元日の朝
七郷国民学校初等科四年女子 T
元日の朝はいつもより早く起きて国旗を立てました。その時は何とも言へないよい気持がしました。それから天じんやまへ廻文を持つて行きました。にはとりがわらの上で鳴いて居ました。池や堀にはうすい氷が張つて居ました。私はいかにもお正月らしい気がしました。
家中そろつて宮城*1えうはい(遥拝)*2ときねん(祈念)をしてからおざうに(お雑煮)をいただきました。その時私はこのお餅を兵隊さんにあげたいなあと思ひました。
もう神社参拝に行く頃だと思つて、みんなを待つて居ました。そのうちにみんなが来ました。私はみんなと一しょに神社へ行きました。神社にはまだ一人も来て居ませんでした。少したつと向ふから大澤先生が来られました。みんなそろつて「明けましておめでたうございます」と言ひました。そのうちに安藤先生も来られました。
大澤先生が「みんなそろひましたからそろそろ始めませう」と言はれました。みんなそろつた宮城えうはいをしました。それから戦死された兵隊さん、マキン、タラワで戦死された兵隊さんに、かんしやのもくたう(黙祷)をささげました。その時目にあつい涙がいつぱいになりました。それからいろいろ先生のお話を聞きました。そのまま並んで学校へ来ました。ちやうどこうしん様(庚申様)の所へ来た時先生が「ここで、えうはい(遥拝)を致しませう」といはれたので、みんな宮城の方に向つてえうはい(遥拝)をしました。又並んで歩き出しました。
学校へ来て式をしてから教室でいろいろ、先生のお話をを聞きました。
家へ帰つて兵隊さんにあげるゐもん文(慰問文)を書きました。
前線慰問誌『比企』第1号 1944年5月
*1:1888年(明治21)旧江戸城の皇居を宮城と称して以来、1946年(昭和21)までの皇居の称。戦後は皇居を使う。
*2:遥拝(ようはい)。遠く隔たった所から神仏を拝むこと。宮城遥拝は皇居の方向を望み、頭を下げて敬礼をすること。
*3:マキン・タラワ島の日本軍玉砕。1941年(昭和16)12月日本軍が占領したギルバート諸島のマキン島、タラワ環礁に、1943年(昭和18)11月米軍が上陸、24日日本軍マキン島守備隊が殲滅され、翌25日タラワ島守備隊も殲滅された。12月15日大本営は、「タラワ島およびマキン島守備の帝国海軍陸戦隊は3千の寡兵(かへい)をもって5万余の敵上陸軍を邀撃(ようげき)、奮戦したが、11月25日最後の突撃を敢行、全員玉砕(ぎょくさい)した」という趣旨を発表した。
前線慰問誌 比企 (非売品)
昭和十九年五月一日印刷納本
昭和十九年五月五日発行
編輯責任者 埼玉県比企郡松山町日吉町 大木友造
印刷者 東京都小石川区指ヶ谷町一四六 大森清一
印刷所 東京都小石川区指ヶ谷町一四六 大森印刷所