4連休最終日の今日は久々の雨降り。
朝雨の音で目が覚めました。
休みの日でもいつでも、決まって目が覚める時間は5時40分。
目覚ましに起こされることって、最近まったくなくなってしまったなぁ~
歳のせいでしょうか。。。。。。
5月の最終日に、京都1周トレイルの4回目に参加。
前回の最終地出町柳からの出発。
今回で東山コースは制覇です。
涼しくなるのを待って、秋から次のコースに進みます。
それまでに、納涼ハイクを私が提案。
去年行った御手洗渓谷、かなり涼しく景色も良かったので7月の始めに再度行ってきます。
毎月身体を動かす企画に恵まれ、そこに参加できることが嬉しい。
無い時も自分が提案した企画に参加してくれる仲間がいることがさらに嬉しい。
人のための提案でなく、あくまで自分がやりたいことだから、本来は一人でいくことになるかもしれないのだけど、
そこに加わってくれる人がいることがとても幸せにかんじるのです。
自分の楽しみを人と共有できるって、なんて幸せなんだろうって、毎回思います。
昨日はタロットセッションでした。
私は、彼女からのセッションの申し込みをずっと待ってました。
本当に遠くまで受けに来てくれたことを嬉しく思いました。
ありがとうございました。
自分の気持ちを後回しにして進めたり、相手に良かれと思ってする行為は、
そのあとの結果が自分の想いと違うと、すごくショックだったり怒りが溢れたりして嫌な気持ちになってしまいがち。
それは、自分に対しても、相手に対しても、不本意なことですよね。
最初から自分が思うことややりたいことだけをしていれば、相手の反応なんてどっちでも受け入れられるはず。
常識非常識で比べたり、評価を期待したりするるからこそ相手の反応が期待外れだった時に怒りが生まれてしまう。
人を見るとき、何事も全てにおいて、自分が見えてます。
人のせいじゃない。
自分の中の問題。
問題という言葉とは、ちょっと違うかもしれないけど。
ここ半年の間、私には自分軸をしっかりと強める課題が、痛烈にやってきてます。
仕事の上で関わる人でも、プライベートなかかわりの人でも、
そういう自分ありきな出来事に気づかされ続けてます。
「謙虚」という言葉は、もうそれが奥ゆかしく美しい時代ではなくなっているように思います。
本来の謙虚な心とは違った謙虚をよく見かけます。
謙虚でない自分を許す、認める。
そうすると、他人の謙虚に敏感になることもなくなります。
相手を受け入れる、認めるということは、自分を許す認めるの上に成り立つのだと思います。
社会で暮らす私達には、基本ルールは必ずありますが、
そういうのも、これからどんどん外れていくのだろうなと、私は感じています。
その時代時代で変わっていくのが当り前だし、そうでないとおかしい。
私たちは動かずにいられるはずがない。
動いて、流れていくことのほうが自然で楽で、留まっていることのほうがむしろ苦しいはず。
私達が築いた事をうまく生かしながら、子供たちの時代の流れに自然に流れていける老後を目指します。
葛藤と、有意義に向き合いながらゆっくり楽しみつつ歳を重ねていきたいものです。