りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

マルハラの権化。

2024-02-23 | Weblog
つい数週間前に、ネットのニュースで知った。

マルハラ、というハラスメント。

なんでも、SNSの文面において、句点の(。)を使用することによって、文面が冷淡に感じたり怒っているように感じることをいうそうだ。
そして、そう感じているのは、圧倒的に中高年から若い世代へ対するメッセージの文面とのこと。

思い返せば・・・

娘や息子から送られてくるメッセージには、句点(。)はほぼ付いてない。
時には読点(、)も付いてないことがある。
そして、端的にというか何というか、恐ろしく短い。

そして、もうひとつ思い返せば・・・

このブログの日々のタイトル。
英文字がタイトルの場合以外、つまり、日本語でタイトルを記した時は、必ず句点(。)を付けている。

それどころか、このブログ自体も、そのタイトルには「りきる徒然草。」と、思い切り句点(。)を付けている。

見方によっては、これはもう、マルハラの権化じゃないか(笑)

だけど、これにはそれなりの理由があって。

ワタシが働いているのは広告業界であり、ワタシ自身、コピーライターやコピーライティングへの憧れからこの業界に入った人間だった。

糸井重里、仲畑貴志、真木準・・・といった憧れたコピーライターが世に出してきた著名な名コピーには、必ずと言っていいほど最後は句点(。)で終わっていた。


くうねるあそぶ。

よろしく。

タコなのよ、タコ。タコが言うのよ。

おしりだって、洗ってほしい。

カゼは社会の迷惑です。

でっかいどお。北海道。

ホンダ買うボーイ。


・・・などなど、挙げはじめればキリがない。

そんな70年代から90年代にかけての広告コピーに感化された人間としては、句点(。)で終わらない文章は、どうも座りが悪い。
どことなく尻切れトンボのような、まるでパンツを穿いてないような、そんな落ち着かない気持ちになってしまうのだ。

だから、このブログでは先達のコピーライターへのリスペクトも込めて、タイトルはもちろん、中身の文章にも、句読点だけはきちんと付けてきた。

しかし今や、こういう文章表現さえも、ハラスメントになる時代になったんだなぁ・・・。

マルハラというモノを知って以来、ちょっと考えはじめた。

このブログも、もう今後は句点(。)は付けない方が良いのかどうか。

時代の最先端を走ってるわけではないけれど、それでも出来るだけ時代に合わせたアップデートはした方が良いわけだし。

しかし、ここでもうひとつ、思い返した。

そもそも、このブログには・・・








若い人は訪れていない(笑)









まぁ、そんなわけで、このブログは、今まで通りでまいります😅

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2 コメント

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Unknown (junky)
2024-02-26 14:36:26
正直、マル(句点)のどこがハラスメントなのか、その感覚?が、全くわからない。
例えば、

君たちは、どう生きるか。

とか、確かに圧を感じるけど、それは句読点のせいじゃなくて、文章そのものの意味からくる圧なんじゃないかな~。

君たちはどう生きるか

の方が圧弱いかな〜
よくわからん。

ジェネレーションギャップ。
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Unknown (りきる)
2024-02-26 20:36:17
junkyさん

たしかに句点よりも文章の意味の方からプレッシャーを感じる方が、健全のような気はします。

結局のところ、若者からすれば、年長者のやることは、全てプレッシャーなのかも知れないですね。

かつて〈新人類〉と呼ばれた世代としては、そう思います😅
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