know the exact causes. But it’s not hard to come up with plausible guesses. Good early education can impart skills that last a lifetime — patience, discipline, manners, perseverance. The tests that 5-year-olds take may pick up these skills, even if later multiple-choice tests do not.

Now happens to be a particularly good time for a study like this. With the economy still terribly weak, many people are understandably unsure about the value of education. They see that even college graduates have lost their jobs in the recession.

Barely a week seems to go by without a newspaper or television station running a report suggesting that education is overrated. These stories quote liberal groups, like the Economic Policy Institute, that argue that an education can’t protect workers in today’s global economy. Or they quote conservatives, like Charles Murray and Ramesh Ponnuru, who suggest that people who haven’t graduated from college aren’t smart enough to do so.

But the anti-education case usually relies on a combination of anecdotes and selective facts. In truth, the gap between the pay of college graduates and everyone else grew to a record last year, according to the Labor Department, and unemployment has risen far more for the less educated.

This is not simply because smart people — people who would do well no matter what — tend to graduate from college. Education itself can make a difference. A long line of economic research, by Julie Berry Cullen, James Heckman, Philip Oreopoulos and many others, has found as much. The study by Mr. Chetty and his colleagues is the latest piece of evidence.



The crucial problem the study had to solve was the old causation-correlation problem. Are children who do well on kindergarten tests destined to do better in life, based on who they are? Or are their teacher and classmates changing them?

The Tennessee experiment, known as Project Star, offered a chance to answer these questions because it randomly assigned students to a kindergarten class. As a result, the classes had fairly similar socioeconomic mixes of students and could be expected to perform similarly on the tests given at the end of kindergarten.

Yet they didn’t. Some classes did far better than others. The differences were too big to be explained by randomness. (Similarly, when the researchers looked at entering and exiting test scores in first, second and third grades, they found that some classes made much more progress than others.)

Class size — which was the impetus of Project Star — evidently played some role. Classes with 13 to 17 students did better than classes with 22 to 25. Peers also seem to matter. In classes with a somewhat higher average socioeconomic status, all the students tended to do a little better.

But neither of these factors came close to explaining the variation in class performance. So another cause seemed to be the explanation: teachers.

Some are highly effective. Some are not. And the differences can affect students for years to come.

When I asked Douglas Staiger, a Dartmouth economist who studies education, what he thought of the new paper, he called it fascinating and potentially important. “The worry has been that education didn’t translate into earnings,” Mr. Staiger said. “But this is telling us that it does and that the fade-out effect is misleading in some sense.”

Mr. Chetty and his colleagues — one of whom, Emmanuel Saez, recently won the prize for the top research economist under the age of 40 — estimate that a standout kindergarten teacher is worth about $320,000 a year. That’s the present value of the additional money that a full class of students can expect to earn over their careers. This estimate doesn’t take into account social gains, like better health and less crime.

Obviously, great kindergarten teachers are not going to start making $320,000 anytime soon. Still, school administrators can do more than they’re doing.

They can pay their best teachers more, as Pittsburgh soon will, and give them the support they deserve. Administrators can fire more of their worst teachers, as Michelle Rhee, the Washington schools chancellor, did last week. Schools can also make sure standardized tests are measuring real student skills and teacher quality, as teachers’ unions have urged.

Given today’s budget pressures, finding the money for any new programs will be difficult. But that’s all the more reason to focus our scarce resources on investments whose benefits won’t simply fade away.

ハックルベリー・フィンの冒険

2010年08月04日 | 教養英語
英語長文を教えていたら、マーク・トゥエインの『トム・ソーヤー』の話が出てきた。ざっと背景や内容を生徒に説明してはみせたのだが、実は私自身は全く読んだことがないのだ。

そこで3年ほど前に購入した『ハックルベリー・フィンの冒険』をちょっと読んでみようかなと思った。岩波文庫の上下と、英語の原書の両方をもっている。が、さすがに訛った英語の小説を読む気にはなれないので、西田実訳の上を本棚から抜き出した。

この本を、普通の中高生に勧められるかどうかは分からない。だが、案外面白いのである。それに、読みやすい!

