GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

町村だより 菅谷村(現・嵐山町) 2 1944年

2009年09月07日 | 戦争体験

 第一線に日夜御活躍の兵隊さん明けましておめでとう御座居います。
 聖戦第三年の新春を迎へ皆さんますます張り切って居ることゝ存じます。こちら菅谷村民一同も皆様に負けぬ心持で増産に励んで居ります、御安心下さい。今日は本村の最近の景を片言集と題しお知せ致します。
 旧臘十二月十日、農業推進隊員に選ばれた松本利次(大字鎌形陸軍兵長)氏は本村の農家を代表し内原の訓練所に入所十九年の一月下旬まで全国より選ばれた若人と共に農業魂を養って来る。
 一月八日大詔奉戴してこゝに二度目【ママ】の日を迎へた。本村に於ては、聖戦達成、皇軍将兵の武運長久祈念其の他の記念行事を行ふ。この日、在郷軍人分会、壮年団青少年団青年学校(男女)国民学校等々各種団体は暁天動員を字神社で行ひ、次いで八時より郷社八幡神社に各団体集合荘厳な式を行ふ。一〇時に忠魂碑前に集合殉国の英霊に対し感謝の報告を行ひ一層敵米英撃滅、撃ちてし止まんの決意を新に致しました。
 決戦に休暇なし多忙を極めてゐる役場其の他諸官庁公所等々休暇返上し三十一日まで職務励行、次に役場内の景を、大東亜戦下人的資源の確保は絶対に必要なり、されば結婚適齢者を登録し之が確保に万全を期するやう係りの助役さん其の他一同大童で活躍してゐます。一ケ年の決算調査に目もまはる程忙しい収入役さんは、ソロバンと猛烈にとつくんでゐる。パチパチと気持よい音を立てゝ之又ソロバン玉が動いてゐる税務係りの机上。藁工品増産に関する件云々などの文字が墨痕鮮やかに残されてゆく農会技術員の机上。或は次の時代を背負ふ子供-出生届書には「征雄」などと命名されてある。戸籍係の机上電話のリンはうるさく鳴つて来た。調書らしきものを持ち県庁へ報告の統計係の姿等々、決戦下の有様が僅か○坪の役場内ではつきりわかる。
 一夜明ければ元日-昭和十九年の新春は明け離れた家毎に立てられてある国旗、言ひ知れぬ感が身体全体にみなぎるやうだ。
 青年学校新年式場-冷風に吹かれつゝ助役殿の祝詞を聴く、「徴兵年齢が本年は一年低下した。諸君の内上級生はことごとく本年内に晴の徴兵検査を受け第一線に馳るのである。諸君思ひを新にせよ」と力強い言葉が響いてゐる。農士学校検校の筆、菅谷青年学校の門札が厳としてゐる独立校として最初に向へるお正月だ。
 ヨイショ、ヨイショと元気一ぱいな声が聞へる。こゝは菅谷国民学校の校庭だ。一年生より高学年二年生まで全員、上半身裸体になつて乾布摩擦をしてゐる。可愛い一年生の身体、チヽがポツンとゴマ粒程だ、ニコニコしながら上級生に負けるものかとやつてゐる、実にたのもしい景だ。(関根記)

   前線慰問誌『比企』第1号 1944年(昭和19)5月

前線慰問誌 比企  (非売品)
 昭和十九年五月一日印刷納本
 昭和十九年五月五日発行
  編輯責任者 埼玉県比企郡松山町日吉町 大木友造
  印刷者 東京都小石川区指ヶ谷町一四六 大森清一
  印刷所 東京都小石川区指ヶ谷町一四六 大森印刷所



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。