ほんとに早いもので、今年ももう今月で終わりです。
そんな今の状況にあわせて、今月のことば。
「歳不我與(としわれとともにせず)」
師走を迎えると何かと慌ただしいですよね。
歳を重ねると一年が特に速く巡るように思えます。
年の瀬を迎えるに当たり、片付けねばならぬ事柄が山積し、もうちょっと時間や日数が欲しいと思うのは私だけでしょうか?
しかし、論語「陽貨第十七」に
「日月逝矣 歳不我與」(じつげつはいく としわれとともにせず)とあります。
朱熹(しゅき)の勧学文にも
「歳不我延」(としわれとのびず)とあります。
いずれも、月日は粛々と流れ、歳月は人を待たないと言う意です。
この一年、まだまだ時(とき)があるからその内に,その内にと、多くのことを先送りし、言い訳ばかりで明け暮れてきた私などは、反省すること頻(しき)りです。
だが、今年を振り返り、悲嘆に暮れる為にこの語を記すのではありません。
来年の歳旦(さいたん)にあたりでなく、正に、即今(そっこん)ただ今から、明日(みょうじつ)を期(ご)することなく、一刻、一刻を大切に、あるべき自分を求めて、精一杯精進(しょうじん)することを心する、自戒の言葉として記すものなのです。
お知らせ
十二月七日(日) 午後一時より 成道会・法話会
十二月三十一日 午後十一時四十五分 除夜の鐘
そんな今の状況にあわせて、今月のことば。
「歳不我與(としわれとともにせず)」
師走を迎えると何かと慌ただしいですよね。
歳を重ねると一年が特に速く巡るように思えます。
年の瀬を迎えるに当たり、片付けねばならぬ事柄が山積し、もうちょっと時間や日数が欲しいと思うのは私だけでしょうか?
しかし、論語「陽貨第十七」に
「日月逝矣 歳不我與」(じつげつはいく としわれとともにせず)とあります。
朱熹(しゅき)の勧学文にも
「歳不我延」(としわれとのびず)とあります。
いずれも、月日は粛々と流れ、歳月は人を待たないと言う意です。
この一年、まだまだ時(とき)があるからその内に,その内にと、多くのことを先送りし、言い訳ばかりで明け暮れてきた私などは、反省すること頻(しき)りです。
だが、今年を振り返り、悲嘆に暮れる為にこの語を記すのではありません。
来年の歳旦(さいたん)にあたりでなく、正に、即今(そっこん)ただ今から、明日(みょうじつ)を期(ご)することなく、一刻、一刻を大切に、あるべき自分を求めて、精一杯精進(しょうじん)することを心する、自戒の言葉として記すものなのです。
お知らせ
十二月七日(日) 午後一時より 成道会・法話会
十二月三十一日 午後十一時四十五分 除夜の鐘