齢仙寺雑記帳

滋賀県にある臨済宗妙心寺派のお寺、齢仙寺の日々のお話

少欲知足(少欲にして足るを知る)

2018年06月01日 | 今月の言葉
ご来訪ありがとうございます。
天候が不順ですがお元気でお過ごしですか。

農作物も小衲の未熟ゆえか、はたまた
天候不順によるものか
なかなか上手くいきません(泣き)

菊の挿し芽も発根が不調です(泣き)

トホホ!!

さて、今月の言葉

残り少ない人生を少しは綺麗に生きたいと
これもまた「欲」なのでしょうが。

「少欲知足(しょうよく ちそく 少欲にして足るを知る)です。
宜しければご高覧ください。



今月の言葉
少欲知足(少欲にして 足るを知る)

仏教の実践徳目の一つであり、
辞書的意味は「少しのもので満足すること」である。

欲は人の存在することにおいて不可欠のものであり、
皮肉なことに生体が元気であればあるだけ
欲は旺盛になり多くを求める。

さりながら思うように得られなかったり、
現在得ているものに満足しないから、
ついつい不平不満の日々となる。

時には
大きな過ちや諍いにまで展開する場合すらある。

故に仏教では
「少欲にして足るを知るこころ」を
保持することが大切だと説く。


「知足のものは貧しといえども富めり、
不知足のものは富めりといえども貧し」と説く。


「少欲知足」とは
向上の努力や精進を抑制すれば良いのだろうか。
これでは進歩がなかろう。
現状満足、現状肯定に居座る努力をすれば良いだろうか。
否、それもまた我慢・辛抱でストレスが溜まるだろう。


我々は欲張りのくせに
日々の生活の中で少しでも心の平穏を得たいと願う。


凡夫の我々は「少欲知足」を
心の抑制なく実践するのはなかなか困難である。
しかし、心の持ち方、即ち工夫によって
「足ることを知るこころ」を
少しでも得ることはできるのではないか。

「○○しかない」より
「○○もある」と
捉えてみるのはどうだろう。

別の言い方をすれば
「無いものを求めるばかりでなく
有るものに感謝と喜び」を
思うことである。

さすれば少しは心も平穏になり、
顔つきや言葉遣いも
美しくなれるのではなかろうか。

凡夫のわが身の実践課題として
この語は重たい。

平成三十戊戌水無月