時は1830~40年代、つまり南北戦争以前の時代。場所は、アメリカ南部のシシッピー川沿いの近くの田舎町。要するに、西欧近代の華やかなるときの辺境の物語です。(余談ですが、この本を読んでいると、『アフリカ農場物語』(岩波文庫)を思い出しました。これは19世紀末期くらいの南アフリカ=イギリス植民地の白人農場の物語なのですが、英語圏の辺境という意味でかなり似通った性格があるように思えるのです。たとえば、飲んだくれとか、ペテン師とか、外部の権威にだまされやすいお人好しだとかです)。

当時は、どうやら、アメリカで読み書き能力が普及し始めた時代のようです。ハックは学校に行ったので読み書きができる。だが、アル中のとうちゃんたちの世代は出来ないのです。

同時に、書物や聖書が、特別な輝きとオーラを持っていた時代だということが窺われます。驚いたことに田舎町の庶民の子供たちが『ドンキ・ホーテ』やら『アラビアンナイト』らしき作品を言及するのです。

しかし、ハックの選択はユニークでした。読み書きを重視する押しつけがましい近代文明からも、「とうちゃん」に代表される旧い世間からも、どちらからも逃げ出そうとするからです。(なお、近代アメリカであれ、前近代的アメリカであれ、どちらも奴隷制と共存していたことが非常に興味深いとえます)。

前近代も近代もともに相対化する視点がハックルベリーフィンんはあったんですね。ぜひとも、全部すぐ読まなくちゃいけないなと思った次第です。機会があればまた書くつもりです。

個人塾の忙しいとき

2010年08月03日 | 受験
昨日は、私としてはずいぶんな長時間労働でした。

教える生徒が多いと言うことは良いことですが、大変だなあというのも確かです。

しかし、他の塾はどうだか分かりませんが、本当に忙しいのは夏休みではありません。夏休みは単に拘束時間が長いだけで、疲れる!と言う感じではないのです。

では、何時一番忙しいのかといわれたら、秋から冬にかけてです。受験生に過去問特訓をしている時です。

受験生がたった一人でも、受験予定校の各学部の過去問を、それぞれ5-10年くらいを準備しておかなければならないので、疲労困憊状態になります。もっとも、受験生はさらにずっーと疲れてしまうことになるのです。


受験生の受験準備が整っている場合は、春から過去問演習をやります。東工大に合格したHくんの場合は5月から青学の過去問をやっていました。今年は?ーーたぶん9月か10月くらいからとなるでしょう。志望校が重なってはいますが、今年は受験生の人数が多いので、今から心を引き締めています。

各受験生の健闘を心よりお祈りしています。

青山学院の木村松雄ゼミとは?

2010年08月02日 | 英語学習
木村松雄の青学でのゼミ運営はつぎのようなものらしい。

「 木村ゼミは、実践的な英語教育について学ぶゼミです。英語教師になりたい人や、教育に携わっていきたいと考えている人のためのゼミだといえるでしょう」

前期は海外で実際に使用されている英語教育の専門書をテキストとして用います。


実践的な英語教育を目指す日本人学生が、海外の英語教育の専門書を学ぶというのは、失礼ながら間違ったやり方ですね。日本人は、日本人による日本人生徒のための英語教育からまなばなくてはならないからです。

木村ゼミでどんな本が読まれているのか、私は知りません。しかし、英米の英語教育の本である可能性が高いでしょう。もしそうだとしたら、ほとんど参考にはならないはずです。仮にスペイン語を母語とする英語教育だとしても、英米では生活言語が英語なのですから、日本とは事情が全然異なりすぎます。

参考になるのは、むしろ中国や韓国の英語教育でしょう。でも、たぶん、そういう研究が木村ゼミでとりあげられるはずはないですよね。
 
青山学院からまともな英語教師は育っているのでしょうか? やはり、ちょっと心配です。



余談

(1)英米の英語教育に私は関心がないわけではない。だが、あくまでも国語教育(日本の日本語教育)の参考になるから面白そうだということである。

(2)青学の英文学といったら、やはり冨山太佳夫先生でしょう。僕ならば、このゼミで学びたいな。

『となりのトトロ』の、中トトロやまっくろくろすけ

2010年08月01日 | Weblog
ネットで下のような投票があった。


「となりのトトロ」で一番感情移入するのは?

