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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

紅葉散る 栗原正敏 1928年10月

2009年09月18日 | 栗原正敏(日記、作文)
   紅葉散る  昭和3年(1928)10月20日
        第3学年乙組18番 栗原正敏
 秋となった。木葉はだんだん紅葉した。妙にさびしいやうな気持がする。私は秋の紅葉を思ふと母を想ふ。たそがれ近き日、私は庭の紅葉を拾ひ集めてゐた。近所の子供等と共に。紅葉はちらちらと散る。私等は無心に紅葉をひろひあつめて客遊びなどをしてゐた。
 庭先に人力車が着いた。私は妙な気をもちながら見守った。中から出て来たのは私の家に度々くる医者であった。
 此のとき幼なごころにも胸のどよめきはあった。私の目は医者のあわてた如き様を見逃しはしなかった。
 母は病気で長く床についてゐる。一日をき二日をきには医者が来てくれたが、いつも今日のやうにあわてた様子をしてゐたことはない。突然家の中から「早く早く」とあわてふためいた父の言葉がする。医者は急いで病室に入った。
 「正敏も正敏も」といふ父の言葉。私は夢中で病室にかけ入った。医者は母のやせおとろひた手をにぎってゐる。私等は皆病床近くをとりまいた。皆すすりないてゐる。私も泣いた。
 医者は「残念ですがだめです」とおごそかな口調で云った。母に対する死の宣告である。母は目を開いた。そして私の手をにぎった。口を開くことすら出来ない。私は声を上げて泣いてしまった。母はしづかに目を閉ぢた。水は人毎に母の口に注がれた。飲み込むことは出来ない。私の手をにぎったまま、母は静かに永遠のねむりについたのだ。庭の紅葉は風もないのにちらちらと散った。


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