ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

光秀の野望

2008年03月04日 22時04分43秒 | 古い日記
2008年3月3日(月)16:34

 ■光秀「野心説」に追い風?

戦国時代の転機となった「本能寺の変」に関して、
初めて確認された旧本能寺遺構は、
織田信長の常識ではとらえがたい行動を裏付けることとなった。

あれほど執念深い(*注1)人物がなぜ、
わずかな供だけで無防備な宿舎に入ったのか。
謎はますます広がっている。

発掘調査にあたった吉川義彦・関西文化財調査会代表は
「この石垣が、信長の時代のものであることは間違いない。
 特に瓦の量などから大きな伽藍(がらん)が焼けた可能性は低いのではないか」
と話す。

遺構の延び方からみて、堀が巡らされていたのは、
境内の東北隅にあたるほぼ40メートル四方。
この場所に、信長の御殿があったとみられる。

規模の小さな御殿で、しかも警護の者は少ない。
圧倒的な兵力(1万3000人)の明智光秀軍を前に、信長はあっけなく自害。
戦いはすぐ決着がつき(*注2)伽藍の被害もそれほど大きくなかったようだ。

信長はなぜこれほど不用心だったのか。
今谷明・国際日本文化研究センター教授は
「光秀が背くとは、考えてもいなかった」
とみている。

光秀の謀反の理由については、
(1)領地替えを命じられたり、安土城での家康接待役を免じられたりしたことに対する恨み
(2)佐久間信盛ら重臣が次々、追放されたことに対する焦燥や危機感
(3)足利義昭や近衛前久(さきひさ)ら、旧幕府・朝廷勢力に唆された

-などの説が唱えられている。

しかし、今谷教授は、光秀は城持ち大名になったのも早く、
かなり優遇されていたことなどから、怨恨(えんこん)説は考えにくいとする。

やはり、本能寺に小人数で宿泊するとの情報を得た光秀が
「天下取りのチャンス」と決断したとみている。

*注1:
『執念深い』って何? 文脈からすると『用心深い』だと思うが。
*注2:
じゃあ、何で光秀は「信長の遺体」を見つけられなかったんだ?

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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
やはり (mamaさん)
2008-03-05 00:29:07
怨恨だと思うわ。野望だけでは人は動かんよ。怨みは持続するからね?いくら優遇されても消えないよ!
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わたしの説は (LE)
2008-03-05 03:04:40
恋のもつれ。

光秀、いかにもそれっぽいじゃない?信ちゃんだって独りもんだったし、この頃はそちら系が多いし。男のやきもちと恨みは女のよりもすごいのだ~。
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う~~む? (オ 寒)
2008-03-05 06:50:42
気を付けないと・・・・・・・・
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いらん心配 (mamaさん)
2008-03-05 11:14:29
だよ、オ寒ちゃん!
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ところで (オ 寒)
2008-03-05 21:02:37
SANちゃん!

あ~ ゆ~ れでぃ~~~?
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mamaさん (RESANDO)
2008-03-05 22:59:18
「天下獲りの野望」より、
自分が怒っている事を知らしめたかったのかなあ?
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LE様 (RESANDO)
2008-03-05 23:00:46
全員、それ系じゃ!!!
説としては面白いけど、色恋で歴史は動かんと思う。
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オ 寒様 (RESANDO)
2008-03-05 23:02:21
はい。でも明日は葬式です。
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ふふふっ (LE)
2008-03-06 05:49:26
お主、まだまだ世間を知らぬ青尻じゃな?
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そうそう (mamaさん)
2008-03-06 08:34:52
喜びも怒りも色あせるけど、恨みだけが唯一増幅するのよぉ~~?勉強しなさいね?
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