トトロ
中トトロや小トトロ
サツキ
メイ
お父さん
お母さん
カンタのおばあちゃん
カンタ
ネコバス
まっくろくろすけ
学校の先生
近所の人たち
自分が歳をとるに連れて変わる



投票結果はカンタのおばあちゃんが圧勝だった。しかしそれにしても、中トトロや小トトロ、あるいは、まっくろくろすけに感情移入するというのは、考えつきもしなかった。だが、そういう見方こそが、物語や小説の多様で豊穣な解釈を可能にするというものであろう。

ところで、以前読んだ岩波の『文学』の論文で興味深かったのは、『嵐が丘』の語り部の女性を人間椅子と表象し、その視点を論じたものだったことを思い出す。そういえば、私も安部公房の『第四間氷期』や『人間そっくり』について、ちょっと変わった視点で読んだものだったなあ。

英語と日本語の間には論理がある(その6の補足)

2010年08月01日 | 英語学習
日本語の副助詞「は」は、主語を示しているわけではないのだという議論がある。こういった議論というのは、英語のSubjectが日本語では主語とも主体とも、あるいは主題とも訳すことができるという指摘につながるだろう。また、英語のSubjectと相対しているのはObjectだが、Objectは日本語では「対象」「目的」「客体」と訳される。ビミョウに違っている。それが重要になってくる。

以上のことをよく考えるためには、まずは、たとえば、以前紹介した出口・横山の『入試頻出評論用語』をよまなくてはならない。(もちろん、それは序の口にすぎない。私は、学生時代、ゼミでアドルノの『啓蒙主義の弁証法』 を読んで、うんうんうなったものです。また、同時期に読んだベルクの『風土の日本』は非常に参考になりました)。

つまり、英文法でふつうに教えている主語(S)と目的語(O)という概念は、比較文化論的に取り扱われる高度に哲学的な論議の対象でもあるのだ。これでは、中学生には大変なはずだ。

英語では、徹底的に対象化されているもの、すなわち「≠」であるものがある。これが「目的語」になる。そして、だからこそ、逆に「=」である「補語」も必要になってくるのであろう。だが、日本語と日本文化にはそう意識がが欠如しているのでわかりにくい。


このあたりを出口は次のように述べている。

「日本人はどうだったのか? すべてのものに対して『対象化』しようとする意識を持たなかったのが、日本人の伝統であり、文化だった。たとえば、自然に対しても、日本人は『対象化』ではなく、一体化しようと思った。これは日本人の良さでもあるし、欠点でもある」(同書、28ページ

「一方、西洋は、すべてを対象化していくのです (中略)自然に対しても彼らは対象化していくのです。距離をおいて客観的に見ようと思った」(同書、29ページ)

出口の解説は予備校講師の解説文でしかない。独創的な議論では全然無い。だが、普通の高校生でも、かなり厳しいものかもしれない。そう考えてみると、中学生がbe動詞と普通の動詞の区別に難儀するのも当然かと思われてくる。


さあ、もう少し続けてみよう。同じく同書で横山は主体と客体について、上智大学の入試問題を引用しながら、この問題を次のように発展させてみた。(同書231ページ)

Gandhi's noncooperation was based on his religious belief in the oneness of subject and object.

私は、なるほど!と思う。=と≠の論理の差異が一応わかった高校生を対象に、こんどは、主客が合一するロジックにつきあわせれるのだ。それが上智大学なのだ、と。

余談
さすがに、ヘーゲルの「精神現象学」だとか西田幾多郎の「絶対矛盾の自己同一」はでてここないのだが。。。いや、そのうちに、井筒俊彦大先生の神秘主義の英文が出てくるかもしれない。。。




「英語と日本語の間」はさらに続きます。実は、石崎さんのカエルのほんのさらなる紹介の準備さえ、まだあります。