齢仙寺雑記帳

滋賀県にある臨済宗妙心寺派のお寺、齢仙寺の日々のお話

12月の言葉「時時勤払拭(じじに つとめて ふっしき せよ)」

2016年11月30日 | 今月の言葉
寒くなりましたね。
皆様、お風邪など召しておられませんでしょうね。
お気をつけ下さい。

さて、今月の言葉です。
「時時勤払拭(じじに つとめて ふっしき せよ)」です。




時時勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)
常々に心がけて払(はら)い清(きよ)めよ」という意味であります。
「払拭」は「ふっしき」と読みます。

中国禅宗の歴史では、神秀(じんしゅう)という僧の「心は本来綺麗な鏡(かがみ)のような
ものだから常々に心がけて払い清めてチリがつかないようにする努力が大切。」という見解に
対し、慧能(えのう)という僧の「本来、心は鏡のようなものでなく無一物だ。
ゆえにチリなどつかないから払ったり拭(ぬぐ)ったりするものではない。」という
眞正(しんしょう)の見解の方が評価されるという話があります。

しかし、凡夫の我々にとっては神秀のこの語も大切な言葉でありましょう。

私たちは生き続ける中、心しないところで悪をなしているものです。
ズボンの裾(すそ)の折り返しや服のポケットの中に知らず知らずに埃(ほこり)が
溜(た)まるようなものであります。

「悪をなしていないか」、「よこしまな心でないか」、「思い込みで揺れ動いていないか」など、
常々に心のチリの点検に心がけよというのがこの語であります。

チリも積もれば山となる。この語を心したいものであります。

お知らせ
十二月十日 午後一時 齢仙寺成道会 
              法話会 池田織隆師

十二月三十一日 午後十一時四十五分 除夜の鐘

平成二十八丙申師走

11月の言葉「歩々是道場(ほほ これ どうじょう)」

2016年11月03日 | 今月の言葉
皆さん、お変わりございませんか?

早いものでもう11月の声を聞くことになりました。
ついついこの間まで、「暑い、暑い」と言っていたのに
めっきり寒さを感じるようになりました。

皆様お風邪を引かれませんように、ご用心ください。

ご来訪、感謝致します。


今月の言葉は「歩々是道場(ほほ これ どうじょう)」です。




「道場」とは禅の世界では「真の自己」を求めるために修行する場所という意味で使われます。

この語は「直心是道場(じきしん これ どうじょう)」(赤子のような、こだわりのない、直(じか)付(づ)けの「こころ」でいるならば、建物などにこだわらず、どこに居てもそこが道場である)という言葉から由来していて、「日常生活の諸局面や人生のいつ、いかなる場所も即ちこれ道場である。」というのが本意であります。

さりながら、小衲は、未熟なる故か、この語に出会うと、いつも「歩」という文字にこだわり、「一歩一歩、道場に居ると思って歩いているか(生きているか)」と直感します。

「足元を見る」という言葉があります。
昔、駕籠かきや馬方が旅人の歩く姿(足元)を見て疲労度を見抜き、高い値段を要求したことが語源であるといいます。

禅問答に来室する修行者の足音だけで、指導者はその修行者の完成度が判るといいます。

禅の世界で修練された方の歩き方は本当に清々(すがすが)しいものです。
その歩かれる様(さま)に一陣の清風を感じ、まさに「歩々清風起」(ほほ せいふう おこる)であります。

『「歩」は「口ほどにモノを言う」』と言えます。

この語に会うと、結果、本意に繋がるのですが、いつも「(内面が出るという)私の歩き様(ざま)は大丈夫か」と先ず自省する小衲であります。




     お知らせ

十一月二十日 午後二時

 花園会秋季特別布教 布教師 一色宏襄師


十一月二十三日 午前十時 先住東慶和尚 大祥忌

           導師 岫雲軒老大師


                                                  平成二十八霜月