齢仙寺雑記帳

滋賀県にある臨済宗妙心寺派のお寺、齢仙寺の日々のお話

齢仙寺開山 拙山大和尚

2011年10月29日 | 歴代住職
齢仙寺を開創した拙山惟清和尚の時代を調べてみます。
ちなみに、開創とはお寺を開くことで、開創した和尚のことを開山といいます。

齢仙寺の開創は1653(承応2)年といわれています。
江戸時代ですね。
後光明天皇、徳川家綱将軍の時代になります。
インドのタージ・マハルが完成したのも1653年のようです。
どれくらい昔でどんな時代だったのか見てみたいですよね。

さて、拙山和尚に話を戻しまして・・・

彦根に江国寺というお寺がありますが、拙山和尚は当時そこにおられました。
江国寺開山の天岫和尚とともに、彦根市笹尾町の少林寺、彦根市薩摩町の無量寺を開創されたそうです。

そして、1653(承応2)年2月のある寒い夜、観世音菩薩降臨の夢を見られました。
その夢の中で、観世音菩薩がお告げになったとのこと。
「我れ小堂に埋没し、今池中に沈む事久し、只恨らくば人の知ること無うして度生の悲願に便りなき事を、早く我れを出すべし、我が所在は西南に当り、慈雲靉靆(じうんあいたい)する所、是れなり」

翌朝、拙山和尚は取るものも取らず、西南の地を目指して中山道を上られました。
道々探し求められて、小堂に観世音菩薩が安置されていたこの地に辿りつかれたそうです。(正確には南南西になります)

現在の齢仙寺の門の前の池(鳰戸)は、地下水の湧水。寒い日には白くもやがかかったようになります。
靉靆とは雲や霞などがたなびいていること、とても神秘的な光景だったのではないでしょうか。

そして数年後、村の方々と相談し、1655(明歴元)年9月、堂舎を建てて奉安(ほうあん)され、禅宗としての寺の総てが始まりました。

当時は霊像山慈雲寺とされており、その後、慈雲山霊泉寺としました。

拙山和尚は、その後も犬上郡豊郷町の普門寺を開創されたりしたようです。

1665(寛文5)年10月15日には霊元天皇より、妙心寺住持職の御綸旨(命令文書)をいただいたとか。

そして1672(寛文12)年9月18日、この世を去られました。



齢仙寺の歴代住職

2011年10月22日 | 歴代住職
齢仙寺の現在の住職は、齢仙15世徳嶽慶裕和尚です。
晋山式(副住職):1976(昭和51)年10月10日
住職交替式:1999(平成11)年5月16日 

住職の紹介もしたいところですが、それはまた別に。

今日は歴代住職を列記してみたいと思います。
資料あるものないものあるようですが、少しづつ調べて行きたいと思います。

  世    住職     示寂
齢仙開山  拙山惟清  1672(寛文12)年9月18日

齢仙二世  仙室祖龍

齢仙三世  黙道宣黙  1724(享保9)年2月6日

齢仙四世  千嶽祖釣

齢仙五世  獨照祖慎  1786(天明6)年

齢仙六世  旲嶽義喬

齢仙七世  快狻文猊

齢仙八世  謙山妙奘

齢仙九世  貫国周貫
 
齢仙十世  譲岳自謙

齢仙十一世 実収主真  

齢仙十二世 蔵泉文器  1913(大正2)年3月

齢仙十三世 江峯禅能  1958(昭和33)年12月16日

齢仙十四世 洪嶽東慶(閑栖和尚)

齢仙十五世 徳嶽慶裕(現住職)  

鐘楼修復完工式

2011年10月09日 | お寺の行事


午前9時より、鐘楼の修復完工式を行いました。
たくさんの方々にお越しいただきました。
ありがとうございました。

階段の下からでも鐘をついていただけるよう、紐を下まで持ってきました。
お越しいただいた皆で、百八の鐘をつきました。

新しく頑丈になった鐘楼で、除夜の鐘を安心してついていただけそうです♪

鳰戸(におうど)

2011年10月07日 | 齢仙寺のご紹介
鳰は、かいつぶりのことで、滋賀県の県の鳥です。
知ったかぶりカイツブリというキャラクターもいるのです。

齢仙寺の門前にある池は、琵琶湖が鳩の湖といわれていたことから、そのはじまりという意味で鳰戸(におうど)と呼ばれています。みそぎの似小戸とも春日の霊泉とも伝承されている池です。

琵琶湖水百選のひとつでもあります。

現在は、放生池として親しまれています。
放生とは、捕えた生き物を殺生しないで放つということです。

齢仙寺の放生池では、鯉や亀、うなぎや金魚が泳いでいます。
縁日ですくった金魚も池の中でとっても大きくなります。

気付いていないだけで他にもいるかもしれませんね。

昔は絶滅を危惧されているハリヨもいたのですが、今では見ることができなくなりました。